▼大阪の吉村知事が、
コロナウイルスとうがい薬の関連性についてコメントした。
すると、一気に店頭から『イソジン液』が消えた。
そんな報道があった。
数ヶ月前のトイレットペーパーも同様だ。
その信ぴょう性を確かめるよりも、
「まずはもしものため、安心感がほしい!」。
そんな衝動が店へと走らせるのだろう。
コロナが、ウイルスと一緒に不信や不安をまき散らしている。
そんな一例だと思う。
そうは言いつつ、私も渦中の1人だ。
不信も不安も、大ありだ。
だが、世界中の第一線で闘っている研究者を信じる。
「必ず、この闇を抜け出す時が来る」。
その道を、きっと切り開いてくれる。
だから、今の私は出来ることを、
淡々と平然とやりながら過ごす・・。
それに尽きる・・・。
しかし、長期戦だ。
問題は長きに耐えるメンタルだ。
「まずはもしものため・・」なんて、
店頭へ走らない強さが大事だ。
メンタルが問われているのだ。
さて、どこまで強いか。どれだけ弱いか。
私のメンタルを、さかのぼってみる。
▼ それは、確か小学校1年生のことだ。
当時、両親は魚の行商をしていた。
夕方、遅くにならないと戻ってこなかった。
放課後、1人きりの私が気がかりだった。
そこで、せめてもの贈り物だったのだろう。
私を励まそうとの思いもあったのだろう。
「これで遊んでいてねぇ」だったのかも・・・。
あの頃、さほど出回っていなかったが、
子供用自転車を買ってくれた。
青い色で、私にはやや大き目だった。
補助輪をつけて、
舗装なんでされていないガタガタ道を行ったり来たりした。
姉の手助けもあって、
1か月もすると、補助輪をはずした。
スイスイとペダルをこいだ。
事件は、その数日後だった。
自転車が楽しくなって、学校から帰るとすぐに乗り回した。
得意気だった。油断したに違いない。
今で言う排水溝だ。
当時は、道路横の汚水が貯まったドブだ。
フタなどはない。
気づくと自転車がドブに向かっていた。
慌ててブレーキを握ったが、
自転車と一緒に、汚い水に落ちていった。
頭まで水中に沈んだ。
ドブの底を足で蹴った。
ようやく青空が見えた。
すぐにまた濁った水になった。
また、足で底を蹴った。
手も足も忙しく動かした。
また青い空が見えた。
ホッとする間もなく消えた。
何回も青空を見たり、濁った水になったり・・。
息が苦しい。
もう蹴るものがなくなったような気がした。
それでも、足で何かを蹴ろうとした。
青空が見たいと首を伸ばした。
水が喉に詰まった。
次第にまわりが暗くなっていった。
その時、上から大きな手が私の両脇をつかんだ。
声も出ないまま、その手に抱かれた。
顔馴染みの近所の伯母さんが、
ドブに入り、私をかかえてくれた。
青空がずっと見えた。
私はすすり泣いた。
伯母さんは、回りの子ども達に手伝わせて、
タライに水を入れ、私を洗ってくれた。
伯母さんの家には、
女の子の着替えしかなかった。
私は、母が戻るまで、それを着て待った。
青い自転車もドブから上げてくれた。
もう安心していい。
なのに、ドブから救い出された私の体は、震え始めた。
女の子の格好で、ガタガタと震えた。
汚水に沈み、ようやく見た青空。
苦しいまま足がドブ底に着く。
また空が見たいともがく。
何度も何度も、濁った水に息を止められた。
それが、鮮やかにくり返し頭に浮んだ。
体が小刻みに震えた。ずっと震えた。
「なのに!}だ。
3日もすると、私は何もなかったかのように
再び、得意気に青い自転車をこいだ。
ただ、ドブだけはわざわざ遠ざけるようにした。
体の震えもすっかり忘れてしまった。
ところが、4年生の時だ。
水泳教室があった。海水浴場ではじめて海に入った。
それまで水泳の経験がなかった。
先生に促されて、みんなと一緒に海に頭を入れた。
何の前触れもなく、
青い自転車と一緒に落ちたドブの中が、突然蘇った。
青空が見たくて、息を詰まらせながら必死な私がいた。
急に、体がブルブルガタガタと震え始めた。
深呼吸をくり返しても、震えは止まらなかった。
震えたまま、いち早く砂浜に上がった。
「もう大丈夫!」。
意を決し、海に再び顔を入れに行った。
でも、ブルブル震え出した。
翌年も、翌々年も水泳教室があった。
「今年こそは大丈夫」。
海に頭を沈めた。
震えが始まり、止まらなくなった。
「ほら、アンタは腎臓の病気をしたでしょう。
そのせいで、水に入ると人一倍寒くなるのよ。」
母は、明るく私を慰めた。
先生には、母の弁を借りた。
腎臓病を言い訳に、さっさと海から上がった。
オニグルミの実が「こんな!」
コロナウイルスとうがい薬の関連性についてコメントした。
すると、一気に店頭から『イソジン液』が消えた。
そんな報道があった。
数ヶ月前のトイレットペーパーも同様だ。
その信ぴょう性を確かめるよりも、
「まずはもしものため、安心感がほしい!」。
そんな衝動が店へと走らせるのだろう。
コロナが、ウイルスと一緒に不信や不安をまき散らしている。
そんな一例だと思う。
そうは言いつつ、私も渦中の1人だ。
不信も不安も、大ありだ。
だが、世界中の第一線で闘っている研究者を信じる。
「必ず、この闇を抜け出す時が来る」。
その道を、きっと切り開いてくれる。
だから、今の私は出来ることを、
淡々と平然とやりながら過ごす・・。
それに尽きる・・・。
しかし、長期戦だ。
問題は長きに耐えるメンタルだ。
「まずはもしものため・・」なんて、
店頭へ走らない強さが大事だ。
メンタルが問われているのだ。
さて、どこまで強いか。どれだけ弱いか。
私のメンタルを、さかのぼってみる。
▼ それは、確か小学校1年生のことだ。
当時、両親は魚の行商をしていた。
夕方、遅くにならないと戻ってこなかった。
放課後、1人きりの私が気がかりだった。
そこで、せめてもの贈り物だったのだろう。
私を励まそうとの思いもあったのだろう。
「これで遊んでいてねぇ」だったのかも・・・。
あの頃、さほど出回っていなかったが、
子供用自転車を買ってくれた。
青い色で、私にはやや大き目だった。
補助輪をつけて、
舗装なんでされていないガタガタ道を行ったり来たりした。
姉の手助けもあって、
1か月もすると、補助輪をはずした。
スイスイとペダルをこいだ。
事件は、その数日後だった。
自転車が楽しくなって、学校から帰るとすぐに乗り回した。
得意気だった。油断したに違いない。
今で言う排水溝だ。
当時は、道路横の汚水が貯まったドブだ。
フタなどはない。
気づくと自転車がドブに向かっていた。
慌ててブレーキを握ったが、
自転車と一緒に、汚い水に落ちていった。
頭まで水中に沈んだ。
ドブの底を足で蹴った。
ようやく青空が見えた。
すぐにまた濁った水になった。
また、足で底を蹴った。
手も足も忙しく動かした。
また青い空が見えた。
ホッとする間もなく消えた。
何回も青空を見たり、濁った水になったり・・。
息が苦しい。
もう蹴るものがなくなったような気がした。
それでも、足で何かを蹴ろうとした。
青空が見たいと首を伸ばした。
水が喉に詰まった。
次第にまわりが暗くなっていった。
その時、上から大きな手が私の両脇をつかんだ。
声も出ないまま、その手に抱かれた。
顔馴染みの近所の伯母さんが、
ドブに入り、私をかかえてくれた。
青空がずっと見えた。
私はすすり泣いた。
伯母さんは、回りの子ども達に手伝わせて、
タライに水を入れ、私を洗ってくれた。
伯母さんの家には、
女の子の着替えしかなかった。
私は、母が戻るまで、それを着て待った。
青い自転車もドブから上げてくれた。
もう安心していい。
なのに、ドブから救い出された私の体は、震え始めた。
女の子の格好で、ガタガタと震えた。
汚水に沈み、ようやく見た青空。
苦しいまま足がドブ底に着く。
また空が見たいともがく。
何度も何度も、濁った水に息を止められた。
それが、鮮やかにくり返し頭に浮んだ。
体が小刻みに震えた。ずっと震えた。
「なのに!}だ。
3日もすると、私は何もなかったかのように
再び、得意気に青い自転車をこいだ。
ただ、ドブだけはわざわざ遠ざけるようにした。
体の震えもすっかり忘れてしまった。
ところが、4年生の時だ。
水泳教室があった。海水浴場ではじめて海に入った。
それまで水泳の経験がなかった。
先生に促されて、みんなと一緒に海に頭を入れた。
何の前触れもなく、
青い自転車と一緒に落ちたドブの中が、突然蘇った。
青空が見たくて、息を詰まらせながら必死な私がいた。
急に、体がブルブルガタガタと震え始めた。
深呼吸をくり返しても、震えは止まらなかった。
震えたまま、いち早く砂浜に上がった。
「もう大丈夫!」。
意を決し、海に再び顔を入れに行った。
でも、ブルブル震え出した。
翌年も、翌々年も水泳教室があった。
「今年こそは大丈夫」。
海に頭を沈めた。
震えが始まり、止まらなくなった。
「ほら、アンタは腎臓の病気をしたでしょう。
そのせいで、水に入ると人一倍寒くなるのよ。」
母は、明るく私を慰めた。
先生には、母の弁を借りた。
腎臓病を言い訳に、さっさと海から上がった。
オニグルミの実が「こんな!」
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