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今日の気温31℃。5月の中旬で早くも真夏日になった。明日も同じ傾向の晴れと気温になる。あたりには夏の花が競うように咲きほこっている。テッセン、芍薬。知人からいただいた蕾の芍薬が、朝開いて、午後は全開になった。少しずつ、じわっと咲いていくのが醍醐味ではないか。真夏の気温は花の散り際を急がせる。ベランダのプランターにバジル、ラベンダー。先週買ったトマトの脇にキュウリの苗を一本植えた。この時期、朝鉢の植物たちが水を欲しがる。朝夕、ジョウロで水をやると、うれしがる仕草が見える。朝の連ドラの影響か、植物と対話するような日常が始まった。
当帰よりあわれは塚のすみれ草 芭蕉
ベランダの鉢のスミレはとっくに花の時期を終り、鉢からあふれんばかりに葉をのばした。呂丸という俳人がいた。芭蕉は奥のほそ道の旅で、羽黒山、湯殿山から月山に登っているが、羽黒山を案内したのが呂丸だ。本名近藤佐吉、羽黒門前町で染物屋を営んでいた。この折芭蕉の門に入り、元禄5年には江戸の芭蕉を訪ね、京都への旅に出た。旅の途中に病を得て、京都の去来宅で、元禄6年2月2日に客死した。芭蕉は呂丸の訃報を聞いて残念がり、詠んだ哀悼の句である。
当帰というのも植物で、奥の細みちの旅のころ山野に自生していたと思われる。せり科の植物で、全体に芳香がある。葉の先に白い花をつけ、止痛、鎮静や婦人病などに薬効があることで知られる。句の頭に入れたのは、旅人が当(まさに)帰(かえるべし)の意味らしい。羽黒の塚のあたりに咲いているスミレが呂丸の死を悼んで咲いているとしたものであろう。呂丸は芭蕉たちを自宅の泊め、この地で芭蕉、曽良、重行と4人で歌仙一巻を上げている。芭蕉の発句。
めずらしや山をいで羽の初茄子 芭蕉
温海では、温海山を見上げて詠んだ句もある。健脚芭蕉が案内の人と行をともにしたとはいえ、舟のほかはほぼ徒歩で、しかも嶮しい山にも登って句を詠んでいるのは、今に生きる我々へのエールである。
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