常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

新田次郎

2019年12月21日 | 読書
朝方、街は濃霧に覆うわれていた。その濃霧がとれて、山の姿見え始めるときドラマがある。平地から霧が晴れ、高山は依然として霧に覆われ、里山が姿を現すが、山裾に、霧がたなびくように残る。そこには、幻想てきな光景が見られる。そんな瞬間に出会えるのは、ほんの一瞬である。窓の外で、晴れ上がっていく霧を見ながら、新田次郎の『山霧の告知』を読んだ。新田次郎といえば、気象台に勤めながら、山を舞台にした小説を書き続けている。つい先年も新田の『剣岳点の記』が映画化され、これを見た山の愛好家も多い。

この小説は、常念岳や大天井岳の小屋が小説の舞台になっている。この夏、仲間と登った山なので、同じ山岳小説でも、一層親しみが持てる。主人公は作家本人と思える柿沢で、日本アルプスの案内人の佐田が同行している。佐田は長野県遭難対策協議会の指導者でもある。佐田が手掛けた遭難事件は30件にも及び、担ぎ下した遺体も多い。その内、10件の行方不明者がいる。

小説の舞台は、上高地の徳沢の常念への登山口で始まる。ツガの大木の下に、登山者らしくない長い髪の女性がたたずんでいた。どこか見覚えのある女性であった。ちょっと目を外したとき、その女性は、ふいと視界から消えてしまう。ある女性、柿沢の回想でその女性の輪郭が描けれていく。最初にその女性を見たのは、柿沢が参加したヨーロッパの講演旅行の折である。ヨーロッパの大都市のホテルで、作家の講演が行われるのだが、柿沢の講演を聞きに来た女性がいた。

柿沢はロンドンの公園で、講演前の時間を過ごしていた。突然、声をかけてきた女性がいた。夫が作家のファンで、亡くなった後も、柿沢の研究をしているという。公園に霧が立ち込めてくると、自分は冬野春子と名のり、霧の中へ姿を消してしまう。公園の間、まるで追っかけのように柿沢の行く先に現われ、メモのなかの歌まで、読むという徹底ぶりである。

蝶ケ岳への急坂で、二人の後を追うように来る足音が聞こえた。山小屋で寝ていると、外から窓を叩くノックが聞こえる。極め付きは、枕もとで、先刻作ったばかりのヒヨドリの歌を朗詠する冬野春子の声である。これは、夢であったが、いずれの現象も同行する佐田にも分かっているらしい。佐田の動きがいつもとと違う。しきりと、辺りを窺うような行動をとるのだ。ここで遭難した女性がいた。結婚して、夫と二人で、蝶が岳へ登ったのだが、道を見失って、夫が鞍部で待っているように道を探しに行っている間に妻は姿を消してしまった。名は小林春子。

柿沢はそれらは、幽霊ではないかと疑う。佐田は、遭難した自分を探すものへのお知らせがあると、柿沢に告げる。最後になって、遭難した小林春子は、冬野春子であったことが分かる。作家の見たものは、生きた女性ではなく、すでに亡くなったいた人の魂であった。


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