常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

忘れられない詩

2019年10月14日 | 読書
人には、忘れることのできない詩がある。そんな詩を集めた、『わたしの詩歌』という本がある。時おりこの本を開いて、詩を読み、その詩を愛している人の心のなかを見ることが好きだ。南美枝という女優がいた。宝塚の男役であったが、戦後文学座に転じ、劇団円の創設者の一人になった。映画、テレビでも活躍し、朝ドラの「のんちゃんの夢」にも出演している。劇団のなかでもリーダー的な存在で、ナン様と呼ばれて親しまれれいた。

りんりんりんごの きのしたに
ちいさなおうちを たてましょか
そしたらちいさな まどあけて
まどからあおぞら みてみましょか

南は劇団の稽古の休みの時間に、きれいなソプラノで、こんな歌を歌いはじめた。きいていた劇団の仲間たちは、初めて聴く歌の詩に心をひかれて、続きを所望し、その場は、この歌のレッスン場と変わった。

りんりんりんごが なったなら
つぐみもちらほら まいりましょ
おかからおかへと にをつけて
あきうどなんぞもまいりましょ

その時、ナン様はすでに高齢で、気品のいいおばあさん役で活躍していたが、やがて老人ホームの個室に入った。この詩が北原白秋が作ったもので、この歌をテーマにした舞台に出演したことを思い出として書いているのは、女優の岸田今日子である。いかにもこの女優が好みそうな詩で実にほほえましい。
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おだやかな朝

2019年10月13日 | 日記
台風が去って、おだやかな朝があけた。何事もなかったように、青空が広がり、周りの山々には朝の光があたっている。しかしテレビでは、台風がもたらした大量の雨が、多くの河川を溢れさせ、市街地の家が水没している映像を映し出されいる。これほどの規模の大きい台風は、過去は数百年に一度であったものが、今や数年おきにやってくるような時代になった。台風でなくとも、雨だけでも、同じ場所に何日も降りつ続く現象は、年に何度も起こっている。被害にあった人々には心からのお見舞いを申しあげる。もう今年は、台風はこれでお終いにしてほしい。

朝の味噌汁にとろろ昆布を入れて食べるのが習慣になった。テレビの健康番組で、とろろ昆布が血圧を下げる絶好の食材と紹介したからだ。マイタケを焼いて食前に食べると、血糖値を下げるとしったので、朝の習慣が二つになった。とろろ昆布は、北海道にいた頃からよく食べていたが、そんな意識もなかったので、思い出して食べるくらいであったが、この習慣は長く続けたいと思う。近所のスーパーでは、棚のとろろ昆布はこのところ品薄が続いている。テレビの健康番組で紹介された食材が品薄になるのは最近よく起きる現象だ。

昆布の歴史について、考古学の森浩一先生が述べている。平城京の都ができてから、陸奥の蝦夷である須賀というものが、「昆布を国府へ貢献してきたが、道のりが遠いので国府の支所を作って欲しい」と申し出た。この人は宮古に住む漁師で、国府は多賀城を指しているらしい。三陸はワカメなどの特産地だが、昆布がそれほど多いわけではない。森先生は、陸奥とオホーツク沿岸の交易について触れている。朝廷への貢ものとして、北海道のオホーツク産の昆布が入っていたのではないかという推測だ。

日本海航路が発達してからは、北海道の昆布がこの航路を経て、京、大阪へ流入していたことは、有名な話だ。大阪の塩昆布は、北海道産の昆布を原料としている。北の良質の素材を洗練した文化のある京、大阪で加工して、商品化するスタイルは、すでに平城京の時代から始まっていたことになる。

森先生の『食の体験文化史』には、先生の昆布の食べ方も紹介されている。「小皿に熱湯をいれ、醤油を少したらし、一味トウガラシの粉をいれて、そこへとろろ昆布を入れる。これを焼いたパンにのせるのが好きだ。もちろんあついご飯にもよくあう」昆布ほど日本人の生活に深くとけこんだ食材はないのではないか。長い食の長い歴史が、昆布のうまみを研究し尽くしている。
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ルーティンワーク

2019年10月12日 | 日記
いよいよ台風本体の雨雲がかかってきたのか、ベランダから見える山並みはすっぽりと雲にかくれている。早くも千葉では、竜巻が起き、住宅の屋根が飛ばされたりしている。かってない強い台風が関東へ向かっている。午後から夜にかけて上陸の危険がある。これが避けられないものであるならば、今できること、自分のルーティンワークに取り組む。

ひとつは精神安定に効果がある。朝、起きて掃除機をかけると、前屈を30回。手を前に上げて、手の指のグーパー運動2分間。片足だちでバラスをとりながら両足1分づつ、次に片足つま先立ち15秒。これはバランス感覚の維持に役立つ。段差を利用したつま先立ち。ふくらはぎに効果がある。ベッドの端に手をかけた腕立て伏せ10回。全部終わってから食事。その後、口腔の清掃と歯磨き。80/20、20本の自分の歯を残すことをめざす。

雨が降らなければ、畑仕事が1時間ほどが日課になるが、夏以降は少しづつ畑離れをしている。カメラを手に近所で、花や風景の写真を撮ったあと、ブログの更新。こちらは、今日はどんな話題をと、考えるだけで楽しい。話題を増やすための読書はなお楽しい。無料で読める「青空文庫」が強い味方だ。

寺田寅彦の『台風雑俎』を開いてみる。書き出しは昭和9年の室戸台風について書いてある。記録を調べると、この台風は高知県の室戸岬に上陸し、上陸時の気圧は911hsp、風速は60m以上と推定されているが、当時の技術では測定不能であった。死者は2700人を数える。今回の台風に比べてもその大きさは、想像を超える。大阪という大都市を縦断し、新潟へ抜けている。さらに歴史を遡って、貞観16年の京師の大風雨の惨状、明治32年、高知を襲った台風。遣唐使が台風のためしばしば遭難したこと、蒙古襲来の折の風が台風であったらしいことにも触れている。

寺田はさらに、全国を旅して台風の被害を見て回り、年数の経った建物に比べて、明治維新以後、ヨーロッパの建築技術を使ったものがもろく崩れ去り、台風と向き合ってきた時代の建物が意外にも堪えいるのは、古来の知恵と、指摘している。寺田がこの本を書いてから100年近くを経て、情報や台風の対策も進んでいる筈であるが、その結果によってはまだまだ、考える余地はあるような気がする。
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骨格筋率

2019年10月11日 | 日記

台風に備えて、ベランダにある風の影響を受けそうなものを片付けた。自然の猛威に立ち向かうには、それぐらいしか思いつかない。昔の人もそうであったように、被害が少ないように神に祈るほかはない。あとは、じっとその時を待ち、通り過ぎるのを待つだけだ。やはり、地球の温暖化と台風の巨大化とは無関係ではない。自分のなかでできるエコ生活、エネルギーの消費を抑えることに務める。地球のすべての人間が取り組めば、温暖化の歯止めになるであろう。自分ができることから始めるより方法はない。

気温が下がって、安眠ができるようになった。スマートウォッチの機能に睡眠管理がある。睡眠の状態をウォッチして、浅い睡眠、深い睡眠を時間の経過に合せて分析する。30℃を越していたころは、深い睡眠が1時間程度で、状態「悪」がつついていたが、気温の低下につれて、深い眠りが2時間を超え、夕べは3時間を超え評価が初めて「良」となった。

スマートウォッチと合わせてオムロンの「からだスキャン」という、体組成計を買ったが、こちらでは自分の身体の骨格筋率が分かる。家庭用のものは、精度が高くないらしいが、傾向は分かる。一番高い日で33.7、平均して30前後で推移している。男性では、35を超えて普通となるので、自分の骨格筋率は低い傾向だ。骨格筋だけは、筋トレで増やすことができる。毎日の筋肉体操を継続して、こちらの率を上げていくのが当面の目標となる。今の基礎代謝が1450㎉だから、骨格筋が増えれば基礎代謝が上がり、太りにくい身体になる。つまり、健康な身体になる。

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明月記

2019年10月10日 | 日記

『明月記』は歌人の藤原定家が書き残した日記である。定家19歳、治承4年2月から書かれた日記である。日記を書き始めて間もなく、俊成と定家親子の住む近くで火災が起き、親子の住む焼失し、北小路の知人の家に身を寄せた。多くの文書、書物もあったいう間に、煙となった。その日の記事を見ると、

十四日。天晴る。名月片雲無し。庭梅盛んに開き、芬芳四散す。家中人無く、一身徘徊す。夜深く寝所に帰る。燈彷彿として猶寝に付くの心無し。更に南の方に出て梅花を見るの間、忽ち炎上の由を聞く。乾の方と。太だ近し。須臾の間、風忽ち起り、火は北の少将の家に付く。即ち車に乗りて出づ。

日記は漢字のみを書き連ね、読みづらいので、読む人は国文学者ぐらいであったが、今川文雄の『訓読名月記』が上梓されて、興味ある人が読めるようになった。平安時代の貴族たちは、せっせと日記を書いた。その目的は、生活に必要な有職故実を記録し、家の子孫に伝えようとした。この日記が書き始められて、目につくのが、天の月の明るさである。おそらく、定家はその印象から、この日記を名月記としたのであろう。

天の原おもへばかはる色もなし秋こそ月の光なりけり 藤原定家

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