しなしなの記録

 しなしなの趣味の記録です。洋楽カラオケ、郵便局訪問、川、猫など

2022年10月の洋楽カラオケ 10月は郵便局訪問、町内会等で忙しく、31日(月)になってようやく実施できました

2022-11-05 18:11:30 | Weblog

 10月は郵便局訪問や町内会等で忙しく、定例の洋楽カラオケがなかなか実施できませんでした。ようやっと、31日(月)になって、実施することができました。次の28曲を歌いました。


 愛はかげろうのように(シャーリーン)
  日本の雅夢の「愛はかげろう」と曲名が似ているので、どっちだったか分からなくなる曲です。

 スーパーモデル(マネスキン)
  イタリアのグループだそうです。なかなか良いです。今年、リリースされた曲です。初めてうたいました。

 マンマミーア(マネスキン)
  この曲も今年です。初めて歌っています。

 アズ・ティアーズ・ゴーズ・バイ(ローリング・ストーンズ)
  哀愁の漂う曲です。ローリング・ストーンズとは思えない曲です。

 青い影(プロコル・ハルム)
  鏡に尻尾が写るウェイターが出てきます。狐か狸が化けているのでしょうか。

 今日の誓い(ビートルズ)
  子供の頃(小学生)から、カッコ良い曲だと思っていました。ビートルズだと知ったのは、50歳を過ぎてでした。

 彼女はサイエンス(トーマス・ドルビー)
  ビデオクリップの女性が魅力的だったと思います。

 チャ・チャ・チャ(フィッツーニ・コンティーニ)
  日本でもカバーした曲が流行りました。

 今夜はビート・イット(マイケル・ジャクソン)
  ノリが良くていいと思います。アル・ヤンコビックの替え歌、「イート・イット」があります。

 スター・ゲイザー(リッチー・ブラックモアズ・レインボウ)
  長い曲ですが、飽きずに歌えます。

 スカイ・フォール(アデル)
  おじさんソングだと思います。暫くぶりに歌ったら少し、忘れていました。

 ドクター・ドクター(UFO)
  ハードロックの典型のような曲です。イントロで決まる曲です。

 アンブレラ(リアーナ)
  ビデオクリップと「アンブレラ、エラ、エラ、エラ、エエー」の部分が当時、新鮮だった記憶があります。

 イエス・イッツ・ミー(エルトン・ジョン)
  私が洋楽を聴き始めた、1971年、流行っていました。日本だけだったみたいです。

 カラーに口紅(コニー・フランシス)
  オールディーズは歌っても楽しいです。でも、この歌の男のようなことは、私はできません。

 バナナ・ボート(ハリー・ベラフォンテ)
  小学生の頃から知っている歌です。50年以上前です。

 7つの水仙(ブラザーズ・フォー)
  私は、この曲を歌うと涙がこぼれてきます。

 500マイル(ピーター・ポール&マリー)
  フォークソングの代表曲だと思います。

 マジック(ディックセント・ニクラウス)
  おしゃれな曲だと思います。大阪のディスコから流行ったというのを聴いたことが有ります。日本だけのヒットです。

 トワイライト・ゾーン~トワイライト・トーン(マンハッタン・トランスファー)
  「チャラ・ラ・ラ・ラララー」のタイムトンネルの映画曲です。カッコ良い曲です。

 ホット・スタッフ(ドナ・サマー)
  今回のディスコ曲です。

 そよかぜに乗って(マージョリー・ノエル)
  軽快なフランス語曲です。

 哀しみのシンフォニー(シルヴィ・バルタン)
  モーツァルトの交響曲にイタリア語の歌詞がついています。

 ドント・レット・ミー・ダウン(チェイン・スモーカーズftデイア)
  様々な音が出てきて面白いと思います。

 ライク・ア・バージン(マドンナ)
  久しぶりに歌いました。アル・ヤンコビックの「ライク・ア・サージャン」というパロディ曲も有りました。

 ウィ・ウィル・ロック・ユー(クィーン)
  ギターが無くてもちゃんとロックになるという証明をした曲です。

 匕首マッキー(ボビー・ダーリン)
  雰囲気を出して歌うのが難しい曲です。

 この胸のときめきを(エルヴィス・プレスリー)
  締めは私の十八番の曲です。


 トップの写真は、いつものようになにも関係の無い、北九州市の黒崎駅の駅名表示です。東筑軒のうどんが美味しかった記憶が有ります。


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兵庫県赤穂市に行ってみました。私の祖先は浅野家に仕えた足軽であったと父から聞いているからです。まずは赤穂城です

2022-11-03 15:12:20 | Weblog

 9月23日(金・祝)、私は兵庫県赤穂市にいました。赤穂市に行ってみたかったからです。なぜなら、私の祖先は赤穂藩の浅野家に仕えた足軽だと父から聞いているからです。浅野家がお家とり潰しになる時、大石内蔵助から金をもらい、姓を変え、一族郎党で新潟県柏崎市荒浜に移り住んだというのです。私が中学生の頃、父が、「珍しいものをもらった、荒浜の地図だ。」と地図を見せてくれました。私の姓が1/3、もうひとつの姓が1/3.残りの姓が1/3です。「なので、屋号を言わないと、どの家だかわからない。内は石屋長五郎だ。」と。


 それで、まずは主君のいらっしゃった赤穂城に行ってみました。

 


 赤穂城には上水道が敷かれていたことを知りました。

 


 城の傍に多くの家臣が住んでいたようです。こちらは近藤源八宅長屋門です。

 

 こちらは、大石良雄宅長屋門です。

 

 江戸時代の建物は、この2つだけだそうです。


 大石頼母宅の門は復元したものです。

 


 城の前には、庭園が復元されていました。

 


 本丸門に到着しました。トップの写真です。本丸門は17世紀の中頃に建築され、明治10年代の後半までは残っていたそうです。その後、取り壊されたことから、現在の門は1996年(平成8年)に復元されたものです。

 


 本丸御殿の地図が有りました。

 

 そして、建物は無いですが、間取りが分かるようになっています。

 


 天守台が有りました。

 

 ここに天守閣が築かれていたのでしょう。そして、開発された塩田が望めたことでしょう。

 

 赤穂藩は入浜式塩田の先進地だったようです。今は、工場や街並みになっているようです。

 

 
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9月20日(火)、宿泊したホテルは高層のホテルです。17Fの部屋から、高松港が朝日を浴びて輝いているのを見ることができました

2022-11-01 21:40:30 | Weblog

 9月20日(火)、私は徳島県鳴門市から普通列車と特急列車で高松駅に着きました。20時頃です。この日の宿は、JRホテルクレメント高松です。駅に近いことから、少し奮発して、料金の高いホテルにしました。

 暗くなってからホテルに入ったので、周りの景色には何も見えませんでした。
 朝、起きて窓から外を見ると素晴らしい景観でした。17Fの部屋です。

 

 「あそこ、確か、宇野に行くフェリーが出ていた所だよな。」と思いました。2度ほど利用した記憶が有ります。


 少し経つと、日が昇りました。朝日を浴びて、高松港が輝きました。トップの写真です。

 「この景観が見れるなら、ここに宿を取って、正解だったな。」と思いました。
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