しなしなの記録

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名古屋城に初めて行きました。鉄筋コンクリートの天守閣は興味が無くても、木造で復元された本丸御殿は見たかったからです(1)

2019-06-07 20:24:54 | Weblog

 名古屋城は1945年(昭和20年)に戦災で焼失しました。1959年(昭和34年)に市民の寄付などにより、再建されました。しかし、鉄筋コンクリートの城です。現在、名古屋市では木造での復元を検討しているようです。

 私は、鉄筋コンクリートの天守閣は興味が湧かず、名古屋市には何度も行っていますが、名古屋城に行ったことが有りませんでした。しかし、木造で忠実に再建した本丸御殿が昨年の6月8日より公開になったことから、行ってみました。

 名古屋城の入口に着く前に、矢穴石が有りました。矢穴は石を切り取るのに造られて穴です。等間隔に開けられています。

 

 石の目に沿って開けるそうです。そこに「ヤ」を打ち込むと矢穴が押し広げられ、石が切り取れるそうです。

 加藤清正公の像が有りました。

 

 「何故?」と思いましたが、後で、「清正石」を見て納得です。


 名古屋駅から歩いて名古屋城に向かいましたが、ようやく正門(旧榎多門)に到着です。

 

 この門も鉄筋コンクリート造だそうです。


 中に入ると天守閣が見えます。

 

 金のシャチホコが展示されていました。

 


 後で中に入った西南櫓から天守閣を望みます。

 

 それにしても、石垣は見事です。美しい曲線を描いて、聳え立っています。

 

 天守閣は現在、公開されていません。

 1945年(昭和20年)に焼失した天守閣を支えていた、礎石が無造作に置かれています。

 
 

 「清正石」が有りました。

 

 大きな石です。余にも大きく、この石を積むのに石積の名手だった加藤清正公が指揮をして積んだとのことから命名されたと伝えられています。しかし、この場所は黒田長政公の持ち場だったことから、その事実は無いようです。

 重要文化財、旧二之丸東二之門も有ります。

 

 1963年(昭和38年)に愛知県体育館を二之丸に建設するため、解体され、1972年(昭和47年)、ここに移築されたそうです。


 そして、お目当ての本丸御殿に私は向かいました。

 
コメント
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