▼ 年末・年始は、コロナの感染者数にばかり、
気が取られた。
そして、連日「過去最多!」のアナウンスを聞くたび、
気が滅入った。
私だけではない。
きっと、多くの方が同じ気持ちだったに違いない。
年が明け、首都圏で暮らす息子からメールが届いた。
そこに、こんな一文があった。
『迫り来る危機にただただ無策のまま為すがままで、
自己責任論を押しつけられているようでもあるが、
一方でロックダウンなんかをされてしまうと、
業界的には大混乱アンド大打撃でもあり、
確かに難しいところだなと。
結局のところ、やはり自己責任・・、となるのかね。
もはや、かかるかからないは運の問題としか思えない・・。
ベストを尽くしてもリスクをゼロにはできない・・。』
一個人がどんなにベストを尽くしても罹患してしまう。
大都会では、そのリスクが大きい。
それを自己責任で済ませるなんて、
あまりにも理不尽だ。
だが、無策のまま為すがままの日々なら、
窮屈な暮らしになるのも、無理ないこと。
蓄積された徒労感を、息子に限らず
都会暮らしの老若男女は抱いていることだろう。
それが現実だと思う。
だから、今くらい政治の力を求められている時はない。
失政を恐れず、果敢な施策を迅速にと願うばかりだ・・・。
▼ 若干、話は変わるが、その施策の一例に移る。
クリスマスが近づいた頃だ。
久しぶりに隣町の兄の店を訪ねた。
家族経営の小さな飲食店だ。
兄と、息子、娘、そしてパートさん2・3名で、
もっぱら魚料理をセールスポイントにしている。
最近は、コロナ禍で、客足の鈍い日がずっと続いている。
ところが、私が行ったその日は、何日かぶりで、
宴会の予約が2組も入ったと、兄は明るい表情だった。
1組は8人で、もう1組は6人だとか・・・。
襖のついた小上がりに、
いつもより倍の広さにテーブルを置き、
コース料理が並べられていた。
しばらくして、同時に宴会が始まった。
きっと、このご時世だからだろう、
乾杯の発声もその後の会話も、ヒッソリとしていた。
やがて、私と家内が座るカウンターも、
他の小上がりも満席になった。
「こんな事は、久しぶり。」
兄は、何度もくり返しながら、
厨房で忙しく刺身を切っていた。
そんな様子を見ながら、ふと、
「もしも、この店に休業要請がきたなら・・」
と、頭をよぎった。
大義は、当然コロナの感染拡大防止だ。
地方での協力金は、おそらく多くても30万円程度だろう。
一時は、GoToで客足は戻った。
しかし、春からの自粛続きで、金繰りは火の車らしい。
そのような状況で、要請を受け入れられるのだろうか。
終わりが見えているなら、
細々とでもなんとか食いつなぐだろう。
だが、収束は誰の目にも先が見えていない。
そうなら、自衛手段を講じることも考える事になる。
その一手が、
「休業要請を受け入れない!」ことになるとしたら・・。
「今日は、ババガレイがうまいぞ!」。
兄が勧めるその煮付けを食べながら、
私の思考は、迷路へと進んでいく。
そして、ついには稚拙な想いは、行き止まる。
『「コロナが収束するまで、協力金は保障します。
貴方の生活は必ず守ります。」
そんな虫のいい約束事を、誰かしてくれるといいのに・・!』。
さて、ここ数日、事態は急変している。
1都3県に、再び「緊急事態宣言』が出された。
その上、全国では感染者が1日7800人を超えてしまった。
宣言の地域拡大も間近だろう。
都会に限らず、ドンドンとコロナが迫ってきている。
兄の店への要請だって、
絵空事の域ではなくなるかも・・。
これが実際となった時、
私はどんな考えに至るのだろうか。
無理を承知で、
「要請を受け入れろ!」と言えるだろうか。
施策の1例を思い描いても、
今後、難しい選択が突きつけられそうだ。
ここにも、自己責任と徒労感が見え隠れして、
気分が沈む。
▼ そんな想いの時、ふと開いた新聞のページに、
雲間から射し込む一本の陽光を見た。
第6回になるようだが、朝日新聞が中・高校生に、
『心に響いた大切な「ことば」と、エピソードを教えて下さい』
と、「私の折々のことばコンテスト2020」を募集した。
約3万もの応募から、
各部門賞がそのページに掲載されていた。
最優秀賞に力をもらった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
聖園女学院中学校(神奈川)2年 小倉 欄
私の事を想うなら、あなたのことを一番大切にしてください。
母親
私の一番心に残っている言葉は、緊急事態宣言中に出勤していく母に
言われた言葉です。私の母は看護師で、新型コロナの患者を受け入れて
いる病院に勤務していました。そのため、私は、母が出勤することが毎
日心配でたまりませんでした。母が仕事に行くときには行ってほしくな
い気持ちがありました。一方で、人のために命懸けで戦う姿が、とても
かっこよく見えました。誇らしい気持ちと、不安で心配な気持ちが入り
交じり、私は仕事に行く母に、行かないでとも、行ってらっしゃいとも
言えず泣かずに見送るのが精いっぱいでした。そんな時に母がかけてく
れたのがこの言葉でした、私は自分の命の重さを知り、世界で一番温か
い愛情を受けました。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「受賞にあたって」と、小倉さんはこんなコメントを添えている。
『 緊急事態宣言下、早朝に病院へと笑顔で出勤する母を、家族で見送りました。
小学5年生の妹は「行かないで」と泣いていましたが、
自分は泣くこともできず、「大丈夫?」と母に聞くと、
この言葉が返ってきました。
最初は母が心配で「そんなことできないよ」と思ったけど、
いまは自分を大切にして、その上で周りの人を大切にしたいと考えています。
患者を救う母はかっこよくて、一番一緒にいて幸せと思える存在です。
将来は母のように医療に携わる仕事をして、一緒に働くのが夢です。・・・』
▼ コロナ禍にあっても、
ブレずに真っ直ぐ前を向き、歩み続ける母子を見習いたい。
2階から見た 冬の夕陽
※1,2,3月のブロク更新は隔週の予定です
気が取られた。
そして、連日「過去最多!」のアナウンスを聞くたび、
気が滅入った。
私だけではない。
きっと、多くの方が同じ気持ちだったに違いない。
年が明け、首都圏で暮らす息子からメールが届いた。
そこに、こんな一文があった。
『迫り来る危機にただただ無策のまま為すがままで、
自己責任論を押しつけられているようでもあるが、
一方でロックダウンなんかをされてしまうと、
業界的には大混乱アンド大打撃でもあり、
確かに難しいところだなと。
結局のところ、やはり自己責任・・、となるのかね。
もはや、かかるかからないは運の問題としか思えない・・。
ベストを尽くしてもリスクをゼロにはできない・・。』
一個人がどんなにベストを尽くしても罹患してしまう。
大都会では、そのリスクが大きい。
それを自己責任で済ませるなんて、
あまりにも理不尽だ。
だが、無策のまま為すがままの日々なら、
窮屈な暮らしになるのも、無理ないこと。
蓄積された徒労感を、息子に限らず
都会暮らしの老若男女は抱いていることだろう。
それが現実だと思う。
だから、今くらい政治の力を求められている時はない。
失政を恐れず、果敢な施策を迅速にと願うばかりだ・・・。
▼ 若干、話は変わるが、その施策の一例に移る。
クリスマスが近づいた頃だ。
久しぶりに隣町の兄の店を訪ねた。
家族経営の小さな飲食店だ。
兄と、息子、娘、そしてパートさん2・3名で、
もっぱら魚料理をセールスポイントにしている。
最近は、コロナ禍で、客足の鈍い日がずっと続いている。
ところが、私が行ったその日は、何日かぶりで、
宴会の予約が2組も入ったと、兄は明るい表情だった。
1組は8人で、もう1組は6人だとか・・・。
襖のついた小上がりに、
いつもより倍の広さにテーブルを置き、
コース料理が並べられていた。
しばらくして、同時に宴会が始まった。
きっと、このご時世だからだろう、
乾杯の発声もその後の会話も、ヒッソリとしていた。
やがて、私と家内が座るカウンターも、
他の小上がりも満席になった。
「こんな事は、久しぶり。」
兄は、何度もくり返しながら、
厨房で忙しく刺身を切っていた。
そんな様子を見ながら、ふと、
「もしも、この店に休業要請がきたなら・・」
と、頭をよぎった。
大義は、当然コロナの感染拡大防止だ。
地方での協力金は、おそらく多くても30万円程度だろう。
一時は、GoToで客足は戻った。
しかし、春からの自粛続きで、金繰りは火の車らしい。
そのような状況で、要請を受け入れられるのだろうか。
終わりが見えているなら、
細々とでもなんとか食いつなぐだろう。
だが、収束は誰の目にも先が見えていない。
そうなら、自衛手段を講じることも考える事になる。
その一手が、
「休業要請を受け入れない!」ことになるとしたら・・。
「今日は、ババガレイがうまいぞ!」。
兄が勧めるその煮付けを食べながら、
私の思考は、迷路へと進んでいく。
そして、ついには稚拙な想いは、行き止まる。
『「コロナが収束するまで、協力金は保障します。
貴方の生活は必ず守ります。」
そんな虫のいい約束事を、誰かしてくれるといいのに・・!』。
さて、ここ数日、事態は急変している。
1都3県に、再び「緊急事態宣言』が出された。
その上、全国では感染者が1日7800人を超えてしまった。
宣言の地域拡大も間近だろう。
都会に限らず、ドンドンとコロナが迫ってきている。
兄の店への要請だって、
絵空事の域ではなくなるかも・・。
これが実際となった時、
私はどんな考えに至るのだろうか。
無理を承知で、
「要請を受け入れろ!」と言えるだろうか。
施策の1例を思い描いても、
今後、難しい選択が突きつけられそうだ。
ここにも、自己責任と徒労感が見え隠れして、
気分が沈む。
▼ そんな想いの時、ふと開いた新聞のページに、
雲間から射し込む一本の陽光を見た。
第6回になるようだが、朝日新聞が中・高校生に、
『心に響いた大切な「ことば」と、エピソードを教えて下さい』
と、「私の折々のことばコンテスト2020」を募集した。
約3万もの応募から、
各部門賞がそのページに掲載されていた。
最優秀賞に力をもらった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
聖園女学院中学校(神奈川)2年 小倉 欄
私の事を想うなら、あなたのことを一番大切にしてください。
母親
私の一番心に残っている言葉は、緊急事態宣言中に出勤していく母に
言われた言葉です。私の母は看護師で、新型コロナの患者を受け入れて
いる病院に勤務していました。そのため、私は、母が出勤することが毎
日心配でたまりませんでした。母が仕事に行くときには行ってほしくな
い気持ちがありました。一方で、人のために命懸けで戦う姿が、とても
かっこよく見えました。誇らしい気持ちと、不安で心配な気持ちが入り
交じり、私は仕事に行く母に、行かないでとも、行ってらっしゃいとも
言えず泣かずに見送るのが精いっぱいでした。そんな時に母がかけてく
れたのがこの言葉でした、私は自分の命の重さを知り、世界で一番温か
い愛情を受けました。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「受賞にあたって」と、小倉さんはこんなコメントを添えている。
『 緊急事態宣言下、早朝に病院へと笑顔で出勤する母を、家族で見送りました。
小学5年生の妹は「行かないで」と泣いていましたが、
自分は泣くこともできず、「大丈夫?」と母に聞くと、
この言葉が返ってきました。
最初は母が心配で「そんなことできないよ」と思ったけど、
いまは自分を大切にして、その上で周りの人を大切にしたいと考えています。
患者を救う母はかっこよくて、一番一緒にいて幸せと思える存在です。
将来は母のように医療に携わる仕事をして、一緒に働くのが夢です。・・・』
▼ コロナ禍にあっても、
ブレずに真っ直ぐ前を向き、歩み続ける母子を見習いたい。
2階から見た 冬の夕陽
※1,2,3月のブロク更新は隔週の予定です
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