ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

私 『楽書きの会』同人 ≪後≫

2020-06-27 12:44:25 | 思い
 1年前に、『楽書きの会』同人に加えて頂いた。
それから、地元紙『室蘭民報]』文芸欄の「随筆 大手門」に、
私が書いた5編が載った。
 前回の2編に続いて、3編を転記する。

  ◇    ◇    ◇    ◇

     信 じ て も ら え な い

 教職を退く直前、3・11があった。
東京は、全線で電車が止まった。
 なので私の小学校も避難所になった。
日暮れとともに、帰宅が困難な人達が次々とやって来た。
 職員総出で対応した。初めての経験だった。
水と非常食、毛布を配り、校内へ案内した。

 一晩中情報は錯綜し、その信ぴょう性を推し測りながら、
その場を切り盛りした。
 難しく不確かな局面が、ずっと続いた。

 その最中、チョットした事件があった。
10時頃だった。制服の女子高生が1人、職員室のドアを開けた。
 厚手のハンカチで涙を抑え、無言で立っていた。
入口そばの教員が近寄り、話を聞いてあげた。
 その事情はすぐに校長室の私にも届いた。

 下校途中、女子高生の電車も止まった。
駅前の大型スーパーで復旧を待った。
 だが、その店も閉まり、学校へ来た。
その経緯は逐一自宅に携帯で伝えた。
 そこまではよかった。

 ところがその後、両親は難色を示した。
「H駅近くの小学校が避難所だから、
そこに泊まるって言っても、信じてもらえない。
 誰のところに泊まるんだ!って。」
女子高生は私の前でも涙を流した。

 彼女の自宅に電話した。お父さんが出た。
どこでも情報が混乱していた。
 「お嬢さんを私共がお預かりしています」。
校長と名乗っても半信半疑だった。
 仕方なく、学校の3本の電話番号を伝え、
「いずれかに電話を・・。」
と受話器を置いた。
 すぐ電話が鳴った。
私の声を聞き、お父さんは安心した。
 その後、女子高生に替わった。
その表情が次第に和らいだ。

 全てが災害時の予期しない展開だ。
我が子を案じる親心がどれ程か、十分理解できた。
 しかし、それに過剰反応し、娘に疑いを持った両親。
そのことにさまよい涙し、職員室をノックした女子高生。
 彼女にとって助けを求める場所があった。
初めての学校でも、職員室がそれだった。
 今も、私は安堵する。

               <令和2年 1月 4日(土) 掲載>

  ◇    ◇    ◇    ◇

     感情を表す言葉を

 『21世紀がどんな社会か是非見てみたいが、それはかなわない。
だからその時代を生き、その社会を築き上げる君たちに言いたい。』
と、小説家・司馬遼太郎氏は小論文を残し、熱い想いを語っています。

 司馬氏は、21世紀を生きる人間の条件の1つに
「いたわり」「やさしさ」をあげ、
それは決して本能ではない。
 だから訓練が必要だと説いています。

 その訓練とはいたって簡単なことで、
例えば、人がころぶ、
その時「ああ痛かっただろうなあ。」という感情をその都度持つこと。
 そしてそんな感情を自分の中に、
いくつも積み重ねていくことで、
「いたわり」や「やさしさ」は心に根付くと言うのです。

 私は、誰でもみんな、そんな訓練を是非するべきだと、
強く思っています。
 それは、昨今の凶悪事件の報道に接するたび、
もしあの犯罪者に「いたわり」や「やさしさ」が根付いていたなら、
きっと事態は違っていたと思うからです。

 さて、私たち大人なら司馬氏の説く訓練を自分に課し、
積み重ねることはできるでしょう。
 しかし、子ども達はどうでしょう。
子ども達には、私たち大人がその訓練を援助する必要があるでしょう。

 その援助とは、例えば友達がころぶ。
「ああ痛かっただろうね」と語りかける。
 色とりどりに咲く草花を見る。
「なんてきれいなんでしょう」と伝える。
 道を掃除する人がいる。
「ありがとうございます」と言って一緒に通る。

 そんな私たち大人の心の表現が、
子どもの心に「いたわり」「やさしさ」を芽生えさせ、
育むことになる。

 だから、『できた・できない』『いい・悪い』『早い・遅い』。
そんな言葉の中でつい忘れがちな
『うれしい、楽しい、悲しい、つらい、淋しい』等、
感情を表す言葉を大事にする。
 それが司馬氏の想いに応えることでは。

               <令和2年 4月 4日(土) 掲載>

  ◇     ◇     ◇     ◇

     コ ロ ナ 禍 の 春 ラ ン

 ついに春が来た。
梅も桃も桜も一斉に咲いた。
 白木蓮も紫木蓮もコブシも、みんな咲いた。
そして、柳、カエデ、唐松の緑が柔らかな陽を受け、綺麗だ。

 日の出も早い。それに誘われ、目ざめも早くなる。
いい天気の日は、準備を整え6時半にランニングスタートだ。

 人はまばら。3密の心配など要らない。
でも、この陽気だからか、自粛生活だからか、ランナーと時々すれ違う。
 みんな若い。多くはイヤホンをしている。
挨拶しても、耳に届かないようで視線すら合わせない。

 ところが、近づいてきたランナーが、
私の左腕にあるオレンジ色の腕章を見た。
 「おっ、ガードランナーズだ。お疲れっす。」
さっと頭を下げ走り去った。

 『走りながら、子どもやお年寄りの見守りを!』。
そんな趣旨に「私でよければ」と腕章をして走っている。

 それをねぎらう飾らないひと言だ。
「別に、何もしてないのに!」。
 でも、その言葉で快晴の空を見上げたくなった。
誰も見ていないことをいいことに、少し胸を張った。

 きっとアカゲラだろう。ドラミングが空に響いていた。
一瞬、コロナを忘れた。

 そして、自宅まで残り1キロ程の日だ。
予報よりも早く雨が降り始めた。
 でも、これ以上速くは走れない。

 濡れはじめた歩道の先を見た。
上下黒にピンクのシューズのランナーが、向かってきた。
 距離がみるみる近づいた。
私が速いのではない。

 若い女の子だった。ショートカットがすっぽりと湿っていた。
すれ違い際、目が合った。
 「おはようございます」。
私の挨拶に、彼女は笑顔を作り一礼した。

 すかさず私は続けた。
「雨だから、足元、気をつけて!」。
 彼女は、すっと私の横をぬけた。
そしてすぐ、背後から明るく弾んだ声が飛んできた。
 「はぁーい、ありがとうございまーす!」。

 突然、その声が氷雨ではなく、春の雨だと気づかせた。
急に「足がスイスイ進む!」。
 一瞬、年齢を忘れた。
「春だ!」。

               ≪令和2年 6月20日(土) 掲載≫



 道端を彩る オリエンタルポピー

     ※ 次回のブログ更新予定は 7月11日(土)です

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