常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

白い山茶花

2015年11月24日 | 日記


小雪になって少し気温が下がってきた。今週は冬タイヤに交換しようか、などと考えている。並木の山茶花は赤やピンクの花を咲かせて晩秋を飾るが、生垣の下の方に咲いているのは白い山茶花であった。どちらを愛するか、悩ましいところだ。白い花を推している人の言葉に、「山茶花は、白い花でなくては冬の身が引き締まらない」というのがあったが、そういうものであろうか。どなたかのブログにあったやさしい赤の山茶花も捨てたものではない。

冬にいる庭かげにして山茶花のはな動かしてゐる小鳥あり 中村 憲吉

寒くなったので豆腐とタラの身を買ってきて湯豆腐を作った。湯に昆布の粉を入れて出汁を取る。ネギのみじん切りに鰹節をいれたしょうゆを湯煎してつけ汁にする。あたたかい鍋から昔なつかしい味に出会った。昔下宿したおばさんが作ってくれた味である。火鉢にかけた湯豆腐をつつきながら、酒を飲んだ日がよみがえった。
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小雪

2015年11月23日 | 農作業


小雪は24節気のひとつ、雪がひらひらと降ってくるがまだ大雪にはならない。立冬から数えて15日、小雪から15日が経つと大雪になる。だが、今年はゴジラエルニーニョのせいで、今のところ雪の気配はない。畑にはキャベツや五月菜を青虫が食べている。コリアンダーも青々と育ったので収穫して子どもたちに送った。ネギと大根も雪の前に立派に育ったので一緒に。晩秋なのに育ち盛りのような野菜を収穫できるのはうれしい。ブロコッリーとキャベツがどうやら雪の前の収穫に間にあいそうだ。



街路樹や庭の山茶花はいまが盛りである。アスパラ菜や五月菜の黄色い花も咲いている。秋は花が少ないと思っていたが、家から出て少し歩くと色々な花にあうことができる。

山茶花の紅と白とがともに散る 吉岡草葉子



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関山峠

2015年11月21日 | 登山


関山峠は山形県東根市と宮城県青葉区を結ぶ奥羽山脈越えの要所である。明治15年に三島通庸の具申によって関山トンネルが開通すると、山形と仙台を結ぶ交通の要衝として現在もなおその存在感を示している。昭和43年に新関山トンネルができると、三島時代のトンネルは新トンネルにとって代わられるが、山形に笹谷トンネルができるまで、仙台に行くにはほとんどの人が関山峠を通った。

今回訪れたのはトンネルができる以前に峠越えをした峰渡りの道である。関山トンネルを宮城側へぬけて3キロほどのところに入口がある。トンネル開削の際に、ダイナマイトが暴発して亡くなった人の供養塔も建っていた。尾根に取りつくまでわずかに道が作られ、ロープや梯子も用意してあった。山中には急坂を登るジクザクの道がついている。ほかに旧車道もあって現在の幹線以前の山中の様子が偲ばれる。

旧トンネルの旧道通ったことのあるSさんやTさんの回顧談も聞かれた。この街道は幽霊がでるという噂がドライバーの間に広まっていたらしい。ある人が雪のある街道を通行していた。暗い道で、幽霊の話を思い浮かべながら車を走らせいると、カーブのところで後にぴたりとつく車がきた。うす気味悪くなってスピードを上げても後の車もスピードを上げてついてくる。カーブで必死の思いで振り切ろうとしても、離れるようすがない。あまりに気味が悪いので車を停めると、後車も止まった。車から出て、「何で付いてくるんだ」と怒声を上げた。相手は恐縮して、「済みません。暗い道が心細く誰か来ないかとカーブのところで待っていたんです。おたくが来てほっとしてついてきました」。こういわれて起こる気持ちも消え、2台は一緒に峠を越えた。



峠道は落葉におおわれ、ふかふかとした歩き易い道だ。11月の暖かい気温に勘違いしたのか、イワイチョウやツツジの返り花が所々に咲いている。木々の冬芽もふくらんいるように見える。ブナの奇形が峠の幽霊のような姿を見せていた。キノコが出ていなか注視していると、路の下り斜面のナラの枯れ木に出ているナメコ、登山道わきに一か所出ていた。参加者が家づとにできるナメコがみつかった。歩行距離5.5キロ、歩行時間4時間、県境のピークである関山は標高900m。山形側の道の入口で昼食。それにしても江戸時代の人々の交通事情がここを歩いてみて実感できる。現代人は交通に車や通行が容易な道を手にしたが、歩くことそのものが人生である知恵や習慣、強い脚、健康など様々なものを失っている。

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夜なべ

2015年11月20日 | 日記


秋から冬にかけて、昼が短く、昔の農家などでは暗くなってもする仕事を夜なべ言った。唱歌に「かあさんが夜なべをして手袋編んでくれた」というのがあるが、こんな手仕事も秋の夜長だからできたのであろう。夜仕事をすると腹が減るから、夜食を作ったから夜なべだという話があるが本当だろうか。今年は11月が暖かい。普通なら高山はすっかり雪化粧をしている季節であるが、周りの山は少し山頂に雪が見られる程度で、冬の雪景色とはほど遠い。世界野球と錦織のテニスを見て、夜が更けてしまったが、こんなのは夜なべとは言わない。

この暖かい11月で異変が起きている。鍋料理を作る家が少なく鍋用の野菜が売れないらしいのだ。少雨で野菜の成長が遅れて高くなった聞いていたが、ここにきて反対に野菜は安くなっている。冬用の衣服、暖房具、灯油といったものも、この時期にしては予想を超えて売れていない。気温が経済を左右するというのは本当のことのようだ。
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寒椿

2015年11月18日 | 


先日、寒椿と山茶花の見分け方が分かったので、咲いているのは寒椿であることがすぐに分かった。雄しべが筒状になっていたからだ。歳時記を見ると、寒椿は雪が降って寒中に咲くからこの名があるらしい。赤く咲くために春の来るのを感じさせると書いてある。昨日もでの小春日よりは、今日は曇りから雨に変わった。山の方はすこし時雨れてきたような感じがする。

寒椿つひに一日の懐手 石田 波郷

山形の下水道の歴史を調べている。川の治水は、今日のような機械力を持たない江戸時代の人が人力で石を山から運び、石垣のように積んで流路を作った。昨今の豪雨による川の氾濫に、人の無力であることばかりを考えるが、知恵と五体のみで、自然の猛威に立ち向かっていた先祖がいたことを期せずして知ることができた。今の人々には、まだまだ力を集めて未来のすみよい都市を作っていかなければならない。
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