6月18日(火)は、前日の那須塩原市に続いての栃木県の郵便局訪問でした。この日は足利市から佐野市の郵便局訪問の予定でした。しかし、朝からひどい雨です。なので、予定を変え、佐野市中心部から始めました(雨がひどい場合、中断することも考えての対応です)。結果、9局しか訪問できませんでした。その9局です。
佐野堀米西、佐野堀米、佐野犬伏、佐野、佐野大和、佐野赤坂、田沼吉水駅前、田沼(以上、佐野市)、富田(足利市)
佐野赤坂郵便局からは、雨がひどいので、東武佐野線を使っての訪問です。最後の富田郵便局は、両毛線も使いました。
トップの写真は、10,500局目となった、佐野大和郵便局です。11時18分の訪問でした。
両毛線の佐野駅に着いた私は、北側の丘に次の表示があるのに気が付きました。
「犬走」との表示です。江戸幕府の山城廃止政策を受け、佐野信吉が、ここに自然の丘陵を生かして、佐野城を築いたそうです。その際、丘陵に幅1~2mの平坦な帯状のものを造りました。2段有ったようです。通路以外に内堀から上がってくる敵を槍等で攻撃する防御の役目があったそうです。土木工学の世界では、同じように「犬走」が造られます。管理用通路です。また、橋梁工事では、「キャットウォーク」という、仮設の足場も造られます。
佐野市のマンホール蓋です。旧佐野市のものです。今は、ラーメン丼を被ったマスコットキャラクターの「さのまる」が描かれているそうです。
市の木「マツ」と市の鳥「オシドリ」が描かれ、縁には市の花「ウメ」が描かれています。
人間国宝田村耕一陶芸館が有りました。
佐野市出身で1986年(昭和61年)に重要無形文化財保持者(人間国宝)の指定を受けたそうです。建物は「まちの駅」になっています。
お茶屋さんの横には、大きな甕が有りました。お茶の保存に使うものではないそうです。
雨がひどいので、少し収まるまで待とうと思い、佐野ラーメンの店「精養軒」に寄りました。
美味しいです。「精養軒」は、1929年(昭和14年)創業だそうです。自家製麺です。茹でる前の麺は、グレー色をしていました。
「新井屋味噌まんじゅう」が有りました。
古い建物で営業していたので、ここが本店と思いました。しかし、後で調べると、佐野店でした。1895年(明治28年)建てられた見世蔵を借りているのだそうです。
2005年(平成17年)に佐野市、田沼町、葛生町が合併し、今の佐野市となります。下のマンホール蓋は、その前に設置された、旧田沼町のものです。
三滝とイワナが描かれているそうです。