同月十一日左大臣橘卿宴右大辨丹比國人真人之宅歌三首
我が宿に咲けるなでしこ賄はせむゆめ花散るないやをちに咲け
右一首丹比國人真人壽左大臣歌
賄しつつ君が生ほせるなでしこが花のみ問はむ君ならなくに
右一首左大臣和歌
あぢさゐの八重咲くごとく八つ代にをいませ我が背子見つつ偲はむ
右一首左大臣寄味狭藍花詠也
(万葉集~バージニア大学HPより)
わか蒔し麻苧の種をけふみれは千えにわかれて陰そ凉しき
(曾禰好忠集~群書類従15)
このごろ雲のたゝずまひしづごゝろなくて、ともすれば田子の裳裾おもひやらるゝ。ほとゝぎすの声もきかず、ものおもはしき人は寝(い)こそ寝られざなれ、あやしう心よう寝らるゝけなるべし。これもかれも「一夜(よ)聞きき」、「このあか月にも鳴きつる」と言ふを、人しもこそあれ、我しもまだしと言はんも、いとはづかしければ、物言はで心のうちにおぼゆるやう、
我ぞげにとけね寝(ぬ)らめやほとゝぎすもの思ひまさる声となるらん
とぞ、しのびて言はれける。
(蜻蛉日記~岩波文庫)
やうやう更けゆく夜半(よは)の気色に、雨雲払ふ風、冷やかにて、うち薫る花橘のにほひも、いとなつかしう、待ちとり音(おと)なふ御前の呉竹の下葉を過ぐる遣水に、わづかに木の間漏り来たる、伏待(ふしまち)の月影宿したるほど、とり集め艶(えん)なるに、御かたはらなる琵琶を、客人(まらうど)の君とり給ひて、忍びやかにうち調べ給へる、世に知らずなつかしうあはれなる。え忍び給はず、かやうのこと、つきなうのみなり果てにけりや」とはのたまふものから、盤渉調の、半(なか)らばかり、笛を吹き鳴らし給へるおもしろさ、たとふべき方なけれど、げにも、(略)すごうもの悲しき御遊びにて、暁近うなりにけれど、尽きせぬ御仲の睦言は、ただ同じかげにて、月もやや影弱り、ほのぼのと明けゆく空に、ほととぎす二声ばかり名告(なの)りて過ぐ。
(いはでしのぶ~「中世王朝物語全集4」笠間書院)
五月雨は、いとど眺めくらしたまふより他のことなく、さうざうしきに、十余日の月はなやかにさし出でたる雲間のめづらしきに、大将の君御前にさぶらひたまふ。
花橘の、月影にいときはやかに見ゆる薫りも、追風なつかしければ、千代を馴らせる声もせなむ、と待たるるほどに、にはかに立ち出づる村雲のけしき、いとあやにくにて、いとおどろおどろしう降り来る雨に添ひて、さと吹く風に燈籠も吹きまどはして、空暗き心地するに、「窓を打つ声」など、めづらしからぬ古言を、うち誦じたまへるも、折からにや、妹が垣根におとなはせまほしき御声なり。
(源氏物語・幻~バージニア大学HPより)
麗景殿と聞こえしは、宮たちもおはせず、院隠れさせたまひて後、いよいよあはれなる御ありさまを、ただこの大将殿の御心にもて隠されて、過ぐしたまふなるべし。
御おとうとの三の君、内裏わたりにてはかなうほのめきたまひしなごりの、例の御心なれば、さすがに忘れも果てたまはず、わざとももてなしたまはぬに、人の御心をのみ尽くし果てたまふべかめるをも、このごろ残ることなく思し乱るる世のあはれのくさはひには、思ひ出でたまふには、忍びがたくて、五月雨の空めづらしく晴れたる雲間に渡りたまふ。
何ばかりの御よそひなく、うちやつして、御前などもなく、忍びて、中川のほどおはし過ぐるに、ささやかなる家の、木立などよしばめるに、よく鳴る琴を、あづまに調べて、掻き合はせ、にぎははしく弾きなすなり。
御耳とまりて、門近なる所なれば、すこしさし出でて見入れたまへば、大きなる桂の木の追ひ風に、祭のころ思し出でられて、そこはかとなくけはひをかしきを、「ただ一目見たまひし宿りなり」と見たまふ。ただならず、「ほど経にける、おぼめかしくや」と、つつましけれど、過ぎがてにやすらひたまふ、折しも、ほととぎす鳴きて渡る。(略)
二十日の月さし出づるほどに、いとど木高き影ども木暗く見えわたりて、近き橘の薫りなつかしく匂ひて、女御の御けはひ、ねびにたれど、あくまで用意あり、あてにらうたげなり。
「すぐれてはなやかなる御おぼえこそなかりしかど、むつましうなつかしき方には思したりしものを」
など、思ひ出できこえたまふにつけても、昔のことかきつらね思されて、うち泣きたまふ。
ほととぎす、ありつる垣根のにや、同じ声にうち鳴く。「慕ひ来にけるよ」と、思さるるほども、艶なりかし。「いかに知りてか」など、忍びやかにうち誦んじたまふ。
「橘の香をなつかしみほととぎす花散る里をたづねてぞとふ
いにしへの忘れがたき慰めには、なほ参りはべりぬべかりけり。こよなうこそ、紛るることも、数添ふこともはべりけれ。おほかたの世に従ふものなれば、昔語もかきくづすべき人少なうなりゆくを、まして、つれづれも紛れなく思さるらむ」
と聞こえたまふに、いとさらなる世なれど、ものをいとあはれに思し続けたる御けしきの浅からぬも、人の御さまからにや、多くあはれぞ添ひにける。
「人目なく荒れたる宿は橘の花こそ軒のつまとなりけれ」
とばかりのたまへる、「さはいへど、人にはいとことなりけり」と、思し比べらる。
(源氏物語・花散里~バージニア大学HPより)
五月廿日の月いと明(あ)かう、こゝかしこの木の下こぐらう、ゆふまぐれならねど、ものおそろしきまで見えわたるに、御格子もさながら、人びとは、みなとく、よりふしつゝねいりたるに、例の寝覚は、なくや五月のみじか夜もあかしかねつゝ、(略)
(夜の寝覚~岩波・日本古典文学大系)
(天暦三年五月)十一日甲寅。上皇御西院。競馳御馬。
廿日癸亥。太上皇於朱雀院馬■(つちへん+孚)亭観競馬(十番)。騎射。左右奏東遊。
廿一日甲子。於二条院有打毬事。
(日本紀略~「新訂増補 国史大系11」)
長元八年五月、三十講果てて、関白殿歌合せさせたまふ。殿上の人々を分たせたまふ。左方は蔵人頭経輔、済政、資業、良頼の東宮亮、良経の左馬頭、行経の少将、中宮大進義通、経季の少将、経長の弁、経成の少納言、信長の侍従、範国、資任、憲房、経平、実綱、蔵人は俊経、季通、貞章なり。右方は実経朝臣、兼房の中宮亮、資通の弁、俊家の中将、通基の四位侍従、師経の内蔵頭、行任、挙周、為善、国成、良宗の右衛門佐、資綱の少将、経家の少納言、経季の左衛門佐、三河守経信、定季の信濃守、蔵人は義清、家任、頼家と書かせたまひて、「題はこと心求むべきならず。ただこの間近く見ゆることをこそは」とて、月、五月雨、池水、菖蒲、蛍火、瞿麦、郭公、照射、これのみやほかの思ひやることはあらめとて、祝、恋と書かせたまひて、おのおの方々に、左には経輔の頭弁、右には良宗の蔵人右衛門佐にぞ召して賜はせたりし、頭弁は民部卿の服にて籠りゐたまへればなるべし。(略)
(栄花物語~新編日本古典文学全集)
十二日乙亥。於御所有和歌御会。題。深山郭公。隣家橘。社頭祈也。於常御所被披講。一条少将。右馬権頭。秋田城介。佐渡前司。河内前司。伊賀式部大夫入道。卿僧正。兵庫頭等参。前武州被奉置物砂金羽色革美絹以下云云。
十二日。乙亥。御所ニ於テ和歌御会有リ。題ハ、深山ノ郭公、隣家ノ橘、社頭ノ祈ナリ。常ノ御所ニ於テ披講セラル。一条ノ少将、右馬ノ権ノ頭、秋田ノ城ノ介、佐渡ノ前司、河内ノ前司、伊賀ノ式部大夫入道、卿ノ僧正、兵庫ノ頭等参ル。伊賀ノ式部大夫入道、卿ノ僧正、兵庫ノ頭等参ル。
(吾妻鏡【延応二年五月十二日】条~国文学研究資料館HPより)
寛弘二年五月十三日、庚申。
左府の許に参った。庚申待が行なわれた。殿上人は各々、一種物を随身して、あの殿に参った。騎射(うまゆみ)を召した。左近衛府と右近衛府が三番以上である。この夜、作文会が行なわれた。故納言(源保光)の忌月であったので、作文会には参加せず、ただ伺候しただけであった。
(権記〈現代語訳〉~講談社学術文庫)
(建永元年五月)十二日。天晴る。新月、明かなり。懐旧の思ひに依り、中御門殿に参ず。庭前の月を望み、独り襟を霑(うるほ)す。護摩僧最珍、出で逢ふ。深更に帰る。漸く、旬月を送る。閑居寂寥たり。啻(ただ)、前途後栄の憑み無きのみにあらず。天曙日暮毎に、遠隔慈悲の恩容、恋慕の思ひ、堪へ忍び難し。
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)
(嘉禄元年五月)十六日。天晴る。未の時許りに中将来たる。昨日参内。日来定めて所労ありて出仕せざる由、人々に披露す。昨日、親俊初めて七瀬御祓ひの使に奉行。七人催し出づと云々。(略)
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)
(寛喜二年五月)十九日(庚戌)。簷の溜り未だ乾かず。朝陽初めて見ゆ(巳の時に及び又雨降る)。桔梗の花初めて開く(今年甚だ速し)。終日雨降る(或は止み、陽景見ゆ)。夕に雷電。終夜、雨沃ぐが如し。
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)
貞治二のとしさ月中の十日。四の海しづまり。万国風おさまれるころ。春の杪は名ごりなくしげりはてゝ。夏木だちおりえがほなるに。(略)きのふ十日と沙汰有しに。雨の余波庭の露払がたきによりて。今日十一日なるべし。まづ辰の時に。為遠朝臣参りて。御装束拵。(略)賀茂の輩参て渡殿の座につく。鞠足の公卿殿上人次第に参着す。まづ蔵人懐国露払の鞠をもて庭中にをく。やがて露はらひの人数めしたてらる。基清朝臣。懐国。敏久。音平。能隆。商久。重敏など次第にたつ。いく程なくて露払とゞまる。殿直廬にて沓韈はきて。庭上を経て座につかる。蔵人懐国露払の鞠をとりてしりぞく。此間蔵人また枝に二付たるまり〈白まり上。ふすべ鞠下。〉をもちて。北の御所の木の下。北面の立蔀によせたつ。其後出御あり。(略)御直衣薄色の御指貫。〈文くゎにあられ。〉(略)御鞠かずありていとおもしろし。今日員申人のなきぞいと心えぬ事に侍る。されどその人なければちからなし。今日人々のあしもとすぐれてみゆ。右衛門督桜をよきてといひける面かげ。夏の梢にもうかむ心ちして。名残恋しきなどながめけむ人もありけんかし。(略)
(貞治二年御鞠記~群書類従19)