常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

牛蒡

2012年10月25日 | 農作業


牛蒡の葉がこんなに大きくなるとは。秋が深まってきたので、牛蒡掘りに畑に出かけた。春から夏の初め、いじけたようだった牛蒡の葉は、肩口に届きそうに成長している。鎌で葉を切り取って、スコップで牛蒡の根を傷つけないように慎重に土を掘り下げる。6、70センチ掘ったところで柄を動かして見る。びくともしない。反対の方角からスコップを入れて更に掘る。小さい牛蒡が抜けてくるが、本命の太い牛蒡はまだ動かない。首のあたりから汗がふきだしてくる。

太い牛蒡の下を掘るがまだ抜けそうにない。力を入れて引き抜く。ぼきんと、音がすると土のなかに先の方をのこしたまま抜けてくる。直径7センチほどの太い牛蒡が姿をみせる。鎌の背でトントンと叩いて土を落とす。すぐに皮がむけてくる瑞々しさだ。5、6株ほど掘ったところで、今日の作業はここまで。疲れてしまった。それでも、米の袋に入れてみると、15kほどもある収穫であった。

夜、妻が人参と合わせてキンピラ牛蒡を作る。汗をかいて掘り出した分、牛蒡がおいしく感じられる。自分で野菜作りをする醍醐味だ。

辰巳浜子の『料理歳時記』の牛蒡の項を読んでみる。
この本は昭和30年代の後半から40年代の前半に雑誌に連載されたものだから当時の世相が分かる。その頃サラリーマンが通うバーのママさんが、キンピラ牛蒡やヒジキの煮物を酒のつまみに出しているのを皮肉っている。こんな家庭的な料理を出したのでは、男は里心がついて家に帰ってしまいそうなものだが、家庭では奥さんが新しがってチーズを食卓にならべて悦に入っている。漫画のさざえさんの一こまにもなりそうな情景である。

辰巳浜子が酒場でも引き立つ牛蒡のつまみを紹介している。
「細い牛蒡を選んで紙のごとく薄く細く笹がきにしましょう。水にさらして、(2回だけ)よく水を切ってつんもり小鉢に盛り、花かつお(手かき)、を盛り合わせ、食べるときちょっとお醤油をかけます。日本酒、ビール、洋酒どちらにも万能です。
もうひとつ、ミシン針ぐらいの太さに切って、水にさらして水をよくきり、メリケン粉をふるいかけながら、ほんの15、6本まとめて温度の低い油でパリッと折れるようにからりと揚げ、塩をふりかけます。ポテトチップなんか足元にも寄れない素晴らしさです。」

牛蒡を分けてあげた近所の奥さんは、「こんな太い牛蒡初めてみたわ。たたきにしてみようかしら」などと言っていた。牛蒡は皮がおいしいしので剥かず、タワシで洗って土を落とすぐらいでよい。つい見落としがちな食材だが、味がよくて、豊富な食物繊維がとれるので、この冬はたくさん取れた牛蒡をふんだんに食べたい。牛蒡は広くユーラシア大陸に自生するが、食用とするのは日本人だけであるらしい。

牛蒡掘る黒土鍬にへばりつく 高浜 虚子


 
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コリアンダー

2012年10月24日 | 読書


電子ブックを初めて買った。小川糸の『つるかめ助産院』だ。夏にこの人の『食堂かたつむり』が面白かったから、電子ブックの第1号をこの本に決めた。もう一冊、森沢明夫の『あなたへ』も買った。高倉健で映画化されて話題を呼んでいるからだ。北海道の姪たちも、この映画は一見の価値があるよと、勧めていた。

『つるかめ助産院』を読み始めてすぐうれしい話が書かれている。この助産院にはパクチー嬢と呼ばれるベトナムからやってきた研修生がいる。タイやベトナムでコリアンダーのことパクチーと呼んでいる。彼女はこの産院の賄いも担当している。

「そして面白いことに、テーブルに並ぶ料理のすべてに、これでもかというくらい、新鮮なパクチーがのせられていた。そうか、だからパクチー嬢と呼ばれているのか。むしゃむしゃと大量のパクチーを口に含みながら、私は妙に納得した。実はこれまで、サラダなどにパクチーが添えられていると、決まってその緑色の物体をよけて食べていた。味というか、あの生臭いような匂いが苦手なのだ。それなのに、なぜかこの南の島で食べるパクチーは苦にならない。新芽なのか葉っぱが柔らかく、あの独特な香りが口の中でふわりと広がり癖になる。体に涼しい風が吹き抜けるようだ。」

いま私の畑で成長を始めたコリアンダーが、『つるかめ助産院』に書かれているのでうれしくなった。それに加えて、産院での出産のシーンも迫力満点に描かれている。この本を買ってよかったと思った。電子ブックは、入手が至って簡単である。辻村深月もあさのあつこも三谷幸喜も古典も、クリック一つですぐに購入できる。本屋の棚に当たらなくとも、芥川賞の作家の本も、絶版になった古典も無料か数百円で読める。実に便利な読書生活が実現しつつある。家に作りつけた本棚を見ながら、もうこんなに手元に本を置かずとも、小さくてたったひとつのブックリーダーの中に何百冊の本を持ち歩ける時代になったのだなあと思う。
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夕焼け

2012年10月22日 | 日記


夕焼けの空を、烏が塒を目指して急いでいる。秋はつるべ落としと言われるほど、日は山陰に吸い込まれるように沈んでいく。夕焼けがきれいに見えるのはほんの数分である。残照という言葉がふさわしい。太陽は燃え尽きようする一瞬に輝いて美しい夕焼けを演出する。人生でも同じことではないか。晩節の一瞬に、輝いて生きることができればすなわちそれは幸福な一生である。

子どものころ、夕焼けから日の沈むまでのわずかな時間を惜しんで遊んだものだ。兄弟たちは、野良仕事に忙しく、この時間にならないと小さな弟と遊ぶ時間がないからである。手作りのシーソーに乗って他愛のない遊びの時間が楽しかった。遊び道具は手先の器用な兄がいつも手作りしていた。いつか、日は沈み、あたりは暗闇に包まれる。家のなかから、「いつまでも遊んでいると晩ご飯はなしだよ」と上の姉が叱った。

私は、「もっと遊びたいよ」と言った。何故、兄が急に姉に反抗的な態度の出たのか知るべくもない。兄弟3人は家の明かりの反対の方へ歩き出した。「たまには家に帰らなくても平気さ」兄は暗がりをどんどん歩き、積み上げてあった枯れ草を掘り返し、3人が入れるほどの寝床を作った。月のない夜空からは星が降るようであった。近くに流れる川の音が、すぐ枕元からと思われるくらい近く感じた。

帰らない子どもたちを心配して「おーい、○○ーどこにいる」と呼んでいる声が聞えてくる。一番小さな弟は、心ぼそくて涙ぐんでいる。「泣くなよ、見つかるからな」兄はどこまでも反抗を続けるつもりでいる。「オシッコがしたい」弟が訴える。兄は寝床の隅に場所を作って小便をさせる。弟は暗がりのなかでいつしか寝息を立てはじめた。「おーい、帰っておいでよー」遠くで姉たちの声がまだ聞えている。「帰ってなぞ、やるもんか」兄は独りごとのようにつぶやいた。

3人が叱られるのではないかと、怖々家に帰ったのは夜が明けてからであった。小さな子どもにとっては一夜の冒険であった。兄がなぜそんな振る舞いにでたのか、それは謎のままである。あるいは小さな子どもたちに、ささやかな冒険をさせてやろうとした思いやりであったのかも知れない。それとも何か許せないことがあって、一晩心配させてやろうといった復讐心であったか。家ではゆで卵を作って母が迎えてくれた。

そんな経験をした2人の弟と姉が先週に再開した。そんな過去のことは兄も姉も忘れてしまっている。私もそんな話を持ち出しはしない。兄はつまらないギャグを飛ばして、甥や姪を笑わせることに夢中になっている。それを聞いて、姉は口を押さえて笑っているばかりであった。北海道にはやがて冬がくる。しばれる日はもう多くはないそうだが、それでもなお厳しい冬だ。この冬を無事に乗り越えれば、また再開する日がくるだろう。

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無花果(いちじく)

2012年10月22日 | 日記


秋晴れの一日である。気温も23℃になると、ぽかぽかと暖かく感じられる。

無花果がおいしい季節である。木で完熟したものは、生のままで十分においしいが、この地方では砂糖たっぷりで煮上げることが多い。やはりこの季節でなければ味わえぬ味覚だ。無花果と書くのは、花が無いように思われるが、卵形の肉厚の花嚢の中に無数の白い花をつける。これが、外見からは見えないので、こんな字が当てられている。

「無花果(いちじく)、人参(にんじん)、山椒(さんしょ)に椎茸(しいたけ)、牛蒡(ごぼう)に零余子(むかご)、七草(ななくさ)、初茸(はつたけ)、胡瓜(きゅうり)に冬瓜(とうがん)」はわらべ歌だが、野菜や果物の頭を一から十までの数字合わせている。子どもたちはこの歌を唄いながら、お手玉をして遊んだ。

無花果をさぐれば堅し採らで置く 島田 五空

畑で牛蒡を収穫する。葉が驚くほどに大きく成長した。葉の数と同じくらいに、根が分結して伸びていた。スーパーなどで売っている牛蒡は、根は一本だけのようであるから、栽培方法がよくなかったのだろうか。だが、コンニャクと一緒に煮て食べるとしっかりとした牛蒡の味である。

ここのところの雨と秋の気温のせいか、シュンギクや大根、人参の生長が実にいい。シュンギクを間引きしてくる。非常に柔らかく、おいしそうだ。コリアンダー、人参も間引きして小さいところを食べることにする。
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巨木

2012年10月21日 | 登山


金山町にある鉤掛森に登ってきた。グリーンバレーカムロという洒落た名のキャンプ場から山に入るとすぐにブナの林が広がっている。やがて、老人を思わせるような腰の曲がったブナの巨木に出会う。ブナの寿命は250年というから、この木も200年くらいの樹齢であるかも知れない。

世界遺産に指定された秋田・青森にまたがる白神山地には、1万6千ヘクタールに及ぶブナの原生林としては世界最大規模を誇る。南に下がって八幡平、鳥海山、月山、飯豊山、苗場山、立山、白山など日本海側の豪雪地帯にブナ林があるのは、冬の豪雪と密接なつながりがある。ブナは他の樹木に比べ、雪に強い樹木である。そのため、積雪が多い地帯ほどブナの潤林が発達し、雪の少ない太平洋側ではミズナラなどとの混合林になっている。

金山が雪の多い場所であることは、言わずと知れているが、見事なブナ林が鉤掛森の特徴である。倒木や枯れたブナに顔を見せるのは、ツキヨダケである。この毒キノコを誤食して、医者に駆けつけた人の話が新聞のニュースになっている。いつもの年であれば、この時期にはツキヨダケは流れ、代わりにムキタケが出るのだが、今年はいまが最盛期という感じだ。
少しだが、ナラタケ、ホコリダケ、ヒラタケなどを採取する。



写真で見ると中央から左に続く三角の双耳峰が鉤掛森である。標高838m、最初に中央の頂点に立つ。ここから神室の山々が展望できる格好の見晴らし台である。ここから東に道をとると、鉤掛森の頂上である。標識によれば、ここからさらに東進すると1.5kで桧木森とある。準備して登れば、十分に行けるコースだ。それにしても、期待した紅葉はいまだしの感である。



金山は金山杉の産地と知られる。集落のあちこちに、金山杉をふんだんに使った住宅がこの町の景観を引き立てている。大美輪には、樹齢250年を越える杉の巨木が林立している。山の仲間が4人で手を繋いでも余るほどの太さだ。樹齢280年、江戸は宝暦のころに植林されたものである。

天然杉で樹齢1000年というものがあるが、人工林としては日本で一番古いものである。樹高59m、幹周345m、127本の杉林で、日本一であるという。
金山杉は豪雪地帯にあるため、木の成長が遅いため木目が細かく、肌は赤味を帯びているのが特徴だ。鉤掛森のブナと有屋の杉を見て、今週の登山は終わった。



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