本ブログのプロフィールにも記したが、
詩集『海と風と凧と』と教育エッセイ『優しくなければ』の
2冊を出版した。
2冊とも書きためていたものをまとめたのだが、
『あとがき』だけは、その時に執筆した。
数日前から何度かそれを読み返している。
10数年前の文面だが、現職だった私と当時の想いが蘇った。
まずは、その2つを転記する。
* * * * *
≪詩集『海と風と凧と」≫
あ と が き
毎年、年賀状に詩を添えて、
お世話になった方々にお届けしてきました。
それが34作にもなり、
こうして年賀状のためだけに書いた詩集ができました。
ふり返れば30数年前、私は根雪の残る北海道より上京し、
小学校の教員になりました。
その時初めて立った校庭には、
北国の冷たい鉛色の曇り空とは違った
明るい春の光がこぼれていました。
それは、これから始まる私の人生が
太陽の陽差しに恵まれたものになるような、
そんなことさえ予感させるものでした。
しかし、私のそれからの歩みは当然のことではありますが、
教師としての仕事、子育て、家族、めまぐるしい社会変化等々、
全てが時代という大きな流れの中にありました。
その中で、あまりの幸せに歓喜した時も、
また不運に大きくうなだれた時も、
小さな楽しさに胸躍った時もありました。
まぎれもない未熟さが、ある時は人を傷つけたり、
またある時は勝手に自分の心を痛めたりもしました。
そんな1年また1年の営みが、
泣いたり笑ったりの今日の日へとつながっています。
確かにそんな風に歩は進み、
その年その年、私には違う景色が見えました。
だから、その分だけ私が伸びたか、
何かを残したかと問われれば、
ただただ定まりのない歩みだったのでないだろうかと
自問してしまいます。
そう思うとやけに空虚なので、
これを契機に、今度は人が、
そして自分が許すような生き方をしていこうと、
心新にしているところです。
人生半ば『海と風と凧と』に添えた想いを
もう一度かみしめ、
今日まで私を支えてくれた方々と、
この詩集にお力添えをいただいた文芸社の皆様に
心よりお礼を申し上げ、
ひとまず筆を置くことに致します。
平成18年 夏
* * * * *
≪教育エッセイ『優しくなければ』≫
あ と が き
教職の歩を止める時がきました。
この機に何かを残したい。
そんな衝動にかられ、小冊子をまとめることに致しました。
振り返れば40年にわたる教職生活でした。
その内18年間は管理職としてでしたが、
ありがたいことに、
再任用校長として2年間の延長までさせてもらいました。
その中で、どうしても学校だよりや各種紙面等々に
何かを記さねばならない機会があり、
多少なりとも私らしくと、
どこかに力を入れ、保護者や地域の方、児童に
思いを届けてきました。
その全てのメッセージをここに載せるのは
気恥ずかしくてできないので、
勝手に「許せるかな」と思えるものだけを整理してみました。
思えば幸運に恵まれた教職の道でした。
ありふれた言い方ですが、
よき先輩、同僚、知人、友人に出逢い、
たくさんの教えを受け、
それでも私自身のオリジナリティーを探しながらの日々でした。
教え子から学んだことも少なくなく、
また私の価値観を支えたのが、
私自身の育ちを基盤にしていることにも気づかされました。
明るい日差しの日、しっとりと濡れる雨の日
向かいくる風に顔をそむけた日、
温まる心に笑みがこぼれた日、
歩んだ道はそれこそ様々な様相を呈していました。
だからこそよかったと言えるでしょう。
そして私も我が道に少しだけ胸を反らし、
これからの次の人生を進もうと思っています。
今一度、素晴らしい出逢いに心から感謝しながら。
平成23年3月
* * * * *
事前連絡の電話が何度があったが、
1週間ほど前に、都教委とS区教委を経由して1通の案内が届いた。
その文面にはこんな言葉が並んでいた。
『日頃から小学校教育の充実・発展に多大なる尽力をいただき』、
『小学校教育の振興に貢献され』、
『小学校教育への功労者に』、
『文部科学大臣から感謝状等を贈呈させていただく』。
そして、贈呈は今月19日、
全国連合小学校校長会75周年記念式典にて行うとあった。
何を隠そう。
文面にある1つ1つの言葉の重み、
それが私にはかなり堪えた。
2冊の『あとがき』は、小学校における一実践者であった私の、
ありのままの姿である。
『多大な尽力』も『振興に貢献』もできないままの私だった。
『功労者』など、ほど遠い。
40年間の私の足あとは、
『何かを残したかと問われれば、
ただただ定まりのない歩みだったのでないだろうかと自問し』、
そして、
『よき先輩、同僚、知人、友人に出逢い、
たくさんの教えを受け、
それでも私自身のオリジナリティーを探しながらの日々』だったのです。
だから、贈呈の日が近づくにつれ、私は明らかに躊躇していた。
そんな折り、最近親しく話をするようになった方から、
お祝いの言葉があった。
「穴があったら入りたい心境なんです」
と、複雑な顔で応じた。
すると、彼は、
「感謝状に相応しいかどうかは、
贈呈する側が決めるんですよ。
堂々といただけばいいんです」。
まだ、気恥ずかしさは残る。
しかし、心は晴れた。

見上げた!ナナカマド
※ 次回のブログ更新予定は10月28日(土)です。
詩集『海と風と凧と』と教育エッセイ『優しくなければ』の
2冊を出版した。
2冊とも書きためていたものをまとめたのだが、
『あとがき』だけは、その時に執筆した。
数日前から何度かそれを読み返している。
10数年前の文面だが、現職だった私と当時の想いが蘇った。
まずは、その2つを転記する。
* * * * *
≪詩集『海と風と凧と」≫
あ と が き
毎年、年賀状に詩を添えて、
お世話になった方々にお届けしてきました。
それが34作にもなり、
こうして年賀状のためだけに書いた詩集ができました。
ふり返れば30数年前、私は根雪の残る北海道より上京し、
小学校の教員になりました。
その時初めて立った校庭には、
北国の冷たい鉛色の曇り空とは違った
明るい春の光がこぼれていました。
それは、これから始まる私の人生が
太陽の陽差しに恵まれたものになるような、
そんなことさえ予感させるものでした。
しかし、私のそれからの歩みは当然のことではありますが、
教師としての仕事、子育て、家族、めまぐるしい社会変化等々、
全てが時代という大きな流れの中にありました。
その中で、あまりの幸せに歓喜した時も、
また不運に大きくうなだれた時も、
小さな楽しさに胸躍った時もありました。
まぎれもない未熟さが、ある時は人を傷つけたり、
またある時は勝手に自分の心を痛めたりもしました。
そんな1年また1年の営みが、
泣いたり笑ったりの今日の日へとつながっています。
確かにそんな風に歩は進み、
その年その年、私には違う景色が見えました。
だから、その分だけ私が伸びたか、
何かを残したかと問われれば、
ただただ定まりのない歩みだったのでないだろうかと
自問してしまいます。
そう思うとやけに空虚なので、
これを契機に、今度は人が、
そして自分が許すような生き方をしていこうと、
心新にしているところです。
人生半ば『海と風と凧と』に添えた想いを
もう一度かみしめ、
今日まで私を支えてくれた方々と、
この詩集にお力添えをいただいた文芸社の皆様に
心よりお礼を申し上げ、
ひとまず筆を置くことに致します。
平成18年 夏
* * * * *
≪教育エッセイ『優しくなければ』≫
あ と が き
教職の歩を止める時がきました。
この機に何かを残したい。
そんな衝動にかられ、小冊子をまとめることに致しました。
振り返れば40年にわたる教職生活でした。
その内18年間は管理職としてでしたが、
ありがたいことに、
再任用校長として2年間の延長までさせてもらいました。
その中で、どうしても学校だよりや各種紙面等々に
何かを記さねばならない機会があり、
多少なりとも私らしくと、
どこかに力を入れ、保護者や地域の方、児童に
思いを届けてきました。
その全てのメッセージをここに載せるのは
気恥ずかしくてできないので、
勝手に「許せるかな」と思えるものだけを整理してみました。
思えば幸運に恵まれた教職の道でした。
ありふれた言い方ですが、
よき先輩、同僚、知人、友人に出逢い、
たくさんの教えを受け、
それでも私自身のオリジナリティーを探しながらの日々でした。
教え子から学んだことも少なくなく、
また私の価値観を支えたのが、
私自身の育ちを基盤にしていることにも気づかされました。
明るい日差しの日、しっとりと濡れる雨の日
向かいくる風に顔をそむけた日、
温まる心に笑みがこぼれた日、
歩んだ道はそれこそ様々な様相を呈していました。
だからこそよかったと言えるでしょう。
そして私も我が道に少しだけ胸を反らし、
これからの次の人生を進もうと思っています。
今一度、素晴らしい出逢いに心から感謝しながら。
平成23年3月
* * * * *
事前連絡の電話が何度があったが、
1週間ほど前に、都教委とS区教委を経由して1通の案内が届いた。
その文面にはこんな言葉が並んでいた。
『日頃から小学校教育の充実・発展に多大なる尽力をいただき』、
『小学校教育の振興に貢献され』、
『小学校教育への功労者に』、
『文部科学大臣から感謝状等を贈呈させていただく』。
そして、贈呈は今月19日、
全国連合小学校校長会75周年記念式典にて行うとあった。
何を隠そう。
文面にある1つ1つの言葉の重み、
それが私にはかなり堪えた。
2冊の『あとがき』は、小学校における一実践者であった私の、
ありのままの姿である。
『多大な尽力』も『振興に貢献』もできないままの私だった。
『功労者』など、ほど遠い。
40年間の私の足あとは、
『何かを残したかと問われれば、
ただただ定まりのない歩みだったのでないだろうかと自問し』、
そして、
『よき先輩、同僚、知人、友人に出逢い、
たくさんの教えを受け、
それでも私自身のオリジナリティーを探しながらの日々』だったのです。
だから、贈呈の日が近づくにつれ、私は明らかに躊躇していた。
そんな折り、最近親しく話をするようになった方から、
お祝いの言葉があった。
「穴があったら入りたい心境なんです」
と、複雑な顔で応じた。
すると、彼は、
「感謝状に相応しいかどうかは、
贈呈する側が決めるんですよ。
堂々といただけばいいんです」。
まだ、気恥ずかしさは残る。
しかし、心は晴れた。

見上げた!ナナカマド
※ 次回のブログ更新予定は10月28日(土)です。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます