春の訪れが、感じられる京都。
「でも、昨日は、雪もまだ降ってたよね~」と、春が待ち遠しいミモロ。油断していたら、また急に冬に逆戻りして、ブルブルと震えています。
さて、そんなある日、ミモロは、哲学の道をトコトコ歩き、「法然院」にやってきました。

山に抱かれるように佇む「法然院」は、正式には、「善気山 法然院 萬無教寺」(ぜんきざん ほんねんいん ばんぶきょうじ)といい、江戸時代の延宝8年(1680)に、知恩院第38世萬無和尚が、法然上人ゆかりの地に念仏道場建立を発願し、その弟子によって現在の伽藍の基礎が築かれたのでそう。
この地が、法然上人ゆかりの地といわれるのは、鎌倉時代の初めに、法然上人が、ここに草庵をむすび、弟子の安楽、住蓮と共に、念仏三昧の行を行っていたのです。ところが、建永元年(1206)に、後鳥羽上皇が熊野詣の留守中、院の寵愛する女房の松虫、鈴虫が、安楽・住蓮を慕い、出家してしまいます。これに怒った、後鳥羽上皇は、二人の僧を死罪に。そして法然上人は、讃岐へ。当時法然の弟子であった親鸞は、越後へ僧籍剥奪のうえ、配流されてしまいます。
この後、法然は、赦免され、京都に戻りますが、建暦2年(1212)に他界。越後にいた親鸞も赦免され、法然との再会を願いますが、豪雪に阻まれ、京都に行くことができぬまま、法然の死を知ることに…。そこで、親鸞は、越後にとどまり、東国での布教に力を注ぐことになります。
法然、親鸞が、京都を追われる切っ掛けとなった事件にかかわるのが、この「法然院」のある場所なのです。

山門を入ると、真っ先に目にする「白砂壇」(びゃくさだん)は、水を表し、ここを通ることで、浄められ、また浄域に入ることを意味するのだそう。
「単に、砂のお山じゃなかったんだ~」とミモロ。お寺や神社にあるものは、何かしら深い意味を持っています。
境内は、今、緑の苔が清々しく…。「見ているだけで、浄められる感じがする~」

そして、今、小さな椿が、境内のあちこちで咲き始めました。

「ここは、椿と紅葉が有名なんだよね…」とミモロ。そう、秋の紅葉の美しさは、多くの人に知られますが、3月下旬から4月にかけて、椿の花が境内を彩る景色も、趣があり、多くのカメラマンを引き寄せる美しさ。
ミモロは、この日、「京都の観光文化を考える会 都草」の美化活動に参加。寺の駐車場の草取りをお手伝いした後、本堂で、ご住職のお話しを聞くことに…。特別公開でしか入れぬ本堂に進みます。


はい、お靴もちゃんと揃えて…。
「わ~広いお寺なんだ~」普段は、公開されていないので、このお寺の広さがわかりませんでした。


三種類の椿が植えられ、花の時期は、3月下旬から4月中旬ころ。「残念、まだ早かった~」と…。さぞや満開の時は、華やかなことでしょう。
「あ、椿の花が浮かんでる…」

庭におかれた水盤には、椿の花が数個浮かんでいます。

「なんて、素敵な演出だろ~」と、まだ色の少ない冬景色に目が引き寄せられる可憐な椿の花です。
本堂には、ご本尊、阿弥陀如来坐像が、穏やかなお姿で…。思わず手を合わせるありがたいお姿…。そしてその前の須弥壇には、二十五菩薩を象徴する生花が、散華されています。冬から春は、椿、春から秋は、ツツジ、紫陽花、芙蓉など、そして秋から冬は、菊の花が、阿弥陀様の前に整然と並びます。
毎年、春と秋に行われる「伽藍内特別公開」で、ご本尊を拝むことができます。
春は、4月1日から7日 9:30~16:00 文化財保存協力料500円を納めます。
「4月になったら、きっと椿がキレイに咲いてるはず…。また来なくちゃ!」と、また春の楽しみが増えました。
境内の東側の山は、墓所になっています。
「ここに文豪、谷崎潤一郎のお墓があるんだって…」と、山に向かうミモロ。
「あ、ここだ~」墓所の高い位置に、ひっそりと墓石が。奥様と共に眠る墓所です。


京都をこよなく愛した谷崎、「京都に暮らしたいって願う文化人って多いよね~」。
四季折々、さまざまな表情を見せてくれる京都…文化人ならずとも、一度は暮らしたい、そんな町です。
*「法然院」の詳しい情報は、ホームページで

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