ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

いつか その時

2024-06-08 11:21:00 | 思い
 ▼ 『終活』!
好きになれない言葉だ。
 でも、どんな生命も必ずピリオドを印す。

 「私達も、いつかは死ぬのよね。
後何年こうしていられるのかしら」
 どんな話から、そんな言葉が家内から飛び出したか、
思い出せない。
 私は言葉に詰まり、曖昧な返答をした気がする。

 「後何年生きていられるのか」
それを思うと、好き嫌いなどではない。
 そろそろ『終活』と正面から向き合わなければ・・・・・。

 さて、1つだけ決めたことがある。
さほどのことではない。
 「終活もどき」のことで、笑ってしまう始末だが。
 
 4月からNHKのテレビ番組に、
5年ぶりに復活したものがあった。
 『新・プロジェクトX』だ。

 番組の初めに、
中島みゆきの『地上の星』が流れ、
その曲を時折交えながら、
名だたる者とは言えないが、ある分野で奮闘した人々を、
ドキメント風に紹介していくものだ。

 そして、決まってエンディングは、
これまた中島みゆきで、『ヘッドライトテールライト』が流れ、
それを聞きながら、45分間の番組は終わる。

 5年前も好きな番組だったので、
期待しながら先日も観た。

 震災で壊滅状態になった三陸鉄道の復活に、
奮闘した方々を取り上げていた。
 その献身的な姿に、度々胸が熱くなった。

 そして、やはり番組の終わりは、
いつものように『ヘッドライトテールライト』だった。
 じっと、歌詞を噛みしめながら聴いた。

  語り継ぐ人もなく
  吹きすさぶ風の中へ
  紛れ散らばる星の名は
  忘れられても
   ヘッドライトテールライト 旅はまだ終わらない
   ヘッドライトテールライト 旅はまだ終わらない
  足跡は降る雨と
  降る時の中へ消えて
  称える歌は
  英雄のためと過ぎても
   ヘッドライトテールライト 旅はまだ終わらない
   ヘッドライトテールライト 旅はまだ終わらない
  行く先を照らすのは
  まだ咲かぬ見果てぬ夢
  遙か後ろを照らすのは
  あどけない夢
   ヘッドライトテールライト 旅はまだ終わらない
   ヘッドライトテールライト 旅はまだ終わらない 

 エンディング曲を最後まで聴き終えてから、
思いつきのように突然、
一緒に観ていた家内につぶやいた。

 「オレの出棺の時は、この曲を流してほしい」
当然、家内は何も言わなかった。

 その気持ちを察することもなく私は、
「・・忘れられてもいい、・・英雄たちのためと過ぎてもいい。
 でも、旅はまだ終わらない。
きっとそんな想いで、私は旅立つに違いない」
 強くそう思いながら、気づくと寂しさだけになっていた。

 
 ▼ 昨年4月、コロナで中止となっていた
自治会の親睦行事『観桜会』(お花見会)が、4年ぶりに行われた。
 あいにくの雨天で、会館内での飲食となった。

 その席にMさんがいた。
以前は、奥様と一緒に参加していたので、
「今日は、お1人ですか」と声をかけた。
 「はい、体調が悪く今日は私1人で、参加させてもいました」 
いつ声をかけても、丁寧に対応してくださる方だった。 
 
 そして8月、今度は盆踊りを兼ねた『夏祭り』があった。
参加者名簿に、Mさん夫妻の名があった。
 「お元気になられ、参加されるのだ」と、心待ちした。

 ところが、受付に現れたのはMさん1人だけ。
「奥様の名前もありましたので、
 てっきりお2人でとお待ちしていましたが・・」
声をかけてみた。

 「はい、そのつもりで楽しみにしてたのですが、
無理なようです。
 焼き鳥と焼きそばを頂いて、家で一緒に食べることにします」
精気のないMさんの表情が気になった。

 以来、Mさんにはお会いする機会もなく、
今年度を迎えた。

 毎日、いの一番に朝刊のお悔やみ欄に目を通す。
ある朝、そこにMさんの奥さんの名前があった。

 朝食を済ませたら、ご自宅をお訪ねし、
お悔やみをお伝えしようと思っていた矢先だった。
 電話が鳴った。

 Mさんからだった。
「自治会への連絡が遅れてしまいました」と切り出し、
丁寧な言葉遣いで、奥様の逝去を伝えてくださった。
 電話を頂いたことを恐縮しながら、
お悔やみを述べ電話を切った。

 その夜、自治会からの香典を持って通夜へ出向いた。
コロナ禍と同様の葬儀で、通夜前に焼香を済ませて私は退席した。
 Mさんとお会いできなかった。

 そして、2日後の午後、Mさんから再び電話があった。
焼香のお礼と葬儀が全て終了した旨の連絡だった。
 その声には、先日よりさらに力がなかった。

 最後に、その声のまま
「妻に先立れ、私1人になりました。
 でも、これからもここで暮らします。
皆さんにはお世話になると思います。
 よろしくお願いします」
 
 返す言葉に詰まったが、
「お力落としのことを思います。
 私たちにできるでしたら、何でもさせてもらいます。
遠慮なく、ご連絡ください」。
 「はい、分かりました。
ありがとうございます。
 ありがとうございます」。

 受話器を置いても、
「妻に先立れ、私1人になりました。
 でも、これからもここで暮らします」が、
いつまでも、今も、脳裏から離れない。




    い た る 処  ア ヤ メ

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