M's World

食と酒にまつわるエトセトラ

さしす「せそ」

2011年10月09日 | グルメ

さしす「せそ」
さしす「せそ」

後輩のオススメで広島の新天地公園近く『せそ屋』さんに連れていってもらいました。

「料理のさ・し・す・せ・そ」の「せそ」です。

つまり「せ(醤油)」と「そ(味噌)」にこだわった店です。

「刺身の盛り合わせ」は、6種類の醤油を素材、好みに合わせて使えます。

塩分の強い辛口が2種類、マイルドな甘口が2種類、だし醤油とポン酢。

店員さんが丁寧に説明してくださいました。

脂の乗ったサーモンとカンパチには甘口、白身の鯛には辛口で食べてみました。

魚がいいのはもちろんです。更に醤油でも楽しめるのは面白いですね。

   

「そ」は「おかず味噌」をいただきました。

「にんにく味噌」「唐辛子味噌」「鶏味噌」「豚味噌」「ネギ味噌」「じゃこ味噌」「えび味噌」「梅味噌」

ご飯のお供に最高ですが、今回はお酒のお供に。

味噌をアテにしながら、広島の酒「亀齢」と「天宝一」を燗で。

 

日本酒、醤油、味噌

日本の伝統的醸造文化って、いいですね。

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酒まつり

2011年10月09日 | グルメ
酒まつり


去年も一昨年も、そして今年も。 一年に三回、広島を訪れています。

大林宣彦監督の尾道三部作は、 「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」
1980年代の邦画の名作。



私の広島三部作は、
「全国新酒鑑評会前夜祭」「十四代はもういい会」そして「西条酒まつり」



10月は「西条酒まつり」!
グローバル!インタナショナル!
きっと世界ランクのまつりです。



「祭り」は日本独自の歴史、文化の中で育まれたものですが、お酒(アルコール)に関しては世界共通ですね。



酒まつりの中で全国の日本酒が飲めるのが「酒ひろば」です。
これを目当てに?世界中の酒呑みが集まってきます。



みんなが笑顔です。 楽しそう、幸せそうです。
(幸せのまま深い眠りに堕ちていく人もたくさんいましたが。。。)



笑顔をみると私も自然に笑顔になります。
ほんの小さな「酒ひろば」の空間が、この瞬間、世界中で一番幸福な空間に違いない!と感じます。
この幸せが明日の朝まで続けばいいのですが(笑)




今年は中部地方を中心に攻めてみました。

〈富山県〉
若鶴 雄山錦
〈石川県〉
大江山 純米酒
〈福井県〉
一本義 生もと造り純米酒
〈山梨県〉
酵母のほほえみ
〈長野県〉
七笑 辛口純米酒
純米 深山桜
〈岐阜県〉
いびの蔵
美濃菊 特別純米酒
初緑 山田錦純米65%
飛騨路の寒椿
〈静岡県〉
志太泉 純米酒
葵天下 誉富士全量
臥龍梅
〈愛知県〉
ほしいずみ
朝日嶽 純米酒
ねのひ 本醸造
純米 神の井
〈兵庫県〉
純米 喜一
福寿 純米酒 御影郷
〈福岡県〉
玉水


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ジャニスに捧ぐ

2011年10月04日 | グルメ
ジャニスに捧ぐ



10月4日はジャニス・ジョプリンの命日だそうです。


27歳の若さで亡くなったロックシンガー。
私はMove Overが好きですね。
今でもカッコイイ!


今宵はジャニス・ジョプリンに捧ぐ
彼女の愛した「サザンカンフォート」を飲みます。

ジャニスの時代よりアルコール度数はかなり低くなっているそうですが、フルーティなフレイバーです。
一年に一度、飲む酒があってもいいんじゃないかな。


Mercedes Benz 買ってあげるよ。

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宿酔の朝に

2011年10月02日 | グルメ

宿酔の朝に

夕べの宴会はホントに楽しかったぁ
たくさんの人とお話ができて、美味しい料理を食べて、お酒をたらふく飲んで。
ホントに幸福でした。。。。
 
しかし、、、映画『探偵はBARにいる』でも引用されてました。
萩原朔太郎が私の生まれる前に今の私のために詠んだ詩
 
  
泥醉の翌朝に於けるしらじらしい悔恨は、病んで舌をたれた犬のやうで、魂の最も痛痛しいところに噛みついてくる。
夜に於ての恥かしいこと、醜態を極めたこと、みさげはてたること、野卑と愚劣との外の何物でもないやうな記憶の再現は、砒毒のやうな激烈さで骨の髓まで紫色に變色する。
げに宿醉の朝に於ては、どんな酒にも嘔吐を催すばかりである。
ふたたびもはや、我等は酒場を訪はないであらう。我等の生涯に於て、あれらの忌忌しい悔恨を繰返さないやうに、斷じて私自身を警戒するであらう。と彼等は腹立たしく決心する。
けれどもその日の夕刻がきて、薄暮のわびしい光線がちらばふ頃には、ある故しらぬ孤獨の寂しさが、彼等を場末の巷に徘徊させ、また新しい別の酒場の中に、醉つた幸福を眺めさせる。
思へ、そこでの電燈がどんなに明るく、そこでの世界がどんなに輝やいて見えることぞ。
そこでこそ彼は眞に生甲斐のある、ただそればかりが眞理であるところの、唯一の新しい生活を知つたと感ずるであらう。
しかもまたその翌朝に於ての悔恨が、いかに苦苦しく腹立たしいものであるかを忘れて。げにかくの如きは、あの幸福な飲んだくれの生活でヘない。
それこそは我等「詩人」の不幸な生活である。
ああ泥醉と悔恨と、悔恨と泥醉と。いかに惱ましき人生の雨景を蹌踉することよ。

 

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