かーちゃんはつらいよ

施設入所した18歳そうちゃん(自閉症、最重度知的障害、強度行動障害、てんかん)のかーちゃんが書く雑記。

24時間テレビに思う事

2018年08月27日 18時10分23秒 | みゆみゆとの生活
今日は24時間テレビのまとめを見ながら、
自分もがんばろうとか、
寄付金すごいなとか、
自閉症の子は出てこないなとか、
いろいろ考えた。
みやぞんのゴールに、聴覚に障がいのある子のダンスに、ウルウル。
私はこの番組が好きでも嫌いでもなくて、でもついつい見ては泣いてしまうタイプ。

1つだけ、違和感があるのは。
何度か出てくる「障害に負けないで頑張る」という言葉。
障害は、寄り添って受け入れて仲良くなるものだと思うんだ、私は。
向き合い・戦い・克服し・打ち勝とうとするのは、しんどい気がして。
全てのケースに当てはまるわけではないことはわかっているのだけれども。


24時間テレビが始まった時代(1978年)、まだ福祉は今ほど身近ではありませんでした。
その時代から考えればこの番組の果たしてきた役割は画期的です。
お茶の間に障害児者の声が届く、こんなチャリティー番組はなかったのだから。

それから約40年。
24時間テレビについては賛否両論あって、否定派の声も多く聞くけど。
福祉・災害復興・環境保全を目的としたチャリティ、大事よ。
私は、残っていってほしい。
もっと進化しながら。

番組が生まれた時代は、障害のある人を行政が費用を出して保護する「措置制度」が基本となった考え方でした。
今は「障害福祉サービス」を受けながら「障害があっても地域で共に生きる」方向に、大きく社会は転換しています。
そのこと、製作者サイドがよく知らないんじゃなかろうか。
と思う演出も、ある。


「障害者が主人公の感動ドラマ」じゃなくて、普通に障害者が街や家庭にいるドラマにしてほしいなー。
ヒロインの弟が知的障害児でただ一緒に晩ご飯食べてるとか、
打ち合わせで入った喫茶店の店員が身体障害があるとか。

「そうちゃんと行く!はじめてのおつかい」みたいな、芸能人と自閉症の子が一緒におつかいに行く企画とか、どうだろ。
面白いんじゃないかなー。
自閉症を知らない人も、何回か会ってコツをつかめば絶対仲良くなれるはず。
けど、どんなに準備してもパニックになったり予定通りいかないことはある。
そんなプロセスも、見ごたえがあると思う。

発達障害・知的障害・精神障害などの障害のある人は、24時間テレビにはほとんど出てこない。
それは、予定調和が崩れるから。
だったら、それを楽しめばいいのに。生放送が怖きゃ録画でいいから。

なーんて勝手なこと言ってますが。
主義主張に合わない方はスルーしてくださいね。

24時間テレビに限らず、常日頃思っているのです。
テレビに、人口比率と同じ割合で障害児・者が映るべき、と。

そうちゃんと暮らす毎日は、しんどいことも多い。
少なくとも今のように福祉サービスが整ってなかったら家庭では育ててこられなかった子だろうと思う。
先のことはわからないけど、今の生活を大切にしたい。
そうちゃんの障害も、他の人たちの障害や個性も、寄り添って受け入れて仲良くなって、その中で自分らしさを見つけて生きていきたいと。

そんなことを壮大に考えてしまうのは、やはり疲れがたまりすぎたからなのかもしれません。脳内が多動。
今日は早寝します。

無力感と疲労とそれから寂しさ

2018年08月27日 17時06分44秒 | みゆみゆとの生活
そうちゃん、この夏最後のショートステイに行きました。
1週間の予定なので、実質夏休みはもう終わりです。

ショートトステイ先の玄関で、「ここは いやー!いかない!」と座り込み。
珍しい。
ん?でもデジャブみたいに見たことある光景。
去年も8月最後のショートは嫌がったような・・・。
一年ぶりの拒否でした。
いつもはニコニコで行くのにね。

今年の夏はしんどくて、何度か「もう自宅では育てられないかも」と頭をよぎった。
ショートステイに行く日を早めてもらうように電話しようか、とさえ思った。
だけど、実際に別れ際に泣かれるとやっぱりかわいそうになってしまう。
そして、それでも連れて帰ることはしない自分を、少し情けなく思う。

もうろうとして深く物事を考えられないくらい疲れていて、
無力感でいっぱいで、寂しくて。
帰りの車、一人の車中で少し涙ぐみました。

ゆっくり一人でお昼ご飯を食べ、午後仕事に行って知り合いとしゃべって、
じっくりスープを煮込みながら考え事(妄想とも呼ぶ)したりして、
やっと元気が出てきたよ。

どんなことを考えたかは、長くなりそうなので次の記事に分けます。