monoろぐ

古典和歌をメインにブログを書いてます。歌題ごとに和歌を四季に分類。

やっぱり冷夏?

2009年08月22日 | 雑日記

 夏用にと準備していた服を、あんまり着ないうちに、夏が終っちゃうようです。
 白のロングパーカー、白のワンピ(2種)、薄色のチュニック、etc.
 あんまり暑くないと白を着る気にならないんだよねー。雨だとハネを気にして、避けちゃうし。
 でも、着ないで来シーズン持ち越し、ってなっても、流行的に、来年も着れるかどうかは、ビミョー?

 そろそろ9月が近づいてくると、淡い色や白よりも濃いめの色を選びたいんだけど、全然着てないから、晴れてる日を選んで、せいぜい着てあげようと思います。


木村朗子「恋する物語のホモセクシュアリティ」

2009年08月20日 | 日本古典文学

 木村朗子の「恋する物語のホモセクシュアリティ」(青土社)の、「とはずがたり」部分をメインに読みました。(「我身にたどる姫君」とか「石清水物語」とか、面白そうなのですが、原典を読んでないので、また今度。)
 とりあえず、出家者の性について知りたかったので、読みました。というのも、二条の父は遺戒として「有髪の好色はダメだが、出家後はどんなことをしてもよい」というようなことを言っているからです。

 このことについて、はっきりとした解答は得られませんでしたが、とはずがたり・巻4の院との再会について考察している文章がヒントにはなるかもしれません。出家後の石清水での再会時、二人は肉体関係を持ったのか持たなかったのか、という点についてです。従来の解釈では、この時、情交はなかったとするのが多いようですが、情交があったと想像してもおかしくはない描き方をしているようです。二条自身が意図的にぼかして書いているのなら、読み手がどう解釈するかは自由なのかな、と思いました。
 原文の書きぶりからみても、少なくとも二条自身の認識としては、尼になった自分が今後男に抱かれるという可能性はまったくないわけではない、と見ていることがわかります。また、院もそのことを懸念しており、世間一般もそういう見方をしている(と二条は認識している)。
 ということは、「当時の世の中の尼(+僧)達の中には、(異性と)肉体関係を持つ者が少なからずいた」と想像するのは間違いではない、ということになるのではないでしょうか。

 それよりも、(本筋と関係ないところで、)衣裳贈与=経済的援助、っていうとらえ方があると知って、かなり納得してしまいました。それをいうなら、二条はいろんな男から衣裳をもらってて、かなり多色の女、ってレッテルを貼られるんじゃないでしょうか。これは即ち、二条がいかに経済的に困っていたか、という証拠なのかもしれませんが……。さっそく原本を読んでみたいです。

 「とはずがたり」以外の部分はあまり読まなかったのですが、とばし読みをしていて、(稚児ではない)成人男性同士の同性愛関係がメインの物語、って、いつ頃から登場したのかしら、と知りたく思いました。
 創作物語よりも、「台記」の方が早いのかな?
 異性愛を正当とし同性愛を排除するのは近代以降、という論旨の文章は繰り返し出てきました。私自身は特にフェミニズムとかジェンダー論とかを勉強したこともなく、そっち方面の知識もあまりないので、専門用語がけっこう煩わしかったです。なんというか、1文が長く、言い回しがくどい感じで、わかりづらい文章でした。
 召人は<生まない性>と規定されていたようですが、召人を母に持つ貴顕の息子もいるらしいので、そこらへんが矛盾なのか例外なのか歴史的移行なのか、気になりました。
 あと、「新蔵人物語」ってのも面白そうなので、読んでみたくなりました。「とりかへばや」の“変奏物語”らしいです。3人の娘にそれぞれ自分の望む道を行かせる親もスゴイなと思いましたが、男装して男として宮仕えがしたい、という三女が主人公です。三女は新蔵人として帝のおそばに伺候し寵愛されるにいたって異装もバレるが、関係はそのまま続き、妊娠までするという。
 この三女は、現代でいうトランスジェンダー(性同一性障害)ってことなんでしょうか。しかし、男として生きたいという欲求と妊娠って、両立するもんなんですか? 「生きながら、変成女子になりたる」という新蔵人のセリフからは、身も心も男である、というふうに解釈できるのですが…。身も心も男であるならば、妊娠などという事態は、彼女にとって非常に嫌悪すべき、あるいは忌避すべき状態であったと考えます。

 そして挿入された図版を見て、新たな疑問が! 「新蔵人物語絵巻」では、尼さんも丸坊主なのである。中古の尼は髪を肩ぐらいまで短くするだけだと思ったけど、いつから剃るようになったんでしょう?
 となると、「とはずがたり」の二条の尼姿って、丸坊主だったんですか? しかし、海野つなみの「後宮 5」(講談社)では尼削ぎで描いてあります。 源氏物語のマンガでも、出家した女性は肩ぐらいまでの長さの髪で描かれていますよね。
 新蔵人物語は、室町時代後期の成立のようなので、鎌倉→室町時代で変化があったということですかね?
 あるいは、尼にもいろんな段階があって、尼削ぎからすっかり剃髪まで、外見は一定ではなかった、という仮定もできます。
 国宝「源氏物語絵巻」のような、平安・鎌倉時代の古い絵巻物では、尼はどういう描かれ方をしているのか確認して、室町時代(以降)の絵巻物との違いを比べてみたくなりました。


竹林一志「日本古典文学の表現をどう解析するか」

2009年08月19日 | 日本古典文学

 「日本古典文学の表現をどう解析するか」(竹林一志、笠間書院)を部分的に読みました。

 第1章は、古今和歌集・16番歌「野辺ちかくいへゐしせれば鶯の鳴くなるこゑはあさなあさな聞く」の解析です。「鳴くなる」の「なり」と、「こゑは」の「は」がポイントです。
 岩波文庫本・古今和歌集(佐伯梅友校注)の脚注でも、「なり」を伝聞・推定ととっているようです。
 鶯の“文化的生態”というとらえ方は、他の歌語にも言えると思うので、探っていきたいです。当時の共通認識は、やっぱり現代とは異なるでしょうから、動植物に限らず、調べたいものです。(歌語と当時の認識のされ方、そして実例=和歌を挙げた辞典みたいのがあったら良いのに……。)
 次いで“有脈テクスト論的観点”で論じているのだから、ついでに 16番歌以降の春歌における鶯の取り扱いについても、触れてほしかったです。というのも、古今集においては、「鶯が鳴くのを聞き、春の喜びを実感する歌」が、ないのかー、意外! と思ったからです。古今集編者は、歌題・鶯(×梅)は「春浅き」時期のものとして配列しているということでしょうから。

 となると、後続の勅撰集での鶯の扱いは、どうなっているのでしょう。気になってきました。(後拾遺集にいたって、初めて「鶯が鳴くのを聞き、春の喜びを実感する歌」が登場するようです。後撰・拾遺集は、まったく古今集を踏襲してるみたい。)
 もちろん、梅×鶯の組み合わせだけではなく、竹×鶯、柳×鶯、桜×鶯、その他の組み合わせもあるわけで、それらを探すだけでも、楽しそうです。
 とは言え、鶯は三春の季語なので、勅撰集春部の全体に散らばって登場してもおかしくありません。ただ、“走り”というか、出はじめの時期を強調するものかな、とも思います。(実際の生態としては、夏・秋まで老い声で鳴くこともあるようですが、それは晴の歌には向かない題ですよね。)

 第2章の枕草子・冒頭の「春はあけぼの」段の解析も、興味深かったです。
 「僕はうなぎだ。」は、外食の際のセリフとして理解できるが、例えばこの文が、小説の冒頭に来たら、「吾輩は猫である。」と同じように理解することになるだろう、って部分がツボにはまって、かなり笑えました。御説もっとも!


バージニア大学

2009年08月19日 | 読書日記

 バージニア大学のオンラインテキスト も古典テキストの用例検索に使えそうです。万葉集や源氏物語や枕草子のほか日記もあるし、勅撰和歌集もほぼ入っているし、謡曲もある。和歌と散文の別無く検索できるのが良いかな。もっと作品数が多ければ言うことなし、なんですが…。
 表記どおりにしか検索できないので、旧漢字と歴史的仮名遣い、漢字仮名まじりの表記に注意して検索するってことが、留意点です。濁点は付加してるみたいです。

 あと、検索結果一覧がローマ字表記なのが難点。
 それから、検索結果を時代順に並べ替えれると、ありがたいんだけどなぁ。