常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

山茶花

2020年11月25日 | 登山
すっかり花がない季節だが、晩秋の小春日和ににぎやかな花を見せてくれるのが山茶花だ。紅葉さへも終わろうとしているのに、こんな花を見せられるとうれしくなる。長らく畑を借りていた地主さんへ、卒業の挨拶に行く。10年ほど続いた畑づくりの終了の日を山茶花のの花が祝ってくれた。

山茶花の日和に翳のあるごとく 西島 麦雨
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千歳山~護摩山へ

2020年11月24日 | 登山
寒気が入る前の、陽だまりのなか、この月最後の山行は千歳山。ホームグランドということもあってリラックスした山登りになった。定番の千歳山から山伏山を経て護摩山まで。奥には、やはりここまで来なければ見ることのできない絶景があった。正面の階段のある登山口への集合は9時。いつもの道をほぼ休憩なしで頂上まで42分。葉を落とした晩秋になると、山中はすっかり見通しがよい。切り倒された松の木が多く、ナラを含めて数千本の木々が倒されたという。葉の繁っている時期には見られない山肌や白鷹山、月山、上山の山々もぐっと近くに見える。本日の参加者9名、内男性3名。木曜会から珍しいTさんの顔が見られた。
頂上を越えて東へ下る道を進むと一気に景色が変わる。あれほど松枯れが進む西南の道とは全く異なって、懐かしい松の景観が広がる。目前に瀧山が迫り、そこへの山並みが見えて来る。標識を見ると、萬松寺へ、奥松山などの名が見える。しばらく下ると既に平清水方面まで来ている。GPSを見ると直進すると丸山、目的とする山伏山、護摩山のルートを外れているのが分かる。ここから道のない斜面を尾根道を目指して登る。10分ほどで正規の登山道に出た。山中に時折り単独行の登山者を見かけるが、晩秋の静かな山だ。一行の談笑だけが山中に響いている。

萬松寺はその縁起が伝説に依っている。人口に膾炙されて阿古耶姫伝説である。和尚の書きつけを記せば
「あこや姫は大識冠鎌足公の末孫、中納言藤原の豊満卿の姫君也。此国ニ下りて儲け給ひしなり。不斗ひとりの男夜毎ニあひ馴て深く契りを結び給いふ。或時姫聞きて、此年深く馴染まいらせしおこは、いづく名は何と尋ね給ひけるに
、名取左衛門太郎と答えて、又或夜物語に、我ハ此千年山の松の精也。然るに名取川の橋の修理に翌伐れ侍る。されども魂とゞまりて、引くとも動くまじ。其時里人に替べし。御身出て引給ふ時は、安くまいるべしと約しけるに、言葉に違はずなんありける。里人姫君をたのみけるに、姫綱に手をかけ給へば、安らかに名取川まで引付たり。此時今の笹谷峠を通るけるに、姫此松と道々さゝきけるに、私語峠なりしを、今に称してさゝや峠といふ習せり」

ほどなくして阿古耶姫は遺言して、亡骸は千歳山に葬り、その印として松を植えよと頼んだために、今頂上の阿古耶の松が植え継がれている。

帰路、稲荷神社から右の道を下り、赤十字へと下る。下山まで4時間。山かげに吹く風はさすがに冷たいものがあった。晩秋の陽ざしを堪能した山行であった。

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食べる

2020年11月23日 | グルメ
食欲の秋と言われるが、年とともに食欲も次第に減退する。食べることが生きることの基本だから、高齢になってからは美味しく食べる工夫も大切になる。年金生活で、高価な食材を自由に求めることもできない。食材では、先ず米が大事である。収穫が終り、新米が出回っている。親戚や知人から、新米をいただくのがこの季節の一番うれしいことだ。先ず、頂いた新米を真っ先に、おいしいうちにいただく。そうすることで、送ってくれた人への感謝の気持ちがより強くなる。知人の話を聞くと、持っている古米があるのでそれを食べきってから新米に手を付けるという人がいるが、これではせっかくの新米の味が落ちてしまい勿体ない。

戦後の食糧不足の時代、米がいかに大切なものであったか。こんなことに思いを馳せるのも、新米への感謝、日本人であることの満足感を増すことにつながる。戦後の料理研究家として知られる辰巳浜子の米に対する思いが時代を物語っている。

「お百姓さんの労苦を察してと、釜底のおこげはもちろん、お鉢の洗い流しの一粒さえ食べさせられました。汽車弁をいただく時は、必ず蓋についた米粒を丹念につまむことから教えられました。」(辰巳浜子『料理歳時記』)

わが家でも、余ったご飯を干飯にして、炒って砂糖をまぶして子どもたちのお八つしたものだ。

業務スーパーで見つけた二つの食材がある。ひとつはオートフレーク。これをつかったお粥は、60㌘に水300㏄、塩ひとつまみ。耐熱容器にこれを入れてレンジで4分加熱してできあがり。驚くほどの簡便さだ。これは北海道いたころ、畑に植えられて牛や豚の飼料に使用されていた。これが食用として人気を博したのは、豊富に含まれる食物繊維によるコレステロール減少効果によっている。実際に食べてみるとこのオート粥は、食感もよく米の粥にそん色のない美味しさだ。原産地チェコ。もう一つは、「プチっと鍋」(エバラ)のとんこつ醤油味。これも、高齢者が小人数でつくるこの季節の鍋料理に簡便でもってこいである。プチっと鍋ふたつ、水300㏄を鍋に入れて、キャベツ、豚肉、長ネギ、モヤシ、ニンジン、キノコを入れて野菜に火が通ると出来上がり。身体が芯から温まる。残った知るには、ウドンやオートを入れて締めにできる。冬を乗り切る強い味方だ。

寄せ鍋に睦みて忘る過ぎしこと 鷲谷七菜子
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晩秋

2020年11月21日 | 日記
秋の終りをもう80回近く迎えているが、年々その感じ方は変わってくる。今年は木枯らしが吹いても、また季節が逆戻りしたようになって、次の季節を迎えることをためらっているようである。夏が終わって一気に冬というイメージがここに来て少し長い秋を楽しませてくれる。ベランダから見る山々も、まだ葉を落とさずに最後の彩りを見せている。夕陽を美しく感じるのも一入である。先日、夕日を沈むのを追いかけるようにして、三ケ月が出たのが感動的であった。あたり前の景色に、感情を移入するという経験の記憶はないが、これも高齢になったせいであろうか。

「あかね色の空は、濃く朱がかかったところもあり、薄く紅がかかったところもあり、それに薄紫や薄あい色のところも少しあった。もっとほかの色もあって、夕もやのなかに溶けあい、じっと垂れているようでもあり、消えてゆきそうであった。」(川端康成『舞姫』)
 
皇居の森の夕焼けを、川端はこんな風に描いている。その観察眼は、詳細で時間の経過も書き込んで余すところがない。夕方に散歩をするようになって、朝とは違う風景を見ることが多くなった。夕焼けの暖色は、秋の景色のなかで心を和ませてくれるものがある。

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蟻とキリギリス

2020年11月20日 | 日記
垣根に紅い実が目立ち始めた。気温が高いといっても季節は冬に向っているのだ。あれほど、草陰で合唱していたキリギリスやコウロギの声はない。聞こえるのは高い木立から聞こえるヒヨドリや百舌鳥の鳴き声だけになった。ラフォンテーヌの寓話「蟻とキリギリス」は、世の子どもたちへの勤勉の教えとして世界中で知らぬ人はいないだろう。だが、サマセットモームはこんな訓話に不快感を示している。夏の間、歌って遊び暮らしたキリギリスが、冬になって食べるものがないのに気づき、蟻のもとに出かける。「少し食べものを分けてくれないか」蟻は「お前さん、夏の間は何をしていたんだい」。夜も昼も歌に明け暮れていたというキリギリスに、「なるほど、じゃあ今度は踊りにでも出かけたら」と蟻の答えはにべもない。

こんな蟻の態度に、子どもの頃のモームは、キリギリスの方に同情してしまった。蟻をみるたび、足で踏んづける自分を止めることができなかった。知り合いにある兄弟がいた。勤勉で確実に貯金をして年をとってからのために蓄えをしている兄、遊びに面白味を見つけ借金をしてまで遊びまわる弟。まるで、蟻とキリギリスだ。弟は兄にまで金を借り、競馬やばくち、きれいな女を連れて遊びまわった。そんな生活を見て兄が借金を断ると、兄の評判を落とすことをちらつかせる脅迫まがいの手さえ打った。ある日、レストランでこの兄が、身も世もないような悲しさを漂わせて食事をする姿があった。兄に同情を寄せていた作者は、「また弟が何かしでかしたのかね」と聞いてみた。兄の答えは、弟が結婚し、その相手が突然死んで弟が手にした莫大な財産のことだった。「不公平だ。畜生、こんな不公平があるもんか、とんでもない不公平だ。」

こんな結末を見て、アメリカの大統領選挙を争った二人の俤があった。キリギリスのバイデン、蟻のトランプ。放蕩を重ねるトランプに人気がこれほどあるのは、こんな寓話を憎む心がアメリカ人の心の中に、深く沈殿しているからではないか、そんな考えがふと頭をよぎった。

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