先日、淡路島でかなり強い地震がありました。北海道でも今日、震度4の地震が根室でありました。日本は地震の時期に入ったかのようです。
職場に分厚い電話帳のような本が回覧されました。「東日本大震災 仙台市震災記録記~発生から1年間の活動記録~」という本です。

目次から眺めていくとある写真で目が止まりました。2年前の3月29日、私が被災宅地危険度の判定をした所が写っていたからです。

この本に掲載されるということは、「かなり被害が大きい所だったんだな。」と思いました。


被災宅地危険度判定に従事し、いろいろな事を教わり、学びました。

停電の仙台市では、非常用自家発電設備のあり、灯りがついている仙台市役所と宮城県庁に人が殺到したこと。
避難所では、避難している人数で食料が配布されたが、壊れた家や車に避難している人もおり、食料の配布いに並ぶため、足りなくなったこと。そして、それを収めるのに市役所の方が苦労したこと。
電気は復旧したが、ガスが復旧していない地域では、電磁調理器のあるお宅で、近所の人が集まり、調理していること。

被災宅地危険度判定に従事していて、決して食料確保できる状況では無いのに、皆さんがお菓子や果物、飲み物を下さったこと。私たちの危険度判定を信頼してくれ、感謝してくださったからです。
「北海道の人はいつも、東北になにかあったら助けに来てくれる。」との評価は、私たちより前に室蘭市の水道局が給水した実績があったこと。

そして、この本には、反省点も率直に書いてありました。
女性、高齢者、障碍者、外国人に対する配慮が地域防災計画に無かった。特に、避難所運営が男性中心であり、生理用品、女性用下着が要求しずらかった。仮設トイレが和式で、バリアフリーでないため高齢者等が使用できない。
これらの反省点は、私の住む札幌市のほか、多くの地方自治体で学んでほしいです。
