春のある日、ミモロは、伏見桃山にある「御香宮(ごこうのみや)神社」に出かけました。ここは、以前にも何度か来たことがある神社です。


表門は、国指定の需要文化財。元和8年(1622)水戸光圀の父である徳川頼房によって、寄進された伏見城の大手門です。
参道をトコトコ進むと、「あ、春~」ミモロが参道の両側をあちこち歩き始めました。「椿が咲いてる~」


白いお花も枝に下がっています。桃の花も鮮やかに…


「春だね~」そう言いながら、春の陽光を浴び、参道を進むミモロです。
拝殿は、寛永2年(1625)紀州徳川家の初代党首、徳川頼宣が寄進したもの。鮮やかな彩色が施された豪華は彫刻が見事です。


「なんか日光東照宮を思い出す~」とミモロ。ほぼ同じような年代に作られた建物です。
ここ「御香宮神社」は、神社の名の由来ともなっている名水で知られます。でも、創建当時は、なんとその名は、「御諸神社」、そう「みもろ神社」だったなのです。現在の名前は、平安時代に、名水が湧き出たことから、清和天皇が命名されたとか。
「え~もし、お水が湧きださなかったら、今も『みもろ神社』だったんだ~」とちょっと残念に思うミモロでした。
「でも、この水、みんなのお役に立ってる大切なお水…湧き出してよかったね。さあ~お水で、お清めしなくちゃ…」

神功皇后、仲哀天皇、応神天皇をご祭神にお祀りする本殿に参拝するミモロです。


さて、この日、以前から訪れたかった小堀遠州ゆかりの石庭を拝見することに…。
社務所の横から、お庭の見える建物に入ります。
お座敷には、古い調度品が展示されていました。



さて、お庭に目をやると…

ここにある石庭は、そもそも小堀遠州が、元和9年(1623)に伏見奉行に着任後、庁舎の新築を命じられ、作庭したもの。それを上洛の折りに見た、三代将軍家光が、感激して、遠州は、大名に任ぜられることに。つまり、この石庭は、遠州の出世作。
もともと伏見奉行がおかれた場所は、明治以降、陸軍工兵隊の駐屯地、戦後は、米軍キャンプなどに変遷し、お庭自体も相当荒れ果ててしまったのだとか。昭和になり、庭を崩して更地にする計画が持ち上がり、それを惜しみ、「御香宮神社」に移築して、新たに整えられたのだそう。
「だから、あくまで遠州ゆかりの石庭なんだ~」とミモロ。

京都の多くの寺社仏閣の美しいお庭は、戦後整えられたもの。戦時中は、食糧調達のために、畑になった庭も多かったとか。また、植物自体、成長したり、また枯れたりしたものもあるわけで、作られた当時のオリジナルな姿とは、違って当たり前なのかもしれません。でも、京都のすぐれた造園家や業者により、現在の美しい姿を維持されているのです。
庭は生き物。時の流れと共に変化すること自体を楽しめばいいのかもしれません。
庭の中ほどには、大きな手水鉢。

「手水鉢というより、石のお風呂みたい…」とミモロ。そこには、うっすらと文明9年(1477)という文字が刻まれているそう。
1477年は、応仁の乱が終わった年。「え~この手水鉢、そんなに古いんだ~」と改めて驚くミモロです。

再び、境内の中を歩き始めたミモロ。
「あ、この舞台…前に狂言見に来たところだ~」。そう、ここでは、年に何回か、狂言などが演じられます。

「ホント春だね~」温かな陽射しが、ミモロをウキウキさせて…。
京都の各所では、そろそろ桜も咲き始める時期を迎えました。
*「御香宮神社」の詳しい情報は、ホームページで

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