▼ 夕方から、突然喉が痛くなった。
翌朝の検温では、やや熱があった。
市販の風邪薬で、様子をみた。
次の日も症状が変わらない。
こんな時は、お世話になっているクリニックへ、
行けばいい。
しかし、コロナが収まっていない。
通院をためらった。
きっと、病院の玄関には注意書きがある。
それを見て、どうするか決めよう。
そう思い立ち、ようやく腰をあげた。
『37,5度以上の方で・・・』から始まる
聞き覚えのあるコロナのフレーズが、ドアに張ってあった。
幸いそれには該当しない。
安心して、受付へ向かった。
『ソーシャルディスタンス』。
どの長椅子も真ん中に×印があった。
予想外だったが、
私に続いて次々と人が来た。
座るところがなくなる程、待合室は混雑した。
確かに評判のいいクリニックだ。
院長先生の丁寧な物腰がいい。
だから、患者が集まってくるのだろう。
「コロナで医療の敷居が高くなったと言う。
でも、病人が頼るのは、いつだってこのような医者なんだ。」
唾を呑み込むたびに、喉の痛みをこらえながら、
「コロナで色々と変化を強いられている。
それでも変わらないものって、いっぱいあるはず・・」。
待合室の様子を見ながら、そんな想いが心をよぎった。
▼ さて、コロナ禍の私だが、
この頃、くり返し思い起こす言葉がある。
『人生は 挑まなければ 応えてはくれない
挑まなければ 限界にも突き当たらない
己の限界に歯ぎしりすることもない
悔しい思いでそこを乗り越えると
きっとこれまでより見晴らしのよい場所に立てる』。
「見晴らしのよい場所に立ちたい」。
そんな強欲さは、今さらしんどい。
でも、何かに挑む姿勢は、今までも今も、
大切にし続けてきた。
なのに、コロナのため、例年エントリーしてきたマラソン大会が、
次々と中止になった。
4月の伊達ハーフマラソンと、5月の洞爺湖のフルマラソンは、
エントリー後に中止が決まった。
そして、ハーフマラソンを走る予定だった6月の八雲ミルクロードレース、
9月の旭川ハーフマラソン大会、11月の江東シーサイドマラソンもなくなった。
7年前になる。
伊達に来てから、マラソン大会出場という目標を得た。
そこでゴールすることにチャレンジした。
完走し、その楽しさに初めて高揚した。
65歳の春のことだ。
随分と遅い、体験だった。
それがモチベーションになり、7年も走ってきた。
だが、コロナでその大会がみんな消えた。
挑むものの1つを、見失いつつあった。
そんな時、いくつかの出会いに恵まれた。
挑むことをもう一度見直すきっかけになった。
▼ 快晴の朝、春の淡い日差しに惹かれ、
走りたくなった。
5キロのランニングに家内を誘った。
10分も走ると、道路脇は畑になる。
ビート、ジャガイモ、そして最近はトウモロコシの苗が、
規則正しく植えられている。
その横では、スクスクと丈を伸ばした緑色の
秋蒔き小麦が、凜とした立ち姿を見せている。
そんな春の息吹きを感じながら、横並びで走る。
当然、速さは家内に合わせるが、
年々、2人ともペースダウンしている。
互いに、ハアハアと荒い息を吐きながらも、
春風がやっぱり心地いい。
春爛漫だからなのか、
散歩する同世代と、途中でよくすれ違った。
「いやー、凄いね!」。
「いつも、頑張るね!」。
私1人の場合とは大違い。
2人の時は、挨拶と一緒に声をかけてくれる方が、
一段と多くなる。
時には、
「2人で走れるなんて、いいね!」。
若干寂しげに笑顔を浮かべる方もいる。
ふと気づくと、2人ともいい歳である。
そんな声かけも不思議ではない。
自然な言葉のように思う。
だって、高齢の夫婦の『朝ラン』なんて、
珍しいに決まってる。
家内はどう思っているのだか、確かめたことはない。
私は、素直にその声を受け止めている。
『感嘆と賞賛』までではないにしても、
同世代からの声援に、
気分は徐々に晴れ晴れとなっていくのだ。
▼ つい1週間程前の朝だ。
この日も、家内と一緒に走り始めた。
歩道ではなく、あえて車道の脇を進む懐かしい姿に出会った。
その方とは、2,3年はすれ違っていなかったように思う。
以前は、よく挨拶を交わした。
忘れられない方だった。
いつも縦線の入ったエンジ色のスポーツウエアだった。
決まって車道の脇を進んできた。
彼はきっと、走っているつもりなのだろう。
だが、見た目にはランニングの腕ふりでの、早歩きだ。
私より10歳は上に見えた。
表情はいつも明るく、
前へ前へと意欲的に足を進めていた。
私の挨拶に、ニコリと頭をさげてくれた。
ところが、いつごろからか見なくなった。
その彼が、突然、縦線のエンジ色のまま、
変わらない進み方で近づき、いつもの笑顔を返してくれた。
ただ、腕ふりはおなじでも、
1歩1歩は以前より遅く、力がなかった。
だが、彼は彼らしくまだ走っていた。
出会わない間のことなど、関心ない。
それより、以前と同じように前へ前へと足を進めている姿に、
私は驚きと共に、「俺などまだまだ」と気づかされた。
▼ 「もういい歳だから・・・。
いい機会だから・・・。
そう言い訳して、挑むことをやめる」。
きっと、いつかそんな日が来る。
でも、今はその潮時じゃないと強く感じている。
だって、
高齢の2人への声かけに、たとえ照れても、
それが一時的なちょっとした思いつきの言葉でも、
私は力づけられた。
回りからは、早歩きに見えてても、
何年間も走り続けるエンジ色の彼が、
やっぱりまぶしいのだ。
「年相応でいい。
コロナ後の大会に挑もう。
そのため、今日も走ろう。」
コロナで変化を求めらても。
私のチャレンジは変わりそうにない。
『春ラン』での出会いが、そう教えてくれた。

伊達は アヤメの季節
翌朝の検温では、やや熱があった。
市販の風邪薬で、様子をみた。
次の日も症状が変わらない。
こんな時は、お世話になっているクリニックへ、
行けばいい。
しかし、コロナが収まっていない。
通院をためらった。
きっと、病院の玄関には注意書きがある。
それを見て、どうするか決めよう。
そう思い立ち、ようやく腰をあげた。
『37,5度以上の方で・・・』から始まる
聞き覚えのあるコロナのフレーズが、ドアに張ってあった。
幸いそれには該当しない。
安心して、受付へ向かった。
『ソーシャルディスタンス』。
どの長椅子も真ん中に×印があった。
予想外だったが、
私に続いて次々と人が来た。
座るところがなくなる程、待合室は混雑した。
確かに評判のいいクリニックだ。
院長先生の丁寧な物腰がいい。
だから、患者が集まってくるのだろう。
「コロナで医療の敷居が高くなったと言う。
でも、病人が頼るのは、いつだってこのような医者なんだ。」
唾を呑み込むたびに、喉の痛みをこらえながら、
「コロナで色々と変化を強いられている。
それでも変わらないものって、いっぱいあるはず・・」。
待合室の様子を見ながら、そんな想いが心をよぎった。
▼ さて、コロナ禍の私だが、
この頃、くり返し思い起こす言葉がある。
『人生は 挑まなければ 応えてはくれない
挑まなければ 限界にも突き当たらない
己の限界に歯ぎしりすることもない
悔しい思いでそこを乗り越えると
きっとこれまでより見晴らしのよい場所に立てる』。
「見晴らしのよい場所に立ちたい」。
そんな強欲さは、今さらしんどい。
でも、何かに挑む姿勢は、今までも今も、
大切にし続けてきた。
なのに、コロナのため、例年エントリーしてきたマラソン大会が、
次々と中止になった。
4月の伊達ハーフマラソンと、5月の洞爺湖のフルマラソンは、
エントリー後に中止が決まった。
そして、ハーフマラソンを走る予定だった6月の八雲ミルクロードレース、
9月の旭川ハーフマラソン大会、11月の江東シーサイドマラソンもなくなった。
7年前になる。
伊達に来てから、マラソン大会出場という目標を得た。
そこでゴールすることにチャレンジした。
完走し、その楽しさに初めて高揚した。
65歳の春のことだ。
随分と遅い、体験だった。
それがモチベーションになり、7年も走ってきた。
だが、コロナでその大会がみんな消えた。
挑むものの1つを、見失いつつあった。
そんな時、いくつかの出会いに恵まれた。
挑むことをもう一度見直すきっかけになった。
▼ 快晴の朝、春の淡い日差しに惹かれ、
走りたくなった。
5キロのランニングに家内を誘った。
10分も走ると、道路脇は畑になる。
ビート、ジャガイモ、そして最近はトウモロコシの苗が、
規則正しく植えられている。
その横では、スクスクと丈を伸ばした緑色の
秋蒔き小麦が、凜とした立ち姿を見せている。
そんな春の息吹きを感じながら、横並びで走る。
当然、速さは家内に合わせるが、
年々、2人ともペースダウンしている。
互いに、ハアハアと荒い息を吐きながらも、
春風がやっぱり心地いい。
春爛漫だからなのか、
散歩する同世代と、途中でよくすれ違った。
「いやー、凄いね!」。
「いつも、頑張るね!」。
私1人の場合とは大違い。
2人の時は、挨拶と一緒に声をかけてくれる方が、
一段と多くなる。
時には、
「2人で走れるなんて、いいね!」。
若干寂しげに笑顔を浮かべる方もいる。
ふと気づくと、2人ともいい歳である。
そんな声かけも不思議ではない。
自然な言葉のように思う。
だって、高齢の夫婦の『朝ラン』なんて、
珍しいに決まってる。
家内はどう思っているのだか、確かめたことはない。
私は、素直にその声を受け止めている。
『感嘆と賞賛』までではないにしても、
同世代からの声援に、
気分は徐々に晴れ晴れとなっていくのだ。
▼ つい1週間程前の朝だ。
この日も、家内と一緒に走り始めた。
歩道ではなく、あえて車道の脇を進む懐かしい姿に出会った。
その方とは、2,3年はすれ違っていなかったように思う。
以前は、よく挨拶を交わした。
忘れられない方だった。
いつも縦線の入ったエンジ色のスポーツウエアだった。
決まって車道の脇を進んできた。
彼はきっと、走っているつもりなのだろう。
だが、見た目にはランニングの腕ふりでの、早歩きだ。
私より10歳は上に見えた。
表情はいつも明るく、
前へ前へと意欲的に足を進めていた。
私の挨拶に、ニコリと頭をさげてくれた。
ところが、いつごろからか見なくなった。
その彼が、突然、縦線のエンジ色のまま、
変わらない進み方で近づき、いつもの笑顔を返してくれた。
ただ、腕ふりはおなじでも、
1歩1歩は以前より遅く、力がなかった。
だが、彼は彼らしくまだ走っていた。
出会わない間のことなど、関心ない。
それより、以前と同じように前へ前へと足を進めている姿に、
私は驚きと共に、「俺などまだまだ」と気づかされた。
▼ 「もういい歳だから・・・。
いい機会だから・・・。
そう言い訳して、挑むことをやめる」。
きっと、いつかそんな日が来る。
でも、今はその潮時じゃないと強く感じている。
だって、
高齢の2人への声かけに、たとえ照れても、
それが一時的なちょっとした思いつきの言葉でも、
私は力づけられた。
回りからは、早歩きに見えてても、
何年間も走り続けるエンジ色の彼が、
やっぱりまぶしいのだ。
「年相応でいい。
コロナ後の大会に挑もう。
そのため、今日も走ろう。」
コロナで変化を求めらても。
私のチャレンジは変わりそうにない。
『春ラン』での出会いが、そう教えてくれた。

伊達は アヤメの季節
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます