6月20日(木)は、埼玉県の郵便局を訪問しました。所沢市から入間市、飯能市、そして日高市まで歩きました。訪問したのは、次の局です。
所沢若狭、所沢西、所沢三ヶ島(以上、所沢市)、宮寺、入間新久、入間仏子、西武(以上、入間市)、飯能岩沢、飯能駅南口、飯能八幡、飯能、飯能双柳(以上、飯能市)、高麗武蔵台(日高市)
この訪問で、所沢市の25局、入間市の11局は、完訪となりました。
トップの写真は、10,523局目の訪問となった、西武郵便局です。
何故、西武という名前なのか?が疑問でした。「西武鉄道が開発した地域だから?」と思いましたが、一企業が郵便局の名前にはならないでしょう。札幌に帰り、調べたところ、かつて西武町という自治体が有ったことによることが分かりました。
埼玉県で最小の面積の自治体だったそうです。1967年(昭和42年)に入間市に編入されました。西武小学校、西武中学校も有ります。
下の写真、所沢市のマンホール蓋です。
飛行機と市の木「イチョウ」です。所沢市は「航空発祥の地」だそうです。初飛行したフランス製、アンリ・ファルマン式複葉機が3機が描かれています。
入間市は、お茶畑が続きました。さやま茶が生産されています。
西武池袋線は、飯能駅に引き込んで、出ていく形状になっています。その飯能駅の止まり部分です。
飯能八幡郵便局付近の八幡町には、古い建物が多く残っていました。下の写真はうどん屋さんです。14時ぐらいですが、店の中にはお客さんがいます。店の前には、椅子が並んでいます。昼時は、並んで相当待つのでしょう。きっと美味しいに違いありません。
他の古い建物です。
下の写真の注意標識、初めて見ました。「イノシシ注意」でしょうか。
西武池袋線の高麗駅前には、不思議な塔が建っています。
かつて朝鮮半島にあった、高句麗は、668年(天智7年)に新羅・唐に敗れ、滅んでしまいます。国が滅んだことから、海を渡り、日本に来る人が多くいたそうです。彼らは高麗人と呼ばれました。その人たちが移住したことから、716年(霊亀2年)に高麗郡が設置されたそうです。日高市、飯能市、鶴ヶ島市は、全てが高麗郡に属していたそうです。
この塔は、将軍標(チャンスン)で、朝鮮半島に古くから伝わる習俗だそうです。魔除け、災害防除、家内安全の願いを込め、2004年(平成16年)に西武鉄道株式会社がこの駅の前に建てたものです。