神室山地は、奥羽山脈の一部で、秋田・宮城・山形の3県にまたがる非火山性の山地である。秋田県に属する前神室山(1342m)から、神室山(1365m)に続いて主稜線は南西に延び、最高峰の小又山(1367m)から火打岳(1238m)、八森山(1098m)、杢蔵山(1027m)と続いている。もとより、この稜線を歩く縦走コースは、山岳愛好家に人気のコースである。私もほぼ20年近く前にこのコースを歩いたことを記憶しているが、水の出ないコースで、喉の渇きだけが忘れられない思い出になっている。
金山町から行く有屋峠には、戦火の歴史が残っている。天正14年、この峠を挟んで仙北の小野寺氏の大軍と山形の最上義光の軍が対峙し、戦火を交えて戦いは最上軍の勝利に帰した。最上の軍勢が、その後勢いに乘って、戦国時代の大大名として名を馳せることになる。
この峠道は、ひたすらブナの大木から伸びる緑の繁みに覆われている。我々の日常とはあまりにも隔たった、厳しい山地である。しかし新庄藩と役内の連絡道とし使われていた歴史がある。現在では、登山客のみが通る下草に覆われた山道だが、過去には山人の生活の場として、また他国との交易、争いの場として現代では考えられない重要な役割を担っていた。深い緑になかに身を入れ、沢の流れを聞きながら歩くことは、体内の五感を歴史のなかに置くことでもある。稜線へと登っていく山道はひたすら長い。急勾配のところでは道をジグザクに切って、なるべく疲れない工夫が凝らされている。本日の参加者7名、内女性が5名。汗にまみれ、筋肉の疲れに耐えながら歩くこと4時間20分。やっとの思いで稜線に出る。
突然、眼に飛び込んで来たのは、秀麗な出羽富士・鳥海山の雄姿である。連山をその裾に従えさせ、突出した姿は百山の王の貫録を示している。この山に来て、鳥海山の雄姿を見ることは、山登りの大きな喜びである。週末とあって、山中で行きかう人が多いが、必ず口にしたのは「鳥海山がきれいにみえましたよ」という言葉だ。稜線までの道が厳しいほど、視界が広がる稜線に来て、登山者は大きな達成感に浸ることができる。
前神室からのもう一つの絶景は、神室連山の眺望である。以前買った絵葉書の構図は、両線にある残雪を除いて、まったく同じである。神室山の肩にポツンと見える山小屋は、神室山避難小屋である。大きな自然のなかでは、点のような存在だが、人間の営みが垣間見える。室というのは、山中にある岩窟ことを言う。神室は、「神の宿る岩窟ということである。山は人を寄せつけない厳しさがあるが、そこは神が宿る地として、里の人から崇拝の対象になってきた。水神、雷神を祀り、人力では叶わない自然現象を神の力で、人を利するものにしたい願望のあられである。
稜線でコバエを気にしながら、遅い昼食。使った体力を回復させるためにたくさん食べる。往路をそのまま下ることになるが、疲れた足には、登りでは感じなかった、危険なトラバースが続く。下りに使う筋肉は、登りとは別の部位であるらしい。次第にバランス感覚が無くなり、何度も転倒しそうになる。軽く登った往路とは、まるで違う感覚である。年齢とともに衰えてきた筋力を再び鍛え直すしかない。駐車場着5時。金山のホットスパで入浴、湯で筋肉の疲れを取る。