9月末、久しぶりに学生時代の友人10人程と札幌で一夜を過ごした。
全員、教職をまっとうし、今はそれぞれ第二の人生を謳歌している。
それでも、共通の話題は『学校』のことであった。
北海道でも極寒で知れわたる町に勤務していた友人からは、
「氷点下20度以下になると、1度下がるごとに
登校時間が1時間遅くなる。そんなルールがある。」
と聞き、私の想像をはるかに越えた暮らしぶりに、息を飲んだ。
その一例に限ったことではないが、各地の学校事情に触れ、
もっぱら東京の子どもと小学校の環境しか知らない私が、
軽々に学校教育を語ることに赤面した。
それでも、この日、一夜の語らいで、強く印象に残ったのは、
学力向上への取り組みであった。
現在も、多少なりと学校と関わりのある友人たちから、
口をそろえて語られたのが、
学力向上策としての「家庭学習の取り組み」である。
確かに、学力調査の結果として、
学力の高い地域と家庭学習の関連性が指摘されている。
だから、学力向上のため、家庭学習に力を入れる。
その発想と取り組みが、今日学校では強調されていると言う。
確かに、私も現職の時、教委の求めに応じ、
自校の学力向上策の一つとして、
『学年×15分』の家庭学習習慣の確立を掲げた。
現在、私が暮らす近隣小学校でも、
同様の家庭学習時間が設定されている。
併せて、「毎日、全員が宿題に取り組む」ことと、
「自習学習の推奨」が、学力を支える取り組みとされている。
毎日の宿題提出と家庭での確認が、子どもと保護者に求められている。
私は、このような学力向上の実践を否定するものではない。
しかし、「これが全てではなかろう。」と声を大にしたい。
現職時代、思い描いていた小学校での向上策の主なものを付す。
ただし、ここに示すいくつかは、自校で実現し、
いくつかは、職員のコンセンサスを得ることができず、志半ばとなった。
余談になるが、私は、学校運営での上意下達のような手法を極力避けた。
それは、学校教育には似合わないからである。
教員は、自身が深く納得してこそ、
はじめて子どもの指導に説得力が加わるのである。
だから、校長として、職員のコンセンサスを重視した。
一人一人の職員が自信を持って胸張って指導にあたってこそ、
学校は、活力をもつ。
安易な指示・命令での学校運営では、子どもの大きな変容は決して望めない。
(1)45分間の授業時間を厳守
始業のチャイムが鳴る。
担任がまだ教室にいない。
子ども同士のけんかの仲裁をしている。
あるいは、廊下に整列し、理科室への教室移動を始める。等々。
これらは、今も、学校によっては見られる光景なのではなかろうか。
つまり、チャイムと同時に授業が始まっていないのである。
私はこれを、授業のロスタイムと呼んでいる
このようなことで、
例えば、5分間授業の始まりが遅れたとする。
すると、45分間の授業は、40分間になってしまう。
それが、毎時間くり返されたとしたら、、
1日を5校時として、25分間、授業時間が少なくなることになる。
2日間で、1単位時間(45分間)のタイムロスが生まれる。
週にして2~3時間、2週間で1日分の授業時数(5時間)となる計算である。
学力向上策の第一は、
授業時数の拡大でも、授業日数の増加でもない。
まずは、『45分間の授業を、
できうる限りロスなく進める』ことである。
そのため、始業チャイムと同時に
毎時間授業を始め、45分間の授業を目標とすることである。
教室移動は、常に業間に行う。
中休みや昼休みは、チャイムが終了ではなく、
チャイムは授業の始まりと捉える。
4、5分前には休み終了の合図をし、
教室で始業を待つようにしたい。
職員朝会や児童朝会等も時間を厳守し、
長引くようなら後日持ち越し等の対応をする等、
授業時間の厳守を、学校運営の最優先事項にする。
学校によっては、様々な習慣や約束事がある。
従って、最優先事項への迫り方や、改善方法も一律ではない。
全教員の英知を結集して取り組み、授業時間の厳守に努めたい。
なお、当然のことであるが、
始業と同時に授業を始める環境として、
児童の学習意欲、良好な人間関係、学級の明るい雰囲気、、
学校職員とも連携した学校全体の同一歩調が必要になる。
(2)担任による個別指導の実施
都内の小学校では、『放課後学習教室』と称される
学力向上策が実施されているところがある。
主な実施内容は、対象学年を定め、本人の同意や自主参加を原則としている。
指導者は、校外からそのための講師を雇用する。
朝自習でも活用するドリルを使ったり、それ用のプリントを用意したりして、
毎週数回、小1時間程度が、主流かと思う。
主には、国語や算数の基礎基本に関する補習的学習である。
若干誤解される言い回しになるが、
私は、『どんな教育活動もやらないより、やった方がいい。』
と思っている。
だから、このような学習教室も、
『やらないよりは、やった方がいい。』と思う。
しかし、同じように放課後を活用した学力向上策であっても、
より有効性が期待できるのは、担任による個別指導である。
私は、できる限り
放課後の教師と子どもの自由な時間の確保に、心を砕いた。
そして、その時間を活用した個別指導に、学力向上の力があると考えてきた。
学校の放課後には、様々な会議が設定され、
多様な研修が準備され、出張も多い。
教師は、授業が終わると子どもに急いで下校するよう促し、
会議への出席や出張へと急ぐ。
これでは、子どもの相談に応じたり、学習への遅れを手助けしたり、
時には子ども理解につながる楽しい団らんに興じたり、
学習意欲への動機づけを行ったりするのは、
遠いものになってしまう。
学校は、大胆な会議等の精選を断行しなければならない。
例えば、毎月の職員会議は、2,3ヶ月に1回にする。
職員会議前の事前会議である企画委員会(運営委員会)は廃止し、
主幹や副校長との事前協議や決済を経て,職員会議に臨む。
さらには、学校毎にルールを定め、
各種定例会議も必要に応じて行うものとする。
加えて各会議の廃止や総合、そして長期休業中の開催にするなど、
従来の慣行にとらわれない見直しを行うことが重要である。
それによって生まれた放課後の時間を、
子どもの個別指導に当てるのである。
ここで私が最も強調したいことは、
小学校の子どもにとって一番有効な個別指導の相手についてである。
言うまでもないことだが、それは、
その子の最大の理解者、つまり学級担任である。
学習内容へのつまづき、理解不足のポイント、
そして、その子の意欲喚起の手立て等を熟知しているのは、
担任をおいて他にはいない。
個別指導に限らず、小学校の子どもの成長は、
一部の教科を除いて、その教科の専門性より子ども理解が
優先されると、私は思っている。
従って、授業において手の届かなかった個別指導を
放課後に、担任が行う。
そのため、学校はその体制づくりに、
じっくりと取り組むことが重要になる。
≪つづきは、後日とする。≫
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晩秋の有珠山と昭和新山
全員、教職をまっとうし、今はそれぞれ第二の人生を謳歌している。
それでも、共通の話題は『学校』のことであった。
北海道でも極寒で知れわたる町に勤務していた友人からは、
「氷点下20度以下になると、1度下がるごとに
登校時間が1時間遅くなる。そんなルールがある。」
と聞き、私の想像をはるかに越えた暮らしぶりに、息を飲んだ。
その一例に限ったことではないが、各地の学校事情に触れ、
もっぱら東京の子どもと小学校の環境しか知らない私が、
軽々に学校教育を語ることに赤面した。
それでも、この日、一夜の語らいで、強く印象に残ったのは、
学力向上への取り組みであった。
現在も、多少なりと学校と関わりのある友人たちから、
口をそろえて語られたのが、
学力向上策としての「家庭学習の取り組み」である。
確かに、学力調査の結果として、
学力の高い地域と家庭学習の関連性が指摘されている。
だから、学力向上のため、家庭学習に力を入れる。
その発想と取り組みが、今日学校では強調されていると言う。
確かに、私も現職の時、教委の求めに応じ、
自校の学力向上策の一つとして、
『学年×15分』の家庭学習習慣の確立を掲げた。
現在、私が暮らす近隣小学校でも、
同様の家庭学習時間が設定されている。
併せて、「毎日、全員が宿題に取り組む」ことと、
「自習学習の推奨」が、学力を支える取り組みとされている。
毎日の宿題提出と家庭での確認が、子どもと保護者に求められている。
私は、このような学力向上の実践を否定するものではない。
しかし、「これが全てではなかろう。」と声を大にしたい。
現職時代、思い描いていた小学校での向上策の主なものを付す。
ただし、ここに示すいくつかは、自校で実現し、
いくつかは、職員のコンセンサスを得ることができず、志半ばとなった。
余談になるが、私は、学校運営での上意下達のような手法を極力避けた。
それは、学校教育には似合わないからである。
教員は、自身が深く納得してこそ、
はじめて子どもの指導に説得力が加わるのである。
だから、校長として、職員のコンセンサスを重視した。
一人一人の職員が自信を持って胸張って指導にあたってこそ、
学校は、活力をもつ。
安易な指示・命令での学校運営では、子どもの大きな変容は決して望めない。
(1)45分間の授業時間を厳守
始業のチャイムが鳴る。
担任がまだ教室にいない。
子ども同士のけんかの仲裁をしている。
あるいは、廊下に整列し、理科室への教室移動を始める。等々。
これらは、今も、学校によっては見られる光景なのではなかろうか。
つまり、チャイムと同時に授業が始まっていないのである。
私はこれを、授業のロスタイムと呼んでいる
このようなことで、
例えば、5分間授業の始まりが遅れたとする。
すると、45分間の授業は、40分間になってしまう。
それが、毎時間くり返されたとしたら、、
1日を5校時として、25分間、授業時間が少なくなることになる。
2日間で、1単位時間(45分間)のタイムロスが生まれる。
週にして2~3時間、2週間で1日分の授業時数(5時間)となる計算である。
学力向上策の第一は、
授業時数の拡大でも、授業日数の増加でもない。
まずは、『45分間の授業を、
できうる限りロスなく進める』ことである。
そのため、始業チャイムと同時に
毎時間授業を始め、45分間の授業を目標とすることである。
教室移動は、常に業間に行う。
中休みや昼休みは、チャイムが終了ではなく、
チャイムは授業の始まりと捉える。
4、5分前には休み終了の合図をし、
教室で始業を待つようにしたい。
職員朝会や児童朝会等も時間を厳守し、
長引くようなら後日持ち越し等の対応をする等、
授業時間の厳守を、学校運営の最優先事項にする。
学校によっては、様々な習慣や約束事がある。
従って、最優先事項への迫り方や、改善方法も一律ではない。
全教員の英知を結集して取り組み、授業時間の厳守に努めたい。
なお、当然のことであるが、
始業と同時に授業を始める環境として、
児童の学習意欲、良好な人間関係、学級の明るい雰囲気、、
学校職員とも連携した学校全体の同一歩調が必要になる。
(2)担任による個別指導の実施
都内の小学校では、『放課後学習教室』と称される
学力向上策が実施されているところがある。
主な実施内容は、対象学年を定め、本人の同意や自主参加を原則としている。
指導者は、校外からそのための講師を雇用する。
朝自習でも活用するドリルを使ったり、それ用のプリントを用意したりして、
毎週数回、小1時間程度が、主流かと思う。
主には、国語や算数の基礎基本に関する補習的学習である。
若干誤解される言い回しになるが、
私は、『どんな教育活動もやらないより、やった方がいい。』
と思っている。
だから、このような学習教室も、
『やらないよりは、やった方がいい。』と思う。
しかし、同じように放課後を活用した学力向上策であっても、
より有効性が期待できるのは、担任による個別指導である。
私は、できる限り
放課後の教師と子どもの自由な時間の確保に、心を砕いた。
そして、その時間を活用した個別指導に、学力向上の力があると考えてきた。
学校の放課後には、様々な会議が設定され、
多様な研修が準備され、出張も多い。
教師は、授業が終わると子どもに急いで下校するよう促し、
会議への出席や出張へと急ぐ。
これでは、子どもの相談に応じたり、学習への遅れを手助けしたり、
時には子ども理解につながる楽しい団らんに興じたり、
学習意欲への動機づけを行ったりするのは、
遠いものになってしまう。
学校は、大胆な会議等の精選を断行しなければならない。
例えば、毎月の職員会議は、2,3ヶ月に1回にする。
職員会議前の事前会議である企画委員会(運営委員会)は廃止し、
主幹や副校長との事前協議や決済を経て,職員会議に臨む。
さらには、学校毎にルールを定め、
各種定例会議も必要に応じて行うものとする。
加えて各会議の廃止や総合、そして長期休業中の開催にするなど、
従来の慣行にとらわれない見直しを行うことが重要である。
それによって生まれた放課後の時間を、
子どもの個別指導に当てるのである。
ここで私が最も強調したいことは、
小学校の子どもにとって一番有効な個別指導の相手についてである。
言うまでもないことだが、それは、
その子の最大の理解者、つまり学級担任である。
学習内容へのつまづき、理解不足のポイント、
そして、その子の意欲喚起の手立て等を熟知しているのは、
担任をおいて他にはいない。
個別指導に限らず、小学校の子どもの成長は、
一部の教科を除いて、その教科の専門性より子ども理解が
優先されると、私は思っている。
従って、授業において手の届かなかった個別指導を
放課後に、担任が行う。
そのため、学校はその体制づくりに、
じっくりと取り組むことが重要になる。
≪つづきは、後日とする。≫
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晩秋の有珠山と昭和新山
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