ネコのミモロのJAPAN TRAVEL (Mimoro the cat:JAPAN TRAVEL)

「京都観光おもてなし大使」のライターとネコのミモロが、京都の情報や暮らし、グルメなどをご紹介。心和む雑誌のようなブログ

清水坂にある国の登録文化財の洋館「五龍閣」。4階の望楼から眺める、眼下に広がる京都の町

2013-08-18 | 歴史・史跡


清水坂の中ほどにある4層建ての洋館「五龍閣」。清水坂は、何度も行っているのに、なぜか知らなかったという人が多い場所です。ミモロも同じ…「ホント、こんなりっぱな洋館なのにどうして気づかなかったんだろ?」と…。
それは、人通りの多い、清水坂から、少し南に入った場所にあるからです。
清水寺参拝に急ぐ人たちにとって、脇にずれるというのは、意外に少ないよう…。

さて、昨日もお話しましたが、大正11年に竣工されたこの洋館は、清水焼の窯元として事業を発展させた実業家、松風嘉定の邸宅であり、迎賓館でした。その設計は、近代建築の父とも称され、京都帝国大学建築学科の創設者、武田五一によるものです。

現在は、京料理の「順正」が所有し、2009年から「夢二カフェ 五龍閣」として、豆腐のスイーツや京野菜のカレーなどが味わえる素敵なカフェになっています。


美味しい京野菜のハンバーグを食べたミモロは、この洋館の中を見学へ。また、「順正」の福井孝祐さんにもお話を伺いました。
「京都の洋館のなかでも、なかなか見応えがある建物ですよ」と。

さて、この洋館の特徴は、武田五一らしい巧みで、重厚感がある和洋折衷建築にあります。それを代表するのは、昨日もお話した屋根の風見鶏とシビ。「この組み合わせは、他にはないかも…」とミモロ。

ミモロが、ハンバーグを食べた1階は、オーナーであった松風が、かつてゲストたちを招き、ダンスなどをしたボールルームだったそう。

現在、大きな丸いテーブルがある場所には、ビリヤード台が置かれていたとか。大正から昭和初期にかけて、華やかな夜が展開されていたのが、想像できます。

「この建物の窓や照明が素敵だねー」とミモロ。

りっぱな建材を多用した館内は、惜しみなく財を注いだ上質で贅沢な雰囲気があふれています。窓には美しいステンドグラスがあり、いっそう華やかさを演出…。
建築を担ったのは、当時、寺社仏閣を建てた宮大工。その確かな腕前が、存分に活かされた美しい洋館なのです。

エントランス部分は、なんと3階までの吹き抜け。

「なかなかダイナミックだねー」と、2階には、大きな広間が、そして3階は、ドアが並び、きっと宿泊のためのお部屋が用意されていたのでは?

高い天井からは、アールデコ様式を思わせる照明が下がっています。「実は、この照明の電球を交換するのが大変なんです」と福井さん。
吹き抜けの真ん中にさがる照明には、下から梯子も届きません。そこで、周囲の手すりの上に、板を渡し、その上に三脚をのせて、電球交換をするそう。「とても我々ではできないので、電気工事関係の人にお願いするんですよ。昔は、どうやってたんでしょうねぇー」と。今より、電球は頻繁に切れてしまったはず、素晴らしい洋館を維持する苦労も。

「結構、高さがあるから、電球交換も怖いねぇー」と、下を見ながらミモロは震えます。

2階は、やはりパーティーなどが行われた大きな部屋が。
宮大工の仕事らしく格子天井が見事です。「この感じ、箱根の富士屋ホテルや、奈良の奈良ホテルみたい…」

「この建物って、窓がステキ…」さまざまな形や大きさの窓には、1階同様、美しいステンドグラスが入っています。

ミモロが気に入ったチューリップのステンドグラスは、現在の2階の婦人用トイレの窓にありました。

「あ、さっきいた噴水が見えるー」ミモロの眼下には、大きな噴水と共に、周囲の山並みが、建物の屋根越しに広がっています。

「今日は、ミモロちゃんに特別な場所を見せてあげますねー」と福井さん。「えー特別な場所?どこどこ?」と、ミモロは、目を輝かせながら、福井さんの後に続きます。

3階のドアのひとつを開けると、そこには、目の前に階段が。「急な階段だから、滑らないようにねー」と言われながら、それでもはやる気持ちを抑えきれず、急ぎ足で、階段を上がり切ったミモロ「わースゴイー!」と。
なんとミモロが、連れて来て頂いたのは、建物の一番上の天守閣のような形の望楼です。ここは、松風自身が、最も気に入っていた場所だとか。屋根のシビ越しに、京都の町が広がっています。

小さな四畳半くらいのスペースで、周囲の窓には、透明なガラスが入り、360度見渡せるようになっています。まさにパノラマ様な景色です。
「あ!京都タワー…」と、ミモロが南西方向に夢中になっていると、「こっちもいい景色ですよ」と東側を指さします。
「あ、ホント、清水寺がよく見える…」夜間拝観で、ライトアップされた清水寺が山に浮かび上がっています。

「あのサーチライトなあに?よく郊外のパチンコ屋さんが出してるよねー」とミモロは、不思議そう。
「あのライトは、天に繋がる道を表しているそうですよ」と福井さん。郊外のパチンコ屋さんが訪れる人に所在地を知られるライトとは目的な違います。「あ、そうだよねー。清水寺だもんねぇー失礼致しました…」と、ペコンと頭を下げるミモロでした。

「清水寺の塔は三重。そして、山の麓の八坂の塔は、五重です。そこで中間に位置するここは、四階に望楼を作り、四重の塔の感じにしたとか…」と福井さんの説明に「なるほどー」と、即納得。夜が迫る京都の町を眺めながら、ミモロは、言葉少なに…じっとしています。
「ここの景色は、素晴らしいねえー。松風さんが、ここが好きなのもわかる…きっといろいろ考えたんだよね、ここで一人で…実業家って、孤独だものねぇー」と。

今でこそ、周囲に建物が立ち並び、すぐ下の祇園エリアはここからはよく見えませんが、かつては、祇園の家並みや鴨川沿いの町家なども眺められたことでしょう。

建築家、武田五一が活躍した時代、それはまさに京都が近代の繁栄を極める時代に重なります。
天皇が東京に移られてから、一時は衰えた京都の活気は、その後、日清、日露戦争の軍事景気などを背景に蘇り、財を成した関西の実業家たちは、次々に別邸や迎賓館を京都に構えるのが、ひとつの流行になった時期です。
特に、京都の町を望み、また、歴史ある東山エリアには、多くの立派な建物が作られました。

「でも、その当時の実業家って、お金の使い方に、文化を感じるねー。そういうお金持ちがいたらか、宮大工さんもハリキッテいいお仕事ができたんだよねー」とミモロはポツリ。

「ここは、実はね、結構住みにくかったみたいで、主にゲストを迎える迎賓館として使用されていたようです」と福井さん。「こんなに広いおうちじゃ、お掃除大変だもんねー」と、ミモロの庶民的想像。きっと他に別の理由があったはず…。

「どうもありがとうございました。特別にこんな素晴らしい景色を見せて頂いて…」とお礼を…。ホント、ありがたいことです…。

一般の方は、2階まで、特別なイベントなどがない限り、上がることができます。洋館ファンには、必見の場所。


*「夢二カフェ 五龍閣」の詳しい情報は、ホームページで、どうぞ…



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コメント (3)
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