世界中が猛暑に見舞われた今年の夏。
当地も例外ではなかった。
8月は、30度越えの日が何日もあった。
その上、最高気温の更新まで追加された。
そんな夏から、私のトピックスを幾つか拾ってみた。
8月 某日 ①
確か5月だったと思う。
校長として3校12年にわたり勤務したS区教育委員会から電話があった。
突然のことで、その内容がなかなか理解できなかった。
落ち着いて聞くと、この私を
「小学校教育功労者として感謝状の贈呈候補者として、
都教委と文科省に推薦したい」
と言うことだった。
予期しないことに、思わず尋ねた。
「私でいいのでしょうか?」。
「様々な方からご推薦を頂きました。
私どもも今までの資料や先生の功績に関する文書にあたり、
決めさせて貰いました」。
そんな返答だった。
そして、電話は「正式に決まり次第、
またご連絡致します」で終わった。
5月6月が過ぎ、音沙汰がなく、
その話は立ち消えになったのだろうと思っていた7月の終り、
『03』から始まる電話が鳴った。
S区教委の同じ声の方からだった。
「感謝状の贈呈が決まりました。
通知文を送ります。
ご出席くださいますよう、よろしくお願いします」。
数日後の8月某日、
『小学校教育功労者に対する感謝状の授与について』
と題する文書が届いた。
以来ずっと、「感謝状の贈呈者が私でいいのか」と、
自問自答をくり返す日が続いている。
ただただ恐縮している。
8月 某日 ②
昨年のお盆の墓参りは、兄夫婦と姉、
そして私たちの5人だった。
今年は、義姉が施設に長期入所したため、
4人で行くことになった。
あいにくの小雨模様だった。
登別にいる兄と姉の住まいを車で周り、
お墓へ行くことになっていた。
雨が降り続いていた。
墓参の後で昼食にする予定だったが変更した。
先に、昨年同様、温泉街や国道沿いの飲食店をさけ、
霊園から遠くないゴルフ場のレストランへ向かった。
クラブハウス内のレストランからは、
ゴルフ場の広々としてゴルフコースが一望できた。
雨に洗われた緑が、一段と綺麗だった。
ふと、義姉にも見せてあげたいと思った。
さて、4人とも同じ天ざる蕎麦を食べることにした。
食べながら、雨が止むことを期待した。
時間は、十分にあった。
食後のコーヒーも追加した。
しかし、天候は変わらず、
仕方なく、雨の中をお墓へ車を走らせた。
車内で兄がつぶやいた。
「メニューにあった、あのサーロインステーキの定食。
あれが食べたかったなあ」。
ハンドルを握りながら、耳を疑った。
「お昼に肉を食べるの?」
思わず訊いた。
「そうだよ。俺、朝からでも牛丼、食べるもん」。
すかさず姉までもが言う。
「私も本当はサーロインがよかった。
めったに食べないからねえ」。
メニューには、ざる蕎麦がなかった。
仕方なく、私は天ざるに決めた。
それに、みんなが従った。
年寄りは誰でも、その程度の軽い昼食がいい。
自分勝手にそんな解釈をしていた。
ところが、サーロインステーキだと言う。
兄姉の旺盛な食欲に驚いた。
2人の元気の秘訣が少し分かった気がした。
だから、「じゃ、来年のお盆は同じところで、
サーロインの定食を食べることにしよう」。
私が提案した。
てっきり同意の返答があるものと思った。
しばらくして、兄が再びつぶやいた。
「もしも元気だったらなあ・・。
でも、いつ家の奴みたいになるか分からんからなぁ・・」。
急に胸が詰まった。
霊園に着くと、突然雨が上がった。
この晴れ間は、兄の思いを父と母が汲んだからかも・・・。
そう思うと、さらに胸が詰まり足が止まった。
8月 某日 ③
8週間ごと、定期的に眼科に通院している。
診察の予約券にも明記されているが、
診察終了までに2時間以上はかかるのだ。
医師の診察前に、4から5種類の検査がある。
すぐにできる検査もあるが、
しばらく時間をおいてからのものもある。
そこまででざっと1時間はかかる。
そこから医師の診察までに、
次の1時間は、じっと待たされるのだ。
そこにどんな理由があるかはわからない。
とにかく患者はみな、
その2時間を病院に居続けなければならないのだ。
眼科診療の特殊な事情があるのか知らない。
機会があったら、誰かに教えてもらいたいといつも思う。
さて、待合室で私の前の長椅子にいた老夫婦のことだ。
奥さんは、自前の車いすに座っていた。
検査に呼ばれた。
検査のため病院の車いすに乗り換えるよう勧められた。
しばらくして検査が終わり、待合室へ戻ってきた。
病院の車いすのまま、ご主人が座る長椅子の前にいた。
やがて小さなうめき声が始まった。
車いすの奥さんからだった。
近くのご主人は気にも止めない様子。
「いつものことなのかな」と思った。
ところが、看護師さんが奥さんの前を通った時だ。
「ねえ、私の車いすに移して!」。
奥さんが呼び止めた。
「どうしました」。
「この車いす、座りづらくて!」。
看護師さんの手を借りて、自分の車いすに移動した。
うめき声はすぐに消えた。
その後も、待ち時間が続いた。
さて、気づくと、奥さんはご主人の手を借りたのか、
長椅子に移り横になっていた。
辛そうな様子が、私にもよく分かった。
再び、奥さんは看護師さんに声をかけた。
「退院したばかりで、辛いの。
診察までまだまだかかるの?」。
「そうですね。
まだしばらくはかかります」。
奥さんの様子を見れば、
先に診察を受けさせても、誰も苦情など言わないと思う。
それができなくても、
眼科医院でも急患に備えて、ベッドの1つはあるだろう。
せめて、そこで横になるくらいの心遣いはできるはず。
患者に寄り添う様子など全くない看護師の振る舞い。
いや、「寄り添う必要などない!」この患者のいつもの振る舞いかも・・。
実は、釈然としないまま、他人ごとと見過ごすし、
何も言い出そうとしない自分に、苛立っていた。
オオウバユリ 花のあと
当地も例外ではなかった。
8月は、30度越えの日が何日もあった。
その上、最高気温の更新まで追加された。
そんな夏から、私のトピックスを幾つか拾ってみた。
8月 某日 ①
確か5月だったと思う。
校長として3校12年にわたり勤務したS区教育委員会から電話があった。
突然のことで、その内容がなかなか理解できなかった。
落ち着いて聞くと、この私を
「小学校教育功労者として感謝状の贈呈候補者として、
都教委と文科省に推薦したい」
と言うことだった。
予期しないことに、思わず尋ねた。
「私でいいのでしょうか?」。
「様々な方からご推薦を頂きました。
私どもも今までの資料や先生の功績に関する文書にあたり、
決めさせて貰いました」。
そんな返答だった。
そして、電話は「正式に決まり次第、
またご連絡致します」で終わった。
5月6月が過ぎ、音沙汰がなく、
その話は立ち消えになったのだろうと思っていた7月の終り、
『03』から始まる電話が鳴った。
S区教委の同じ声の方からだった。
「感謝状の贈呈が決まりました。
通知文を送ります。
ご出席くださいますよう、よろしくお願いします」。
数日後の8月某日、
『小学校教育功労者に対する感謝状の授与について』
と題する文書が届いた。
以来ずっと、「感謝状の贈呈者が私でいいのか」と、
自問自答をくり返す日が続いている。
ただただ恐縮している。
8月 某日 ②
昨年のお盆の墓参りは、兄夫婦と姉、
そして私たちの5人だった。
今年は、義姉が施設に長期入所したため、
4人で行くことになった。
あいにくの小雨模様だった。
登別にいる兄と姉の住まいを車で周り、
お墓へ行くことになっていた。
雨が降り続いていた。
墓参の後で昼食にする予定だったが変更した。
先に、昨年同様、温泉街や国道沿いの飲食店をさけ、
霊園から遠くないゴルフ場のレストランへ向かった。
クラブハウス内のレストランからは、
ゴルフ場の広々としてゴルフコースが一望できた。
雨に洗われた緑が、一段と綺麗だった。
ふと、義姉にも見せてあげたいと思った。
さて、4人とも同じ天ざる蕎麦を食べることにした。
食べながら、雨が止むことを期待した。
時間は、十分にあった。
食後のコーヒーも追加した。
しかし、天候は変わらず、
仕方なく、雨の中をお墓へ車を走らせた。
車内で兄がつぶやいた。
「メニューにあった、あのサーロインステーキの定食。
あれが食べたかったなあ」。
ハンドルを握りながら、耳を疑った。
「お昼に肉を食べるの?」
思わず訊いた。
「そうだよ。俺、朝からでも牛丼、食べるもん」。
すかさず姉までもが言う。
「私も本当はサーロインがよかった。
めったに食べないからねえ」。
メニューには、ざる蕎麦がなかった。
仕方なく、私は天ざるに決めた。
それに、みんなが従った。
年寄りは誰でも、その程度の軽い昼食がいい。
自分勝手にそんな解釈をしていた。
ところが、サーロインステーキだと言う。
兄姉の旺盛な食欲に驚いた。
2人の元気の秘訣が少し分かった気がした。
だから、「じゃ、来年のお盆は同じところで、
サーロインの定食を食べることにしよう」。
私が提案した。
てっきり同意の返答があるものと思った。
しばらくして、兄が再びつぶやいた。
「もしも元気だったらなあ・・。
でも、いつ家の奴みたいになるか分からんからなぁ・・」。
急に胸が詰まった。
霊園に着くと、突然雨が上がった。
この晴れ間は、兄の思いを父と母が汲んだからかも・・・。
そう思うと、さらに胸が詰まり足が止まった。
8月 某日 ③
8週間ごと、定期的に眼科に通院している。
診察の予約券にも明記されているが、
診察終了までに2時間以上はかかるのだ。
医師の診察前に、4から5種類の検査がある。
すぐにできる検査もあるが、
しばらく時間をおいてからのものもある。
そこまででざっと1時間はかかる。
そこから医師の診察までに、
次の1時間は、じっと待たされるのだ。
そこにどんな理由があるかはわからない。
とにかく患者はみな、
その2時間を病院に居続けなければならないのだ。
眼科診療の特殊な事情があるのか知らない。
機会があったら、誰かに教えてもらいたいといつも思う。
さて、待合室で私の前の長椅子にいた老夫婦のことだ。
奥さんは、自前の車いすに座っていた。
検査に呼ばれた。
検査のため病院の車いすに乗り換えるよう勧められた。
しばらくして検査が終わり、待合室へ戻ってきた。
病院の車いすのまま、ご主人が座る長椅子の前にいた。
やがて小さなうめき声が始まった。
車いすの奥さんからだった。
近くのご主人は気にも止めない様子。
「いつものことなのかな」と思った。
ところが、看護師さんが奥さんの前を通った時だ。
「ねえ、私の車いすに移して!」。
奥さんが呼び止めた。
「どうしました」。
「この車いす、座りづらくて!」。
看護師さんの手を借りて、自分の車いすに移動した。
うめき声はすぐに消えた。
その後も、待ち時間が続いた。
さて、気づくと、奥さんはご主人の手を借りたのか、
長椅子に移り横になっていた。
辛そうな様子が、私にもよく分かった。
再び、奥さんは看護師さんに声をかけた。
「退院したばかりで、辛いの。
診察までまだまだかかるの?」。
「そうですね。
まだしばらくはかかります」。
奥さんの様子を見れば、
先に診察を受けさせても、誰も苦情など言わないと思う。
それができなくても、
眼科医院でも急患に備えて、ベッドの1つはあるだろう。
せめて、そこで横になるくらいの心遣いはできるはず。
患者に寄り添う様子など全くない看護師の振る舞い。
いや、「寄り添う必要などない!」この患者のいつもの振る舞いかも・・。
実は、釈然としないまま、他人ごとと見過ごすし、
何も言い出そうとしない自分に、苛立っていた。
オオウバユリ 花のあと
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