山に来て思うのは、一日とて同じ光景をみることはないということだ。晩秋から初冬へと季節の移ろいととも時々刻々と姿を変える山。季節の変わり目は一層その思いを強くする。雨呼山(906m)は、自分の住む家の北の方角に佇むひときわ高い里山である。山寺の立石寺から雨呼山、鵜沢山そして若松寺と峰で繋がる奧山駆けと呼ばれる修行回峰の行われた宗教の山でもある。
雨呼山の中腹に、爆発でできた窪地がある。ジャガラモガラ山と呼ばれ、姥捨て伝説がのこされている。今回の山行は、ここまで車で行きここを起点にした。ここでは紅葉が最後の輝きを見せていた。7時に家を出発、待ち合わせ場所の天童道の駅で7時30分、登山口は8時という近さである。
ジャガラモガラの標高は500m、ここには風穴がある。ここから吹き出す冷風が夏でもこの付近の気温を下げ、高山植物など珍しい植生が見られる。ここにはかつて池があり、そこに住む竜の伝説が残されている。仏向寺の一向上人が貫津の東漸寺で仏法を行ったときである。ここに住む年老いた竜が若い娘に姿を変え、上人の前に進み「私はこの池に住む竜です。日ごろの精進が足りず、成仏ができません。今日、上人のありがたい説法で成仏ができます。お力をお貸し下さい」上人は「御仏の力を借りよう」と念仏はを唱えると、竜は竜巻となって天国へと成仏を遂げ、そのお礼として竜が縫い目のない衣と手の判を残し、「日照りの時は、これを備えて呼んで下さい。いつでも雨を降らせましょう。」と言った。日照りが続き、干ばつのときは村の人々がこの衣と手の判を備えて山上で雨乞いをするようになった。そこでこの山を雨呼山と言われるようになった。
里山には植林がある。落葉松が落葉前の黄色い葉を輝かせていた。あくまでも真直ぐに天を突くような樹勢の落葉松と杉のコントラストが、この山の秋の光景の特徴である。紅い葉は一部カエデの紅葉を残すのみで、ブナやカラマツの黄色が主役の里山である。尾根まで急な勾配を登る。設けられた階段はすでに上のステップ部分が崩れ、枠を残すのみ、やや歩きづらい道であった。今日の参加者は8名、内男性3名である。
尾根はすでに分厚く落ち葉が散り積もっている。この上を歩くのは、下に石や木の根がかくれているリスクはあるが、葉がクッションになって足の衝撃をやわらげてくれる。サクサクという落ち葉を踏む音が山中に響く。そう言えば、山中では我々一行のほかは人がいない。もう、こんな美しい紅葉が終わろうとしているのに、ちょっともったいような気がする。東京では、昨日木枯らし1号が吹いた。落ち葉をもう止めることはできない。
木の葉ふりやまずいそぐないそぐなよ 加藤楸邨
1時間もかからずに尾根に出る。木の間から舞鶴山や天童市街、空には雲海のように広がる雲。木立ちばかりを見て登る山道が終わっていつも感動するのは、視点を変えて見える平地の広がりである。遠くに上山の大平山の佇まいも懐かしい気がする。1時間20分で頂上に着く。
帰りは往路を下る。危険な箇所に注意を払いながら一歩一歩しっかりと。途中からナラ沢への道を進む。沢の木にはムキタケが、少量出ていた。仲間たちはキノコも採るのが好きだ。さらにジャガラモガラの窪地に下り、風穴を実見する。ここら見る山の紅葉も素晴らしい。もう1週間早やければ、もっといい光景に出会えたであろう。昼食は林道入り口の蕎麦屋さんで付け蕎麦、美味。