常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

アボガド礼賛

2019年12月26日 | グルメ
畑に雑草のように生えるコリアンダー。これを美味しく食べる方法を検索して、見つけたのは、アボガトと合せるサラダだ。角切りにしたアボガドと食べやすい寸法に切ったコリアンダーを適量ボールに入れてかき混ぜる。加えるのは、塩昆布とゴマ油。5分足らずでできるサラダが病みつきになった。アボガドがこんなに美味しいものだとは、この年になって初めて知った。恥ずかしいことだ。コリアンダーは、霜が降りて春になるまで収穫できない。

丸元淑生の『よい食事のヒント』にアボガドが紹介されている。アボガドに多く含まれている脂質は、オリーブ油と同じ不飽和脂肪酸で、オメガ9と呼ばれる。善玉コレステロールを変化させることなく、LDLコレステロールの酸化を防いでくれる。酸化すると動脈硬化の原因となるので、健康によい食品である。

アボガドはかたい皮に守られているので、フレッシュな脂肪が生でそのまま食べられの大きな特徴だ。丸元はアボガドに包丁で縦に切れ目を入れて、ねじって2つにしてかた種を除く。一番初めにすることは、角切りにしたアボガドにレモン汁をかけることだ。
サラダにするにはトマトと相性がいいので、アボガドとトマトのサラダお勧めとある。あとは、工夫次第で様々な料理にできる。
隣の業務スーパーでは、1個100円ほどアボガドが、一年を通して売っている。調理するときは、柔らかさを確かめて、熟し加減を見る必要がある。固いものは、サラダにしてもいまいち美味しくない。


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カラス

2019年12月25日 | 読書
何に此師走の市にゆくからす 芭蕉

カラスが増えているように思う。朝、ねぐらのある霞城の森から、南を目指して飛んでいくのは、その先に餌があるからに違いない。同じカラスの行動でも、季節によって違って見える。冷え込みの厳しい暮の朝、飛んでいるカラスは、どこなくせわしない。そのカラスの行動を見るものの側にも事情がある。カラスの朝行きに励まされるようにして、行動を決断する人もいる。

奥の細道の旅を終えた芭蕉は、ひとまず故郷の伊賀に帰る。そして、京に上り、膳所で越年する。この年、芭蕉は自分の句境を深め、世に問う決意をしていた。「猿蓑」を編集し、天下に知らしめたいと思ったのだ。「何に此」この5文字に自らにの意気込みを込めた。その目で、飛来するカラスは、寒い朝、ある決意をもって飛んでいるように見える。

村上春樹の『海辺のカフカ』で、主人公に語りかける、カラスという少年がいる。空を飛ぶカラスに姿を変え、主人公の自問自答の役割を果たす。カラスはこんな言葉を主人公にかける

君にできることと言えば、その嵐のなかにまっすぐ足を踏みいれ、砂が入らないように目と耳をしっかりとふさぎ、一歩一歩とおりぬけていくことだけだ。そこにはおそらく太陽もなく、月もなく、方向もなく、あるばあいにはまっとうな時間さえない。そこには骨をくだいたような白く細かい砂が空を舞っているだけだ。そういう砂嵐を想像するんだ。

少年カフカもまた、カラスを道先案内に立てて、行方知れない旅に出ている。そして、そこで出会う経験の数々が少年を鍛えていく。
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年の暮

2019年12月24日 | 日記
今年も残すところ1週間となった。晴れて、大平山が、この冬一番の美しさだ。気温も比較的暖かい。雪のないことを喜んでいたが、スキー場など少雪で困っているというニュースも聞こえてくる。なかなか、すべてを満足させる状態は、望んでもめったに得られはしない。天気予報も、いつもは晴れマークで気もはれるが、雪マークがついてほっとする年の瀬だ。

身辺や年暮れんとする些事大事 松本たかし

暮れになって、この間まで元気でいた人の訃報が届いた。新婚の時代から世話になった人である。子育ても助けてもらい、妻は「お母さん」と呼んで親しんでいた。働き盛りに夫をなくし、嫁を迎えて、自分の子のように孫を育てた。母親の知恵と技を持つすばらしいお母さんであった。通夜で静かに眠る姿には、全てをやり遂げたという、安堵の空気を伝えていた。

山菜取りと温泉旅行が趣味の人であった。10年以上も前、妻と母さんと3人で肘折温泉に行った。蕨採りが目的であったが、山道の途中に笹薮があり、そこで見事に太い根曲がり筍を見つけて動かなくなった。辺りを見ながら、どこに何が出ているか知り尽くしていた。山菜採りの極意のようなものをこの人から学んだ。

些事になるが、注文していたスマホのsimが届き、水没させたスマホを買い替えた。今年から、解約の違約金がなくなったので、これを利用して有利な条件でスマホの契約を結び、その端末に契約を継続するするSimを差し込むという方法をとった。スマホの契約には、2時間ほどの時間がかかる。
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海辺のカフカ

2019年12月23日 | 読書
村上春樹『海辺のカフカ』を再読する。15歳の少年田村カフカの彷徨物語である。再読は、以前登った山を、再訪する行為に似ている。最初は、高度を上げることに夢中で、気づかなかったポイントが多くある。再訪によってそれらを見つける新しい発見。その喜びには、再読の面白さに通じるものがある。

15歳の少年や少女。最近、日本のスポーツ界や将棋など、多くの少年や少女の活躍が見られる。少年カフカは、こうした時代の先取りであろうか。将棋の藤井壮太の活躍を応援するような目で、この小説を読み、カフカの不思議な旅の行方に心を奪われる。

小説の主人公は一緒に暮らしていた父親の家を出て、四国の高松市に行くカフカ少年。もう一人、小学校の頃不思議な事故にあって、記憶をなくし、公園で猫と話するナカタさん。殺されそうになった猫を助けるために、ジョニーウォーカーと名のる猫殺しを殺害して、旅に出るが、なぜかこの初老の男も、少年のいる四国へ向かう。

小説の舞台は高松市にある私設図書館である甲村記念図書館。この図書館は、この地方の酒造家で本道楽の先代が蒐集した書籍を公開しているユニークな図書館である。当主の息子がここに住み、幼友達とめくるめく青春を過ごした。その恋人であった佐伯さんが、この図書館の管理者である。

歌が得意であった佐伯さんは、恋人と離れた悲しみを詞にして歌を作った。目にとまったレコード会社からレコーデングされ1970代の大ヒット曲になった。「海辺のカフカ」がその歌の題名である。歌詞を記そう。

あなたが世界の縁にいるとき
私は死んだ火口にいて
ドアのかげに立っているのは
文字をなくした言葉。

眠るとかげを月が照らし
空から小さな魚が降り
窓の外には心をかためた
兵士が立っている

海辺の椅子にカフカは座り
世界を動かす振り子を想う。
心の輪が閉じるとき
どこにも行けないスフィンクスの
影がナイフとなって
あなたの夢を貫く。

溺れた少女の指は
入り口の石を探し求める。
蒼い衣の裾をあげて
海辺のカフカを見る。

難解な詞で、一読意味が理解できない。だが、小説を読み進めると、この歌詞には小説の世界を暗示する言葉がちりばめられている。ページを読み進めると、交錯しながら進んで行く、二つの物語がどこで合体するのか、そんな興味も起こさせてくれる。魅力にあふれる村上ワールドへ読むものを引き込んでいく。
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冬至

2019年12月22日 | 日記
至は一年で一番夜の長い日である。太陽の位置が低く、影が長い。この日を過ぎると日が高くなりはじめ、昼が少しづつ長くなっていく。「冬至冬なか冬はじめ」という言葉があるが、日は長くなっていくが、これから小寒、大寒という寒さの厳しい季節になる。この日には柚子湯に入って身体を温め、あずきカボチャを食すのが庶民の習わしだ。小豆を食べるのは、中国の古い故事によっている。冬至の日に死んだ不才の子が、疫病神になった。この疫病神はなぜか赤豆を恐れた。そのために、人々は疫病神に取り憑かれないないように小豆粥を食べる風習になったと言われる。柚子にしても、小豆カボチャにしても、家族の健康を願ってものである。

冬至とて南瓜嫌ひも食わさるる 下村ひろし

南瓜はおいしい食べ物で、南瓜嫌いなどは考えにくい。だが、敗戦から数年の間、日本は国全体が食に貧し、その日の食べ物に困っていた。秋を待って、畑に生る南瓜はほとんど主食のように食べられた。来る日も、来る日も代用食の南瓜である。拳を握って開くと、手のひらは南瓜の黄色い色に染まっていた。幼いころ、もう南瓜は食べなくていい、と思った人も少なくない。かく自分もその一人だ。戦後の空腹の時代は、こんな南瓜嫌いを生み出していた。
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