常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

蟻とキリギリス

2020年11月20日 | 日記
垣根に紅い実が目立ち始めた。気温が高いといっても季節は冬に向っているのだ。あれほど、草陰で合唱していたキリギリスやコウロギの声はない。聞こえるのは高い木立から聞こえるヒヨドリや百舌鳥の鳴き声だけになった。ラフォンテーヌの寓話「蟻とキリギリス」は、世の子どもたちへの勤勉の教えとして世界中で知らぬ人はいないだろう。だが、サマセットモームはこんな訓話に不快感を示している。夏の間、歌って遊び暮らしたキリギリスが、冬になって食べるものがないのに気づき、蟻のもとに出かける。「少し食べものを分けてくれないか」蟻は「お前さん、夏の間は何をしていたんだい」。夜も昼も歌に明け暮れていたというキリギリスに、「なるほど、じゃあ今度は踊りにでも出かけたら」と蟻の答えはにべもない。

こんな蟻の態度に、子どもの頃のモームは、キリギリスの方に同情してしまった。蟻をみるたび、足で踏んづける自分を止めることができなかった。知り合いにある兄弟がいた。勤勉で確実に貯金をして年をとってからのために蓄えをしている兄、遊びに面白味を見つけ借金をしてまで遊びまわる弟。まるで、蟻とキリギリスだ。弟は兄にまで金を借り、競馬やばくち、きれいな女を連れて遊びまわった。そんな生活を見て兄が借金を断ると、兄の評判を落とすことをちらつかせる脅迫まがいの手さえ打った。ある日、レストランでこの兄が、身も世もないような悲しさを漂わせて食事をする姿があった。兄に同情を寄せていた作者は、「また弟が何かしでかしたのかね」と聞いてみた。兄の答えは、弟が結婚し、その相手が突然死んで弟が手にした莫大な財産のことだった。「不公平だ。畜生、こんな不公平があるもんか、とんでもない不公平だ。」

こんな結末を見て、アメリカの大統領選挙を争った二人の俤があった。キリギリスのバイデン、蟻のトランプ。放蕩を重ねるトランプに人気がこれほどあるのは、こんな寓話を憎む心がアメリカ人の心の中に、深く沈殿しているからではないか、そんな考えがふと頭をよぎった。

コメント
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