▼ 東京の小中学校では、主任教諭選考の時期らしい。
キャリア10数年になる先生から、
その選考のために提出する『職務レポート』について、
指導を頼まれた。
もう学校を離れて10年にもなる。
どれだけ役立つか、心配だったが、
一応練習で書いた『職務レポート』をメールしてもらった。
その問題に、
『児童理解を基に 実践的効果的指導を行う上での課題・・・』
と、あった。
「児童理解!!」。
久しぶりの言葉に、現職の頃の熱い想いが蘇った。
「児童理解を基に指導を行う」ことは、
私が、最も大切にしたテーマだった。
校長になってからも、先生方に、
『教育は児童理解に始まり、児童理解に終わる』と
言い続け、その重要性を説いた。
若い先生方の勉強会では、次のことをよく口にした。
「経験豊かな先生方のような指導技術を、
あなた方はまだ持っていません。
だから、教師として劣っているか。
決してそんなことはありません。
あなた方は、年齢的にも感覚的にも、
子ども達と近い位置にいます。
その分、容易に子供を理解できるのです。
子どももさほど距離感のないあなた方を、
よき理解者として、すぐに受け入れることができるのです。
それは、経験ある先生にはなかなかできないことで、
あなた方、若い先生の強みなのです。」
日頃の授業が、ベテラン先生のようにできず、
背を丸めている若い先生が、そんな話を聞きながら、
次第に顔を上げるのを何度も見た。
しかし、そんな時に、私は必ず忠告した。
「でも、いつかあなた方も、
子どもとの距離感を自覚するときがきます。
その時のためにも、児童理解ができる力を、
今から身に付けておくことが大事なのです。」
さて、その「児童理解ができる力』とは、何か・・・。
ある日、ベテランの先生が職員室で、
私にこんなことをつぶやいた。
「最近、子ども達の想いや、
やりたいことがわからなくなることが、多くて・・。
どうしたらいいでしょう?
校長先生は、よく共感的に子供を見るって言いますが、
それが、なかなか・・、難しくて・・・」。
私は、そんな声にいつも同じことを言った。
「子供にだけでなく、様々なことに心を動かすことですよ。
私も同じですが、次第に心が動かなくなる。感じなくなるんですね。
だから、子供の想いや願いに心が響かない。
心を動かしましょうよ。心を!」。
児童理解の基本は、そこにあるのだから・・・。
▼ 伊達で暮らし始めて、
それまでに経験のない出会いに、度々心を熱くしてきた。
その1つ1つは、このブログにも書き記してきた。
中でも印象深く、ずっと離れない2つを再現する。
1つは、14年10月13日のブログに書いた
『本当のごちそう』から・・。
まず、ブログの一部を要約する。
市内のそば店で、辛味大根そばを食べた。
食べ終えた濃いそばつゆを、そば湯でうすめ、
それを全部飲み干した時、
丼の底に「夢」の1字が書いてあった。
驚いて、その丼を持ち上げて見ると、
周りには『春夏秋冬』の4文字が書かれていた。
丼の文字を合わせて、「いつでも夢を」と、
私は読み取った。
そばつゆまで飲み干した人への、
素敵なメッセージのように思え、
「それこそが、本当のごちそうだ。」と思った。
そんな内容だ。
ある時、顔馴染みの奥さんたちとの立ち話で、
市内の美味しいおそば屋さんが話題になった。
私は、すかざす『本当のごちそう』を、
熱く語った。
するとすかさず1人の奥さんから訊かれた。
「ねえ、そう言う話が好きなの。」
「だって、飲み干したら夢が出てきたんだよ。
その上、春夏秋冬だよ。」
「へえ、そうなの・・・・。なんかめんどくさい。
ごめんね!」。
私は、絶句し、作り笑いをするのが精一杯だった。
同じようなことが、もう1つ。
秋の紅葉シーズンだった。
伊達の山々も赤と黄に染まり、
その遠景に囲まれながら、パークゴルフをした。
コースをセパレートする木々も、見事に色づいていた。
特に、カエデのグラデーションが綺麗だった。
プレー中もしばしば、その景観を言葉にした。
「ねえ、すごい景色だね。遠くの山も赤と黄色、
ここの木も真っ赤!」
「そうね」。
一緒にラウンドするメンバーは、それどころでないのか、
プレーに夢中のようで、返ってくる言葉に熱がなかった。
私は、懲りずに再び語りかけ、同意を求める。
「何度見ても、今日の伊達の秋はすごい。
山もこのコースも、市内の街路樹も、
全部色づいていて、まさにお見事!」。
プレー中に、くり返す私の紅葉絶賛へ、
ついに、メンバーの女性が私を見て言った。
「だって、秋だもの・・。山も木も紅葉するでしょう!」。
「それは・・・・、そうです」。
その時も精一杯の作り笑いをし、
もう紅葉を話題にすることを止めにした。
さて、『本当のごちそう』の「なんかめんどくさい」も、
紅葉絶賛へ「だって、秋だもの」の返事も、
ずっと心の深くで留まったままになっている。
自画自賛するつもりはないが、
心熱くしている私とは対照的に思えてならない。
何度反省しても、醒めた声にしか聞こえないのは、私だけだろうか。
「いくつになっても、もっと心を動かして!」
と、叫びたい。
≪追記≫ 【=『プラム』♂と『トマト』♀のヤリトリから=】
♂ やっと緊急事態宣言が終わるね。
♀ 外出は、買い物だけだったね。
それも1人で・・。
♂ みんな同じだっだだろうけど、
話し相手はトマトだけ・・。
♀ そうね。巣ごもり生活っていうけれども、
その通りね。
♂ こんなんじゃ、「心を動かせ!」って言っても、
なかなか動かないね。
ああ、人が恋しい! 外が恋しい!
♀ 宣言が解除されでも、収束はまだまだ先よ。
どうする、プラム?
♂ こんな時だから、文化や芸術の出番なんじゃないかなあ。
それに触れて、いろいろ心動かしたい。
♀ 心が動かないと、
美味しいものも美味しいと思わなくなるものね。
♂ その通り!
ジャガイモの花 盛り
キャリア10数年になる先生から、
その選考のために提出する『職務レポート』について、
指導を頼まれた。
もう学校を離れて10年にもなる。
どれだけ役立つか、心配だったが、
一応練習で書いた『職務レポート』をメールしてもらった。
その問題に、
『児童理解を基に 実践的効果的指導を行う上での課題・・・』
と、あった。
「児童理解!!」。
久しぶりの言葉に、現職の頃の熱い想いが蘇った。
「児童理解を基に指導を行う」ことは、
私が、最も大切にしたテーマだった。
校長になってからも、先生方に、
『教育は児童理解に始まり、児童理解に終わる』と
言い続け、その重要性を説いた。
若い先生方の勉強会では、次のことをよく口にした。
「経験豊かな先生方のような指導技術を、
あなた方はまだ持っていません。
だから、教師として劣っているか。
決してそんなことはありません。
あなた方は、年齢的にも感覚的にも、
子ども達と近い位置にいます。
その分、容易に子供を理解できるのです。
子どももさほど距離感のないあなた方を、
よき理解者として、すぐに受け入れることができるのです。
それは、経験ある先生にはなかなかできないことで、
あなた方、若い先生の強みなのです。」
日頃の授業が、ベテラン先生のようにできず、
背を丸めている若い先生が、そんな話を聞きながら、
次第に顔を上げるのを何度も見た。
しかし、そんな時に、私は必ず忠告した。
「でも、いつかあなた方も、
子どもとの距離感を自覚するときがきます。
その時のためにも、児童理解ができる力を、
今から身に付けておくことが大事なのです。」
さて、その「児童理解ができる力』とは、何か・・・。
ある日、ベテランの先生が職員室で、
私にこんなことをつぶやいた。
「最近、子ども達の想いや、
やりたいことがわからなくなることが、多くて・・。
どうしたらいいでしょう?
校長先生は、よく共感的に子供を見るって言いますが、
それが、なかなか・・、難しくて・・・」。
私は、そんな声にいつも同じことを言った。
「子供にだけでなく、様々なことに心を動かすことですよ。
私も同じですが、次第に心が動かなくなる。感じなくなるんですね。
だから、子供の想いや願いに心が響かない。
心を動かしましょうよ。心を!」。
児童理解の基本は、そこにあるのだから・・・。
▼ 伊達で暮らし始めて、
それまでに経験のない出会いに、度々心を熱くしてきた。
その1つ1つは、このブログにも書き記してきた。
中でも印象深く、ずっと離れない2つを再現する。
1つは、14年10月13日のブログに書いた
『本当のごちそう』から・・。
まず、ブログの一部を要約する。
市内のそば店で、辛味大根そばを食べた。
食べ終えた濃いそばつゆを、そば湯でうすめ、
それを全部飲み干した時、
丼の底に「夢」の1字が書いてあった。
驚いて、その丼を持ち上げて見ると、
周りには『春夏秋冬』の4文字が書かれていた。
丼の文字を合わせて、「いつでも夢を」と、
私は読み取った。
そばつゆまで飲み干した人への、
素敵なメッセージのように思え、
「それこそが、本当のごちそうだ。」と思った。
そんな内容だ。
ある時、顔馴染みの奥さんたちとの立ち話で、
市内の美味しいおそば屋さんが話題になった。
私は、すかざす『本当のごちそう』を、
熱く語った。
するとすかさず1人の奥さんから訊かれた。
「ねえ、そう言う話が好きなの。」
「だって、飲み干したら夢が出てきたんだよ。
その上、春夏秋冬だよ。」
「へえ、そうなの・・・・。なんかめんどくさい。
ごめんね!」。
私は、絶句し、作り笑いをするのが精一杯だった。
同じようなことが、もう1つ。
秋の紅葉シーズンだった。
伊達の山々も赤と黄に染まり、
その遠景に囲まれながら、パークゴルフをした。
コースをセパレートする木々も、見事に色づいていた。
特に、カエデのグラデーションが綺麗だった。
プレー中もしばしば、その景観を言葉にした。
「ねえ、すごい景色だね。遠くの山も赤と黄色、
ここの木も真っ赤!」
「そうね」。
一緒にラウンドするメンバーは、それどころでないのか、
プレーに夢中のようで、返ってくる言葉に熱がなかった。
私は、懲りずに再び語りかけ、同意を求める。
「何度見ても、今日の伊達の秋はすごい。
山もこのコースも、市内の街路樹も、
全部色づいていて、まさにお見事!」。
プレー中に、くり返す私の紅葉絶賛へ、
ついに、メンバーの女性が私を見て言った。
「だって、秋だもの・・。山も木も紅葉するでしょう!」。
「それは・・・・、そうです」。
その時も精一杯の作り笑いをし、
もう紅葉を話題にすることを止めにした。
さて、『本当のごちそう』の「なんかめんどくさい」も、
紅葉絶賛へ「だって、秋だもの」の返事も、
ずっと心の深くで留まったままになっている。
自画自賛するつもりはないが、
心熱くしている私とは対照的に思えてならない。
何度反省しても、醒めた声にしか聞こえないのは、私だけだろうか。
「いくつになっても、もっと心を動かして!」
と、叫びたい。
≪追記≫ 【=『プラム』♂と『トマト』♀のヤリトリから=】
♂ やっと緊急事態宣言が終わるね。
♀ 外出は、買い物だけだったね。
それも1人で・・。
♂ みんな同じだっだだろうけど、
話し相手はトマトだけ・・。
♀ そうね。巣ごもり生活っていうけれども、
その通りね。
♂ こんなんじゃ、「心を動かせ!」って言っても、
なかなか動かないね。
ああ、人が恋しい! 外が恋しい!
♀ 宣言が解除されでも、収束はまだまだ先よ。
どうする、プラム?
♂ こんな時だから、文化や芸術の出番なんじゃないかなあ。
それに触れて、いろいろ心動かしたい。
♀ 心が動かないと、
美味しいものも美味しいと思わなくなるものね。
♂ その通り!
ジャガイモの花 盛り
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