①
朝、寝室のカーテン越しに外を見ると、
庭はうっすらと雪化粧をしていた。
遂に、本格的な冬が訪れたよう・・。
伊達に移り住んだのは、12年6月だから、
10度目の冬になる。
私の癖のようなものだが、
四季の変わり目には、決まって「この春は・・・」「この夏は・・・」と、
新たな気持ちで踏み出そうとする。
今は「この冬は・・・」と思案を巡らせている最中だ。
10度目だからと、「特段の冬にしたい」などと、
力を入れるつもりはない。
しかし、昨冬を振り返ると、コロナ禍とあって、
何一つとして足跡らしきものがない。
せめて「この冬は何かを」と・・。
②
そんな緩い私の日常に、
現職小学校教諭から久しぶりのメールが届き、
ハッとさせられた。
『先週は校内音楽会、今週は持久走大会、
そして来週の土曜日は、保護者が参観できる学校公開と続きます。
コロナで延期していた行事のラッシュです。』
コロナが沈静化している好機だ。
この時を有効活用して、今までできなかった活動を何としても実施したい。
そんな学校の強い意志が、伝わってきた。
同時に、子どもも先生も、それから保護者も、
目まぐるしい日々が続いていることだろう。
どの行事も十分な準備ができないまま、
満足のいくものではないに違いない。
そう直感した。
きっと保護者からは厳しい声も届くだろう。
子ども達も先生たちも、
1つ1つの行事から大きな達成感を得られないかも・・。
それでも、やらないよりはやった方がいいに決まってる。
その時のできる限りを尽くした経験は、
出来不出来に関係なく、
子どもにとって貴重な財産になると私は信じる。
だから、「子どもも先生も保護者も、
様々な難しさはあるだろうが、今を頑張ってほしい」。
私のような老兵が声にすることでもないと思いつつ、
でも、やはりエールの1つでも送りたくなった。
③
パンデミックが2年も続いてる。
子ども達にも大きな変化があって当然だ。
最近、その一端を知り、危機感をつのらせている。
羅列する。
▼月初めに郵送されてくる『楽書きの会だより』に、
こんな1文があった。
『朝日新聞の「声」欄に、
「昨年の5月に産んだ自分の三女はいわば「コロナネイティブ」だ。
健康だが上の娘二人より発語が遅い。
家族以外の人との交流が圧倒的に少なく、マスク越しで口の動きが見えない。
上の娘たちは言葉のシャワーを浴びて育った」という投稿が載っていました。
とても考えさせられました。
昨年あたりからの小学校の教室での1年生と、それと教える先生。
口元や表情が見えないって、
それぞれ大変だろうな~って思ってしまいます。』
マスクがコロナ感染防止にいかに有効かは、
海外との比較でも、十分に立証されている。
それが、子どもの生育に大きく影を落としているとは、
私も衝撃を受けた。
▼先日、テレビ報道でこんな子どものシーンを見た。
小学校2年生が生活科見学へ行った。
久しぶりの校外学習で、子供らは生き生きしていた。
最後に、見学した施設をバックに集合写真を撮ることになった。
学級全員が整列し、先生がみんなに言った。
「ではシャッターを押します。マスクをはずしていいですよ!」。
すると、すぐに1人の子が叫んだ。
「いやだ~!」。
テレビは、叫んだ子を映した。
列の中で、しぶしぶマスクをはずしはしたが、
その子は、手のひらで口を塞ぎ、先生のカメラを見ていた。
よく見ると、手で口をふさぐ子が他にも数人いた。
マスクへの信頼と同時に、
感染への警戒心の強さと恐怖感がどれ程か、
子ども達の心に大きな傷があることに気づかされた。
▼ 同様の出来事を私も体験した。
第5波の緊急事態宣言が解除になった秋口だった。
朝の爽やかな風を受け、足どりも軽く朝ランをしていた。
いつもはなかなか行く気にならない急坂を駆け上り、
中学校の前を通り過ぎた。
中学生の登校時間帯と重なっていた。
ランニングの時は、人と会わないことをいいことに、
私はマスクをしていない。
だから、すれ違う中学生とは、反対側の道路脇を走った。
マスク姿の中学生はどの子も、車道を挟んで走る私に、
頭を下げ、朝のあいさつをしてくれた。
ところが、やや小柄な中1らしい男子が、
道のはずれに立ち止まっていた。
マスクの上からさらに片手で口を押さえ、
もう一方の手を振り、私に近寄るなと合図をしていた。
顔には、おびえがあった。
「マスクをしないで、走る私が怖いのだ」。
その様子から、すぐに推測できた。
「ごめんね。マスクなしで」。
小さくそう言って、スピードを上げで反対の道路脇を走り抜けた。
コロナへの恐怖心の大きさを目の当たりにし、
心が痛んだ。
▼ ご近所に高校の先生がいる。
土曜日の朝、立ち話をする機会があった。
今日も出勤すると言う。
休日出勤の事情を尋ねてみた。
「オンラインでの就職面接練習に生徒がくるんです」。
そして、オンラインの面接にもメリットとデメリットがあることを
教えてくれた。
それよりもこんな話が心に留まった。
「練習でもオンラインだから、生徒はマスクを取るんですよ。
もう1年以上もマスクした顔しか見てないでしょう。
すごく大人になった顔が画面に現れ、
全然イメージが違って、ビックリすることがしばしばで、
面接練習が飛んでしまうこともあるんですよ」。
マスクで隠され、相手の表情が読み取れないのは、
私の日常にもあることだが、
まさか、子どもの成長や変化までマスクは覆っていたとは・・・。
当地の芝生 緑のまま雪の下へ
朝、寝室のカーテン越しに外を見ると、
庭はうっすらと雪化粧をしていた。
遂に、本格的な冬が訪れたよう・・。
伊達に移り住んだのは、12年6月だから、
10度目の冬になる。
私の癖のようなものだが、
四季の変わり目には、決まって「この春は・・・」「この夏は・・・」と、
新たな気持ちで踏み出そうとする。
今は「この冬は・・・」と思案を巡らせている最中だ。
10度目だからと、「特段の冬にしたい」などと、
力を入れるつもりはない。
しかし、昨冬を振り返ると、コロナ禍とあって、
何一つとして足跡らしきものがない。
せめて「この冬は何かを」と・・。
②
そんな緩い私の日常に、
現職小学校教諭から久しぶりのメールが届き、
ハッとさせられた。
『先週は校内音楽会、今週は持久走大会、
そして来週の土曜日は、保護者が参観できる学校公開と続きます。
コロナで延期していた行事のラッシュです。』
コロナが沈静化している好機だ。
この時を有効活用して、今までできなかった活動を何としても実施したい。
そんな学校の強い意志が、伝わってきた。
同時に、子どもも先生も、それから保護者も、
目まぐるしい日々が続いていることだろう。
どの行事も十分な準備ができないまま、
満足のいくものではないに違いない。
そう直感した。
きっと保護者からは厳しい声も届くだろう。
子ども達も先生たちも、
1つ1つの行事から大きな達成感を得られないかも・・。
それでも、やらないよりはやった方がいいに決まってる。
その時のできる限りを尽くした経験は、
出来不出来に関係なく、
子どもにとって貴重な財産になると私は信じる。
だから、「子どもも先生も保護者も、
様々な難しさはあるだろうが、今を頑張ってほしい」。
私のような老兵が声にすることでもないと思いつつ、
でも、やはりエールの1つでも送りたくなった。
③
パンデミックが2年も続いてる。
子ども達にも大きな変化があって当然だ。
最近、その一端を知り、危機感をつのらせている。
羅列する。
▼月初めに郵送されてくる『楽書きの会だより』に、
こんな1文があった。
『朝日新聞の「声」欄に、
「昨年の5月に産んだ自分の三女はいわば「コロナネイティブ」だ。
健康だが上の娘二人より発語が遅い。
家族以外の人との交流が圧倒的に少なく、マスク越しで口の動きが見えない。
上の娘たちは言葉のシャワーを浴びて育った」という投稿が載っていました。
とても考えさせられました。
昨年あたりからの小学校の教室での1年生と、それと教える先生。
口元や表情が見えないって、
それぞれ大変だろうな~って思ってしまいます。』
マスクがコロナ感染防止にいかに有効かは、
海外との比較でも、十分に立証されている。
それが、子どもの生育に大きく影を落としているとは、
私も衝撃を受けた。
▼先日、テレビ報道でこんな子どものシーンを見た。
小学校2年生が生活科見学へ行った。
久しぶりの校外学習で、子供らは生き生きしていた。
最後に、見学した施設をバックに集合写真を撮ることになった。
学級全員が整列し、先生がみんなに言った。
「ではシャッターを押します。マスクをはずしていいですよ!」。
すると、すぐに1人の子が叫んだ。
「いやだ~!」。
テレビは、叫んだ子を映した。
列の中で、しぶしぶマスクをはずしはしたが、
その子は、手のひらで口を塞ぎ、先生のカメラを見ていた。
よく見ると、手で口をふさぐ子が他にも数人いた。
マスクへの信頼と同時に、
感染への警戒心の強さと恐怖感がどれ程か、
子ども達の心に大きな傷があることに気づかされた。
▼ 同様の出来事を私も体験した。
第5波の緊急事態宣言が解除になった秋口だった。
朝の爽やかな風を受け、足どりも軽く朝ランをしていた。
いつもはなかなか行く気にならない急坂を駆け上り、
中学校の前を通り過ぎた。
中学生の登校時間帯と重なっていた。
ランニングの時は、人と会わないことをいいことに、
私はマスクをしていない。
だから、すれ違う中学生とは、反対側の道路脇を走った。
マスク姿の中学生はどの子も、車道を挟んで走る私に、
頭を下げ、朝のあいさつをしてくれた。
ところが、やや小柄な中1らしい男子が、
道のはずれに立ち止まっていた。
マスクの上からさらに片手で口を押さえ、
もう一方の手を振り、私に近寄るなと合図をしていた。
顔には、おびえがあった。
「マスクをしないで、走る私が怖いのだ」。
その様子から、すぐに推測できた。
「ごめんね。マスクなしで」。
小さくそう言って、スピードを上げで反対の道路脇を走り抜けた。
コロナへの恐怖心の大きさを目の当たりにし、
心が痛んだ。
▼ ご近所に高校の先生がいる。
土曜日の朝、立ち話をする機会があった。
今日も出勤すると言う。
休日出勤の事情を尋ねてみた。
「オンラインでの就職面接練習に生徒がくるんです」。
そして、オンラインの面接にもメリットとデメリットがあることを
教えてくれた。
それよりもこんな話が心に留まった。
「練習でもオンラインだから、生徒はマスクを取るんですよ。
もう1年以上もマスクした顔しか見てないでしょう。
すごく大人になった顔が画面に現れ、
全然イメージが違って、ビックリすることがしばしばで、
面接練習が飛んでしまうこともあるんですよ」。
マスクで隠され、相手の表情が読み取れないのは、
私の日常にもあることだが、
まさか、子どもの成長や変化までマスクは覆っていたとは・・・。
当地の芝生 緑のまま雪の下へ
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