大同三年九月戊戌(十九日) 天王が神泉苑へ行幸した。勅により従五位下平群朝臣賀是麻呂に、次の和歌を作らせた。
いかに吹く風にあればか大島の尾花の末を吹き結びたる
天皇はこの和歌にたいそう歓び、従五位上を授けた。
(日本後紀~講談社学術文庫)
(略)涙は、袖のしがらみせきとめん方なきを、つくづくと聞き臥し給へる御枕の露けさを、野辺に慣らへるきりぎりすは所を得たるにや、枕上(がみ)にかしかましきまで鳴き交はしたるも、かからぬほどの寝覚めだに、あはれ少なからぬ秋の夜なるに、催し顔なる虫の音(ね)は、とり添へて忍びがたきこと多かり。
(石清水物語~「中世王朝物語全集5」笠間書院)
九月中旬の事なれば、高嶺の嵐、雲を払て、月もやゝほのめき出で、群源夕にたゝきて、谷の気色も物さびし。鹿の音、虫の恨み、我身ひとつには限らざりけると哀にて、道芝の露も涙も所せければ、棹鹿の爪、これにもひちぬべき浅ましきまでにおぼえけるに、(略)
(あしびき~岩波・新日本古典文学大系54 室町物語集 上)
九月十余日、野山のけしきは、深く見知らぬ人だに、ただにやはおぼゆる。山風に堪へぬ木々の梢も、 峰の葛葉も、心あわたたしう争ひ散る紛れに、尊き読経の声かすかに、念仏などの声ばかりして、人のけはひいと少なう、木枯の吹き払ひたるに、鹿はただ籬のもとにたたずみつつ、山田の引板にもおどろかず、色濃き稲どもの中に混じりてうち鳴くも、愁へ顔なり。
滝の声は、いとどもの思ふ人をおどろかし顔に、耳かしかましうとどろき響く。草むらの虫のみぞ、よりどころなげに鳴き弱りて、枯れたる草の下より、龍胆の、われひとりのみ心長うはひ出でて、露けく見ゆるなど、皆例のこのころのことなれど、折から 所からにや、いと堪へがたきほどの、もの悲しさなり。
(源氏物語・夕霧~バージニア大学HPより)
又の夜、月いとおもしろく、頃さへをかしきに、若き人は、舟に乘りて遊ぶ。色々なる折よりも、同じ樣に裝束きたるやうだい、かみの程、曇なく見ゆ。小大輔、源式部、宮木の侍從、五節の辨、左近、小兵衞、小衞門、うま、やすらひ、いせ人など、はし近く居たるを、左の宰相中將殿、中將の君、誘ひいで給ひて、右の宰相中將兼隆に、棹ささせて、舟に乘せ給ふ。かたへは、すべりとどまりて、さすがにうらやましくやあらむ、と見出だしつゝゐたり。いと面白き庭に、月の光りあひたるやうだいかたちも、をかしき樣なる。
(紫式部日記~岩波・新日本古典文学大系)
九月十日あまりの事なれは、月のころ、みやこをたち出、ひたちのくにへそ、くたり給ふ
いつれも、わかき人なれは、みちすから、物あはれに見えたまひて、くさきにいたるまて、めをとめ、うたをよみてそ、くたりたまふ
おりふし、しかの、かすかに、おとつれて、くさむらに、むしのこゑこゑ、よはりゆくを、きゝたまひて、御身に、よそへて、かくはかり
身をしれはこひは物うき物なるをさこそはしかのかなしかるらん
さらぬたにかなしきよはのそらなるにあはれをそふるむしのこゑこゑ
又、ありあけの、くまなく、てらすを、見たまひて、かくなん
うらやましかけもかはらすすむ月のわれにはくもるあきのそらかな
(略)
(文正草子~「室町時代物語大成12」角川書店)
かかるほどに、九月二十日ばかりの夜、風いとはるかに聞こえて、しぐれなむとす。源侍従の君、夜一夜物語などし明かして、暁に、仲忠、
色染むる木の葉はよきて捨人の袖に時雨の降るがわびしさ
(うつほ物語~新編日本古典文学全集)
旅のこゝろをよめるなかうた 大納言経信
なかつきの月のさかりになりゆけはこゝろも空にうかれつゝ野にも山にもゆきみれとなをしあかねはたかせ船さほのさすかにおもへともやそうち人にみちをとひみなれて後にこきゆけはあまの河まてなりにけりこれやむかしのことの葉にのこれるみちときくなへに袖のみぬれてみしま江のあしのほいたくまねけとも我をわきてもとゝめしと思ひてゆけはいこまやまふもとの里を見わたせは木々のこすゑもいろつきていなはの風も吹みたり霧のたえまに家ゐせるあしの丸やのつまもなき恋もわすれすかりかねの羽風に夢をおとろかし鹿のなくねをきゝあかしむつことのはもいひつくし我おいらくをなけきつゝなかるゝ水に影みれはしらぬおきなといひをきし人もかしこくおもほえて沢のたつとそなきあかすかくて明ぬるなかき夜をいかゝはせんとかへりなは一夜はかりをちきりたる草のまくらもわすられすかへる空をそなかめくる秋の気色のふかくもあるかな
(新続古今和歌集~国文学研究資料館HPより)
月日はかなくすぎて。九月の御念仏にゐんに一ほんのみやわたらせ給。にようばう十人ばかりしてしのびやかなれど。かんたちめてんじやう人。いとおほくまいり給へり。御だうのひんがしきたかけておはします。はぎのうすものの御几帳どもゑおかしう書たるに。わかき人びとさまざまなるそてぐちどもをしいてたるおかし。荻のうはかせ萩のしたつゆをしたる人もあり。萩のかぜになみよりかゝりことだにをしきとれときえせぬほどもおかし。たゞえだながらといふべくもあらず。三位の我もかうのきぬどもに紅のうちたるあかいろからきぬきたまへるなをいときよげにかみのかゝりかたつきなど人にすぐれ給へり。いろいろにうつろひたるきくの中をゝしわけて。おきまとはせるしらきくのそでのみえたるもおかしくれゆくまゝに月のくまなきに。うちたるきぬどもに。うすものゝからきぬのすきたるに。たまをつらぬきつゆをかせなどしたるが。いとおかしきに。すけなかの少将おれぬばかりもとてよりゐたるもおりおかしかりき。
(栄花物語~国文学研究資料館HPより)
長保元年九月十二日。
早朝、中将と同車して左府の許に参った。左府が遊覧を行なった。一昨日、左右金吾・源三相公、及び私・右中丞が相談して、この事を行なった。各々、餌袋と破子(わりご)を準備した。先ず大覚寺・滝殿・栖霞観に到った。次に丞相は騎馬した。以下はこれに従った。大堰河(おおいがわ)の畔(ほとり)に到った。式部権大輔が丞相の命によって、和歌の題を献上した。云ったことには、「処々に紅葉を訪ねる」と。次に相府(しょうふ)の馬場に帰って、和歌を詠んだ。初めは滝殿に到った和歌であった。右金吾が詠んで云ったことには、「滝の音(ね)の絶へて久しく成りぬれど名こそ流れて猶ほ聞こえけれ)」と。
(権記〈現代語訳〉~講談社学術文庫)
(寛弘二年九月)十五日、庚申。 庚申待
朝から天が晴れた。内裏に参り、すぐに退出した。公卿七、八人ほどや殿上人と会合し、庚を守った。作文を行なった。題は、「池水に明月が浮く」であった。韻は澄であった。女方は一条第に赴き、夜の内に帰った。
(御堂関白記〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)
応徳元年九月十二日詣でさせたまふ。四条宮も具したてまつらせたまふ。殿の上同じ御車にて詣でさせたまふ。女房の車、殿の御方に三つ、宮の御方に三つ、さまざまの花紅葉、色々を織りつくして、日ごとに替へさせたまふ。すずしの衣に綿を入れたる日もあり。なかに、薄様、もみぢ葉、櫨、また紅にて裏は色々なるも着、菊は蘇芳菊、ただ推しはかるべし。日ごとに装束替へ、えもいはずめでたし。(略)
(栄花物語~新編日本古典文学全集)
(安貞元年九月)十一日。天晴る。霜白し。寒暑の廻転、末代に於ては只夏冬ありて春秋なし。倩々往年の事を思ふ。萩の花盛んに開くの比、下に小袖を著し、上に生衣を著し、成菩提院に参ずるに、汗を流さず。菊の花開くの後、初霜結ぶに依り、色漸く移り、顕然として斯くの如し。今年八月七日、北山に馳せ詣づるの日、炎暑皚々(がいがい)たり。是れ人界の罪報に依り、只寒暑の苦に遇ふの故か。(後略)
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)
(寛喜三年九月)十一日。雲往来し、霧粉紜たり。暁夢に驚く。歌枕に隣村の声を聞く。東西に人に呼ぶを聞く。長衡朝臣水田に赴くの間、僕夫駕を催すか。出で去るの後、夜未だ曙けず。悄然として音無し。
閑窓燈尽き悄然の思ひ 単り寝先づ催す懐旧の情
旅客明を待ちて群り動くこと劇(はげ)し 愁人の残夜老眼を驚かす
只憐む秋鴈書信を繋ぐを 識らず晨鶏別れを告ぐるの声
節物未だ忘れず凉潔の変 故人悉く去りて他生を隔つ
(略)
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)
(承元元年九月)十三日。終日甚雨。夜大風猛烈。
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)
(正治元年九月)十七日。天陰る。雨降らず。申の時許り、漸く陽景を見る。午終許りに宮に参ず。相次で大臣殿に参じ、御共して又宮に参じ、退下す。所労不快に依り、早く参ぜず。仍て散花を取らず。今日番なり。秉燭以後に参上す。太理参会。堂上に昇らず。沓を著け、尻を懸け、参入するの間、気色に依り、進み寄り、暫く談話す。兼時来たる間に退去す。今夜御堂におはしますべし。独り深更に及ぶべきの由、女房示す。仍て又退下す。咳病、術無きに依るなり。小時にして、又催しに依り、帰参す。(略)深更に慶忠法橋、慮はざるに、入り来たる。周章し、出で逢ふ。和歌の事、示し合すため、故(ことさら)に来向ふ所なり。是れ、已に希代の逸物なり。月夜に来臨、道の面目、歌の気味なり。珍重々々。他事に及ばず、退き帰り了んぬ。明月蒼々、雲漸く尽く。秋月、雨の隙を得ず。恨みを含むの処、今夜適々病眼を養ひ、聊か心緒を述ぶ。
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)