長引く感染症で人の心も暗くなっている。憂いを忘れるために飲むのは、菊酒である。忘憂のもの、陶淵明の詩に詠われている。ときには、夕食の前に菊の酢の物で、酒を酌み、コロナの憂いを忘れたくなる。漱石は酒はたしなまなかったが、菊の花を愛し、しばしば飲酒の世界の句も作っている。
黄菊白菊酒中の天地貧ならず 漱石
禅の言葉に「一壺の天」というのがある。後漢書の神仙譚に、壺の中を出入りする仙人を見た人が、頼んで壺の中を案内してもらった。そこには、天地が無限に広がり、花々が咲き、仙人たちが集まって楽しく歓談している。そこは別天地であった。漱石は壺中の天地を、酒中の天地に置き換えているが、日常を離れた別世界であり、そこは貧しいところではないとした。桃源郷も俗世界を離れた別天地である。竜宮城などはまた違い、憂いのない日常というべきか。人間の願望は、そうした些細な幸せを求めていたのであろうか。