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古典和歌をメインにブログを書いてます。歌題ごとに和歌を四季に分類。

古典の季節表現 秋 九月上旬

2015年09月08日 | 日本古典文学-秋

 遥けき野辺を分け入りたまふより、いとものあはれなり。秋の花、みな衰へつつ、浅茅が原も枯れ枯れなる虫の音に、 松風、すごく吹きあはせて、そのこととも聞き分かれぬほどに、物の音ども絶え絶え聞こえたる、いと艶なり。(略)
 はなやかにさし出でたる夕月夜に、うち振る舞ひたまへるさま、匂ひに、似るものなくめでたし。(略)
 風、いと冷やかに吹きて、松虫の鳴きからしたる声も、折知り顔なるを、さして思ふことなきだに、聞き過ぐしがたげなるに、まして、わりなき御心惑ひどもに、なかなか、こともゆかぬにや。
 「おほかたの秋の別れも悲しきに鳴く音な添へそ野辺の松虫」
(源氏物語・賢木~バージニア大学HPより)

三条には、やうやう秋深くなるままに、いとどもの悲しく、虫の音(ね)、風の音(おと)につけても、涙も露もともにおき明かし給ひて、
 虫の音も我が身もともになき明かす浅茅が原ぞいとど露けき
(あきぎり~中世王朝物語全集1、笠間書院)

五七日にもなりぬれば、水晶の数珠子(ずずこ)、女郎花(をみなへし)の打枝につけて、諷誦(ふじゆ)にとて賜ふ。同じ札(ふだ)に、
  さらでだに秋は露けき袖のうへに昔をこふる涙そふらん
かやうの文(ふみ)をも、いかにせんともてなし喜ばれしに、「苔(こけ)の下にもさこそと、置きどころなくこそ」とて、
  思へたださらでもぬるる袖のうへにかかるわかれの秋の白露
ころしも秋の長き寝ざめは、物ごとに悲しからずといふことなきに、千万(ばん)声のきぬたの音を聞くにも、袖にくだくる涙の露を片敷きて、むなしき面影をのみしたふ。
(とはずがたり~講談社学術文庫)

なが月のはじめのことなれば、霜がれの草むらに、なきつくしたる虫の声、たえだえきこえて、岸にふねをつけて泊りぬるに、千声万声の砧のおとは、余寒(よさむ)の里にやとおとづれて、浪の枕をそばだてて聞くもかなしきころなり。明石の浦の朝霧に、島がくれゆくふねどもも、いかなるかたへとあはれなり。
(問はず語り~岩波文庫)

  九月二日、真光院僧正栗(くり)を箱に入て送られし、一昨日の風の事など申されし返事の端に
都まで散らす木の葉の色見ても思ひやらるゝ山の秋風
(再昌~和歌文学大系66、明治書院)

憐(あは)れぶべし九月初三(そさん)の夜 露は真珠に似たり月は弓に似たり
(和漢朗詠集~岩波・新日本古典文学大系)

伏見院九月三日かくれ給ける後 顕親門院
うらみても今はかたみの秋の空涙にくれし三か月の影
(風雅和歌集~国文学研究資料館HPより)

長徳四年九月一日。
雨であった。午剋の頃、左府(藤原道長)の許に参った。大雨によって一条の堤が決壊し、鴨河が横溢して京中に入ったことは、海のようであった。左府がおっしゃって云ったことには、大雨については、御祈祷を行なわなければならない。また、防鴨河使(ぼうかし)が怠っていることについて、一条天皇から誡められるべきであろうか。この堤については、宣旨を下した後も修理を行なっていない。今年、春から災害が続き、庶民の患疫によって万時を棄忘していたので、自然に懈怠したのである。ところが、怠っていることについては、誡めないわけにはいかない」と。すぐに陣外に参って、蔵人を招かせた。(略)
天皇がおっしゃって云ったことには、「何日も大雨が久しく止まない。推測するに、秋の収穫は、きっと不快であろう。通例によって、勅使を丹生・貴布禰社に奉ろうと思う。十一日に出立される例を勘申(かんじん)させるように」と。仰せを承って退出した。
(権記〈現代語訳〉~講談社学術文庫)

長保二年九月二日、丙子。
出納(尾張)如時が氷魚使について申した。雑色(藤原)頼方を近江使〈田上。〉とし、前内舎人(藤原)方正を山城使〈宇治。〉とするということを伝えた。大蔵卿(藤原正光)に申すことにした。
(権記〈現代語訳〉~講談社学術文庫)

(承元元年九月)五日。申始に陽景を見る。夕、繊月を見ゆ。
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)