5月 某日 ①
庭のシンボルツリー・ジューンベリーが、
満開になったのは、連休の最中だった。
1週間も経たない内に、
愛車の屋根やフロントガラスに白い花びらが降った。
その後は、柔らかな新緑で枝先まで被われている。
ご近所の庭には、赤いシャクナゲが咲き、
色とりどりの芝桜が日差しを受けて鮮やか。
今年も、つい散歩の足が止まってしまった。
中旬になると、自宅横の『嘉右衛門坂通り』は、
真っ白なツツジが沿道に連なる。
目を奪われないように気をつけながら、
毎年ハンドルを握る。
それも、薄茶に変色し、
今は、その道の街路樹に寄り添うように、
6月のルピナスやアヤメの蕾が膨らみ、
開花の時を迎えている。
こうして、時を止めず季節は確実に移り行く。
「バラも間もなく香るだろう」
そう想うだけで、また気持ちが弾む。
だが、先週、歴史の杜公園の野草園に、
「恋の花」と歌われた黒百合が、咲き乱れていた。
一気に咲いた黒色の花に、癒やされるどころか、
不気味さを感じたのは,私だけだろうか。
どうしても、この花は馴染めない。
5月 某日 ②
昨年11月下旬に、大きな手術をした姉が、
連休前に一事帰宅した。
そして先日、再び横浜の娘の所へと戻っていった。
しばらく術後の経過を見てから、
もう1度手術が必要かどうかを判断するのだとか・・。
80歳を過ぎた高齢者であるが、
まだまだ長生きしたいとチャレンジしたこと。
無事、健康を取り戻すよう、願うばかりである。
さて、再度新千歳空港まで送る道々、
姉と交わした会話が心に残った。
半年間、横浜暮らしを体験し、その感想を姉は口にした。
「年寄りにとっては、田舎暮らしより、
都会暮らしのほうがいいと、私は思ったわ」。
「へえぇ! 意外だなあ。
どうして、そう思ったの?」
「だって、こっちにいたら、
月に1回の病院通いだって、
バスの本数が少ないから、1日がかりでしょう。
何か欲しい物があって、買い物をと思っても、
店は少ないし遠いしで、なかなか手に入らないでしょう。
だから、できないことが多いよね。
本当に、不便! こっちは!
でも、都会はサッと出かけられて、
簡単に病院へも買い物にも行ける。
便利で快適だとつくづく思ったの」
姉は明るく、一気に言い切った。
確かに、利便性で言うと姉の主張通りである。
異論はない。
だが、私は言った。
「それは、ある程度財源が
豊かな人だから言えることじゃないか。
年金だけで暮らす人にとっては、
都会暮らしは辛いもののようだよ」。
姉は、無言だった。
私は続けた。
「退職した映画好きの先生の話だけど、
なかなか映画も見れなくなったって・・・。
だって、確かに映画館はシニア料金だけど、
駅まで車で行っても駐車料金は取られワ。
都心まで往復すると電車賃も安くないワ。
それに昼食まで考えたら、大変な出費になるって」。
「確かに、そうかも・・。
でもね、運転のできない私は、
ここに居たら、目の前のコンビニだけの生活よ。
車があって、運転してどこにでも行ける人は、
まだ違うのかも・・。
ここでは何もできないわよ」
姉の想いは確かに否定できない。
今、私は多少不便さを感じながらも、
車がある。
運転ができる。
都会暮らしよりずっといいと思っているが・・・。
さて、これから先の正解は、
・・・・分からない。
5月 某日 ③
昨年度、自治会長を受けると同時に、
某協議会の副会長になった。
今年度は、その協議会の役員改選期であった。
どこの組織も同じで役員の引き受け手がいない。
会長が私を訪ねてきた。
「会長をやってほしい」と言う。
お断りするには、
「引き続き副会長ならできます」
と、言うしかなかった。
そして、今後も同じ会長、副会長、事務局長の体制となった。
そこで、今年度初の三役会議を行った。
検討事項が終った後、
多少時間があったので、初めて3人で雑談になった。
まず会長の年齢を聞いて驚いた。
彼は今年89歳になると言う。
自治会長は15年も務めているとか・・。
続いて、事務局長のNさんにもビックリ。
私とさほど変わらない年齢だが、
会長と同じ自治会で、
これまた15年も総務として会長を支えていると言う。
「誰も引き受け手がなく、
気がつくとこんなにも長くなってしまったよ」
2人は口を揃えてそう言う。
そして、
「私もNさんも、病気もちだけども、
頼られているうちはと思ってね」と。
私は、わずか自治会長2年目のひよっこだと思った。
2人の前で、「大変な役を受けてしまって・・」などと、
軽々しく言えない。
それよりも、 1つとしてぼやくことなく、
淡々と今を語る2人。
見習いたいと思った。
庭の『ブルースター』 ~例年に増して華やか
庭のシンボルツリー・ジューンベリーが、
満開になったのは、連休の最中だった。
1週間も経たない内に、
愛車の屋根やフロントガラスに白い花びらが降った。
その後は、柔らかな新緑で枝先まで被われている。
ご近所の庭には、赤いシャクナゲが咲き、
色とりどりの芝桜が日差しを受けて鮮やか。
今年も、つい散歩の足が止まってしまった。
中旬になると、自宅横の『嘉右衛門坂通り』は、
真っ白なツツジが沿道に連なる。
目を奪われないように気をつけながら、
毎年ハンドルを握る。
それも、薄茶に変色し、
今は、その道の街路樹に寄り添うように、
6月のルピナスやアヤメの蕾が膨らみ、
開花の時を迎えている。
こうして、時を止めず季節は確実に移り行く。
「バラも間もなく香るだろう」
そう想うだけで、また気持ちが弾む。
だが、先週、歴史の杜公園の野草園に、
「恋の花」と歌われた黒百合が、咲き乱れていた。
一気に咲いた黒色の花に、癒やされるどころか、
不気味さを感じたのは,私だけだろうか。
どうしても、この花は馴染めない。
5月 某日 ②
昨年11月下旬に、大きな手術をした姉が、
連休前に一事帰宅した。
そして先日、再び横浜の娘の所へと戻っていった。
しばらく術後の経過を見てから、
もう1度手術が必要かどうかを判断するのだとか・・。
80歳を過ぎた高齢者であるが、
まだまだ長生きしたいとチャレンジしたこと。
無事、健康を取り戻すよう、願うばかりである。
さて、再度新千歳空港まで送る道々、
姉と交わした会話が心に残った。
半年間、横浜暮らしを体験し、その感想を姉は口にした。
「年寄りにとっては、田舎暮らしより、
都会暮らしのほうがいいと、私は思ったわ」。
「へえぇ! 意外だなあ。
どうして、そう思ったの?」
「だって、こっちにいたら、
月に1回の病院通いだって、
バスの本数が少ないから、1日がかりでしょう。
何か欲しい物があって、買い物をと思っても、
店は少ないし遠いしで、なかなか手に入らないでしょう。
だから、できないことが多いよね。
本当に、不便! こっちは!
でも、都会はサッと出かけられて、
簡単に病院へも買い物にも行ける。
便利で快適だとつくづく思ったの」
姉は明るく、一気に言い切った。
確かに、利便性で言うと姉の主張通りである。
異論はない。
だが、私は言った。
「それは、ある程度財源が
豊かな人だから言えることじゃないか。
年金だけで暮らす人にとっては、
都会暮らしは辛いもののようだよ」。
姉は、無言だった。
私は続けた。
「退職した映画好きの先生の話だけど、
なかなか映画も見れなくなったって・・・。
だって、確かに映画館はシニア料金だけど、
駅まで車で行っても駐車料金は取られワ。
都心まで往復すると電車賃も安くないワ。
それに昼食まで考えたら、大変な出費になるって」。
「確かに、そうかも・・。
でもね、運転のできない私は、
ここに居たら、目の前のコンビニだけの生活よ。
車があって、運転してどこにでも行ける人は、
まだ違うのかも・・。
ここでは何もできないわよ」
姉の想いは確かに否定できない。
今、私は多少不便さを感じながらも、
車がある。
運転ができる。
都会暮らしよりずっといいと思っているが・・・。
さて、これから先の正解は、
・・・・分からない。
5月 某日 ③
昨年度、自治会長を受けると同時に、
某協議会の副会長になった。
今年度は、その協議会の役員改選期であった。
どこの組織も同じで役員の引き受け手がいない。
会長が私を訪ねてきた。
「会長をやってほしい」と言う。
お断りするには、
「引き続き副会長ならできます」
と、言うしかなかった。
そして、今後も同じ会長、副会長、事務局長の体制となった。
そこで、今年度初の三役会議を行った。
検討事項が終った後、
多少時間があったので、初めて3人で雑談になった。
まず会長の年齢を聞いて驚いた。
彼は今年89歳になると言う。
自治会長は15年も務めているとか・・。
続いて、事務局長のNさんにもビックリ。
私とさほど変わらない年齢だが、
会長と同じ自治会で、
これまた15年も総務として会長を支えていると言う。
「誰も引き受け手がなく、
気がつくとこんなにも長くなってしまったよ」
2人は口を揃えてそう言う。
そして、
「私もNさんも、病気もちだけども、
頼られているうちはと思ってね」と。
私は、わずか自治会長2年目のひよっこだと思った。
2人の前で、「大変な役を受けてしまって・・」などと、
軽々しく言えない。
それよりも、 1つとしてぼやくことなく、
淡々と今を語る2人。
見習いたいと思った。
庭の『ブルースター』 ~例年に増して華やか
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