▼ 最初に、2002年(20年前)の年賀状に載せた詩を記す。
* * * *
願 う
たった一杯の水を入れ替え
そのコップを
遺影の前に置く
朝のあわただしさの中
数秒間
心静かに合掌する時間
今日が一日無事であることを
心から願う
それ程の宗教心がある訳でも
それを強い拠り所にしているのでも
己の支えをそこに求めているはずも
だが いつのころからだろうか
決まって そうする日
己の無力さと
不本意と
むなしさと
それが あまりに多すぎる時代
だから つい
そんな祈りを
* * * *
45年前の春、父が末期胃癌であることが分かった。
それを本人に知らせることなどあり得なかった。
医師から余命3ヶ月を知らされたが、
本人は強靱な精神力で、その年の12月まで頑張った。
しかし、家族の中で私だけが死を見届けられなかった。
東京圏と北海道だからと半ば納得していたが、
それが現実になると、大きな悔いになった。
だから、葬儀が落ち着いてすぐ、
僧侶に位牌分けをお願いした。
僧侶から父の戒名を記した札を頂き、
12月の末、わざわざ宗派である京都の西本願寺まで出向き、
近くの仏具店で、小さな位牌を作ってもらった。
その時から、小物用のタンスの上に、
位牌と遺影、水の入ったコップに小仏花、おリンを置いた。
そして、18年も前になるが、
亡くなった母も父と同じ大きさの位牌に・・。
それを機に買い求めた小さな仏壇に2つを並べた。
今、小さな仏壇は、和室の一角にある。
毎朝、小仏花を添え、水を替え、蝋燭を灯し、線香を焚く。
そして、心静かに合掌。
父と母への挨拶の後、祈ることは、
45年前から大きく変わらない。
しかし、詩にもあるように、
それ以上の信仰心は私には芽生えなかった。
▼ 10年前、知人も友人も、
顔見知りもいない当地に移り住んだ。
だから、人付き合いの始まりは、
ご近所さんへの挨拶から。
幸い、都会とは違い、
誰とでも気軽に言葉を交わすことができた。
特にお向かいのご主人には、
マイカーの購入から庭の雑草取りのやり方まで、
すぐにお世話になった。
みんながみんな面倒見のいい人ばかりに思えた。
半年が過ぎた頃だったろうか。
我が家と同じように猫を飼っている方と知り合った。
「時には、お茶でも」と勧めると、
とりとめもない世間話を、
小1時間位していくようになった。
当然、愛猫の話題で盛り上がった。
ある時、その方から、お勧めしたいものがあると、
シャンプーなどのセールスがあった。
断ると良好な関係が壊れてしまいそうで、
何種類かの購入をお願いした。
特に、市販の物との違いは感じなかったが、
使い切るころになると、
再び来宅し、さり気なく注文を取って帰った。
その方に手間をかけたくなかったので、
次からはパッケージにあった電話番号へ注文依頼をした。
電話に出た人から、品物を紹介した方の氏名や連絡先などを
詳しく尋ねられた。
あたかもその電話番号への注文は、
正規ではないかのようで違和感を強くした。
やがて、その方が某宗教団体の布教に熱心だと知った。
「実は私もシャンプーを勧められたの」と言う人が現れた。
そして、ついに某宗教団体の映画会へ誘われた。
ここはキッパリお断りしようと決めた。
馴染みのない土地で暮らし始めた夫婦の隙間に入り込まれたようで、
いつまでも不快だった。
ささやかな私の信仰心だが、汚点になった。
▼ 今年も、お盆のお墓参りへ行った。
家内の実家の墓は、芦別にある。
車で片道3時間半はかかる。
ここ2,3年は、1日での往復を止め、
近隣の温泉に1泊してからの墓参にした。
小高い山の裾野にある墓地の入り口で水を用意し、
昨年、母の骨納めの折にリニューアルした墓石に向かった。
きっと義弟夫妻の心遣いだろうが、
お墓は、事前に掃除が行き届いていた。
仏花を添え、蝋燭と線香を用意していると、
札幌に住む義妹夫妻が娘や孫と一緒に、
やって来た。
お墓の前で、賑やかに挨拶を交わし、
近況などの会話が弾んだ。
そんな光景は、私たちだけでなかった。
賑わいを失った旧産炭地にある唯一の公営墓地で、
この時だけは人出があり、明るい話し声が飛び交っていた。
翌日は、我が家の墓参だった。
それぞれの家を周り、兄夫婦と姉を車に乗せ、
登別の霊園へ向かう。
平坦な高台にあるこの公営霊園は、
何度も拡張が繰りかえされた。
今では、近隣市町村では最大規模ではないかと思う。
ここには我が家のお墓の他に、2人の姉の嫁ぎ先のお墓もあった。
5人で、3つの家の墓参をするのが、最近の年中行事になった。
兄が用意することなっている仏花は、なんと計11束にも。
その花を1束1束墓前に活け、手を合わせた。
私は、どのお墓でもしばらく故人の思い出話をした。
それが、供養だと勝手に思っている。
話しながら、ふと霊園を見渡した。
そして、一瞬言葉が止まった。
墓石が乱立する光景が一面に広がっている。
その所々に、墓参の人の姿があった。
多くのお墓は、夏空の下で灰色をしていた。
霊園はそんなお墓色と思い込んで、グルッと見た。
墓石だけの広大な霊園が、「なんと綺麗なこと!」。
それぞれの墓前には、凜とした色とりどりの花たちが。
兄が抱えてきた綺麗な11束と同じような花が、
一面に賑わっている。
そのカラフルな光景に、私はしばらく心を熱くした。
お盆にお墓を訪ねる方の信仰心が、
一律な訳がない。
しかし、綺麗なお花を手に詣でる人々と、
その時だけでも賑わう人の声に、信仰心を感じ、
安堵するのは私だけではないように思った。
雨上がりの小道で
* * * *
願 う
たった一杯の水を入れ替え
そのコップを
遺影の前に置く
朝のあわただしさの中
数秒間
心静かに合掌する時間
今日が一日無事であることを
心から願う
それ程の宗教心がある訳でも
それを強い拠り所にしているのでも
己の支えをそこに求めているはずも
だが いつのころからだろうか
決まって そうする日
己の無力さと
不本意と
むなしさと
それが あまりに多すぎる時代
だから つい
そんな祈りを
* * * *
45年前の春、父が末期胃癌であることが分かった。
それを本人に知らせることなどあり得なかった。
医師から余命3ヶ月を知らされたが、
本人は強靱な精神力で、その年の12月まで頑張った。
しかし、家族の中で私だけが死を見届けられなかった。
東京圏と北海道だからと半ば納得していたが、
それが現実になると、大きな悔いになった。
だから、葬儀が落ち着いてすぐ、
僧侶に位牌分けをお願いした。
僧侶から父の戒名を記した札を頂き、
12月の末、わざわざ宗派である京都の西本願寺まで出向き、
近くの仏具店で、小さな位牌を作ってもらった。
その時から、小物用のタンスの上に、
位牌と遺影、水の入ったコップに小仏花、おリンを置いた。
そして、18年も前になるが、
亡くなった母も父と同じ大きさの位牌に・・。
それを機に買い求めた小さな仏壇に2つを並べた。
今、小さな仏壇は、和室の一角にある。
毎朝、小仏花を添え、水を替え、蝋燭を灯し、線香を焚く。
そして、心静かに合掌。
父と母への挨拶の後、祈ることは、
45年前から大きく変わらない。
しかし、詩にもあるように、
それ以上の信仰心は私には芽生えなかった。
▼ 10年前、知人も友人も、
顔見知りもいない当地に移り住んだ。
だから、人付き合いの始まりは、
ご近所さんへの挨拶から。
幸い、都会とは違い、
誰とでも気軽に言葉を交わすことができた。
特にお向かいのご主人には、
マイカーの購入から庭の雑草取りのやり方まで、
すぐにお世話になった。
みんながみんな面倒見のいい人ばかりに思えた。
半年が過ぎた頃だったろうか。
我が家と同じように猫を飼っている方と知り合った。
「時には、お茶でも」と勧めると、
とりとめもない世間話を、
小1時間位していくようになった。
当然、愛猫の話題で盛り上がった。
ある時、その方から、お勧めしたいものがあると、
シャンプーなどのセールスがあった。
断ると良好な関係が壊れてしまいそうで、
何種類かの購入をお願いした。
特に、市販の物との違いは感じなかったが、
使い切るころになると、
再び来宅し、さり気なく注文を取って帰った。
その方に手間をかけたくなかったので、
次からはパッケージにあった電話番号へ注文依頼をした。
電話に出た人から、品物を紹介した方の氏名や連絡先などを
詳しく尋ねられた。
あたかもその電話番号への注文は、
正規ではないかのようで違和感を強くした。
やがて、その方が某宗教団体の布教に熱心だと知った。
「実は私もシャンプーを勧められたの」と言う人が現れた。
そして、ついに某宗教団体の映画会へ誘われた。
ここはキッパリお断りしようと決めた。
馴染みのない土地で暮らし始めた夫婦の隙間に入り込まれたようで、
いつまでも不快だった。
ささやかな私の信仰心だが、汚点になった。
▼ 今年も、お盆のお墓参りへ行った。
家内の実家の墓は、芦別にある。
車で片道3時間半はかかる。
ここ2,3年は、1日での往復を止め、
近隣の温泉に1泊してからの墓参にした。
小高い山の裾野にある墓地の入り口で水を用意し、
昨年、母の骨納めの折にリニューアルした墓石に向かった。
きっと義弟夫妻の心遣いだろうが、
お墓は、事前に掃除が行き届いていた。
仏花を添え、蝋燭と線香を用意していると、
札幌に住む義妹夫妻が娘や孫と一緒に、
やって来た。
お墓の前で、賑やかに挨拶を交わし、
近況などの会話が弾んだ。
そんな光景は、私たちだけでなかった。
賑わいを失った旧産炭地にある唯一の公営墓地で、
この時だけは人出があり、明るい話し声が飛び交っていた。
翌日は、我が家の墓参だった。
それぞれの家を周り、兄夫婦と姉を車に乗せ、
登別の霊園へ向かう。
平坦な高台にあるこの公営霊園は、
何度も拡張が繰りかえされた。
今では、近隣市町村では最大規模ではないかと思う。
ここには我が家のお墓の他に、2人の姉の嫁ぎ先のお墓もあった。
5人で、3つの家の墓参をするのが、最近の年中行事になった。
兄が用意することなっている仏花は、なんと計11束にも。
その花を1束1束墓前に活け、手を合わせた。
私は、どのお墓でもしばらく故人の思い出話をした。
それが、供養だと勝手に思っている。
話しながら、ふと霊園を見渡した。
そして、一瞬言葉が止まった。
墓石が乱立する光景が一面に広がっている。
その所々に、墓参の人の姿があった。
多くのお墓は、夏空の下で灰色をしていた。
霊園はそんなお墓色と思い込んで、グルッと見た。
墓石だけの広大な霊園が、「なんと綺麗なこと!」。
それぞれの墓前には、凜とした色とりどりの花たちが。
兄が抱えてきた綺麗な11束と同じような花が、
一面に賑わっている。
そのカラフルな光景に、私はしばらく心を熱くした。
お盆にお墓を訪ねる方の信仰心が、
一律な訳がない。
しかし、綺麗なお花を手に詣でる人々と、
その時だけでも賑わう人の声に、信仰心を感じ、
安堵するのは私だけではないように思った。
雨上がりの小道で
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