家族5人の暮らしを、ようやく支えている、
そんな細々とした商売だった。
それでも、夏祭りの日は、
お刺身をはじめ、お届け物の注文が相次いだ。
その日だけは家族総出で、それに応じた。
私も、嫌々だったが手伝った。
いつ終わるか分からないので、
友達と一緒に祭りにくり出す約束はできなかった。
仕事のめどがつき始めると、
父は毎年、「お祭りだから。」と称して、
大好きなお酒を口にした。
そして、いい加減酔いが回ってきた夕方すぎ、
慌ただしかった一日にめどがつく。
後始末が全て終わる頃、父はすでに酔いつぶれ、
狭い家の一番奥で寝てしまった。
いつもの年のことだった。
すでに要領を心得ている兄姉は、
いつの間にか祭りの賑わいへとくり出した。
誰とも約束のない私は、
毎年のように夜店の灯りが続く縁日の道を、
あてどなく一人でぶらついた。
そして、例年通り「だから、祭りは嫌い。」
と、不機嫌になるのだった。
中学生の時、事件が起きた。
夜店見物に一人ブラブラし、
面白味のない祭りに、例年通り沈んだ気分で帰宅した。
玄関の引き戸を開け、一歩家に踏み入った瞬間、
いつもと違う気配を感じた。
二間きりの奥で、今まさに酔いつぶれていたはずの父が、
立ち上がり、母に殴りかかろうとしていた。
母は、何やら声を上げ、
汗ばんだ額に、乱れた前髪がはりついた顔で、
父の拳を両手で防ごうとしていた。
私は、後ろから父に体当たりをした。
父はよろめき、片膝をついた。
「この人ったら、急に私にむかってきて。」
と、母の息は荒れていた。
目の横が、赤く腫れていた。
私は、悲しみがこみ上げ、家を飛び出した。
再び祭りの灯りに向かった。
祭りは嫌いなのに、さらに嫌いになった。
両親がいがみ合い、争う場面を初めて見た。
父に、体ごとぶつけた時の、
妙に不甲斐ない、ひ弱な感触がいつまでも残った。
人混みと祭り囃子が、辛さを際立たせた。
やがて、祭りの賑わいが消え、夜店の明るさも落ちた。
それでも私は、いつまでもその場にいた。
静けさを取り戻し、
しっとりと漂う夜霧に包まれた祭りの後に、
私は、朝まででも留まっていたかった。
翌日、決まった時間に家族5人で朝食を囲んだ。
誰も、母の顔の青あざを話題にしなかった。
いつもの朝と変わらない時間が流れ、
それぞれが朝の支度をし、出かけていった。
私も母が作った弁当をカバンに納め、学校に向かった。
片道20分程度の通学路では、何人もの同級生と一緒になった。
私は、明らかに昨日までとは違っていた。
いつもより早い目覚めから、
父が殴りかかろうした場面と、
それにおびえ取り乱した母の表情が、目の前にあった。
目を閉じても、目を開けても消えないそのシーンが、
くり返しくり返し迫った。
学校までの道々でも、教室で机に向かっていても、
どこにいても、いつでも、私の隙間からその映像は入ってきた。
先生の言葉も、友人の声も、全てが私には届いていなかった。
母のあの時の表情が浮かぶと、
それだけで息をするのさえ苦しくなった。
悲しみがこみ上げた。
酒好きだが、穏やかで知的な父の
あの荒々しさが信じられなかった。
そして、突然、父を突き飛ばした自分自身も許せなかった。
知らなかった父と母の激しい姿と、私の無謀さ。
その日以来、私は生活の全てのリズムを失った。
友人からの声かけに、気づこうとしなかった。
先生たちからの視線も、感じようとしなかった。
きっと心配げに見ていたであろう両親や
兄姉の態度も、知らずにいた。
時だけが、流れた。
ただくり返しくり返し祭りの夜、あのシーンが蘇った。
その度に、私は深いため息と共に、
得たいの知れない消沈の底を彷徨った。
もう誰も信じられなくなっていた。
自分も信じられなかった。
一人ぼっちだと思った。
せつなさだけがこみ上げた。
何日が過ぎた頃だろうか。
放課後のことだった。
担任のM先生から呼び出された。
「職員室で先生が呼んでいる。」と、級友が告げた。
用件に心当たりがないまま、
慣れない職員室のドアを叩いた。
M先生は、私の肩を抱えるようにして、
職員室の片隅につれていった。
二人で向きあうと、先生は穏やかな表情で私の目を見た。
「どうした。元気ないぞ。」「先生に、話してみないか。」
と、言った。
あのシーンが浮かんだ。
涙がこみ上げてきた。私は、それを必死にこらえた。
大切な父と母のことである。その両親のいさかいを、
言葉にすることなど、私には無理だった。
両親を辱めることなど、決してできないと思った。
私は、先生から目をそらし、
「何もありません。」と、小さくうつむいた。
「そうか。そうならいいんだ。」「元気、出しなよ。」
と、先生は私の両肩を、力強く握ってくれた。
「はい。」と少し湿った声でうなずき、
私は、深々と頭を下げて職員室を出た。
嬉しかった。
急に廊下の床がにじんだ。
何粒もの涙のしみが、廊下にできた。
一人ぼっちじゃないと思えた。
冷えていた心が、温かくなっていった。
ちゃんと見てくれている人がいた。
それだけで、勇気が湧いた。心強かった。
前を向こう。顔を上げて歩こうと思った。
両親を大切に思っている本当の自分を、みつけることもできた。
恩師・M先生からは、たくさんの教えを頂いた。
その一つが、夏祭りの日のことだ。
散歩道のわき 『ルピナス』がきれい!
そんな細々とした商売だった。
それでも、夏祭りの日は、
お刺身をはじめ、お届け物の注文が相次いだ。
その日だけは家族総出で、それに応じた。
私も、嫌々だったが手伝った。
いつ終わるか分からないので、
友達と一緒に祭りにくり出す約束はできなかった。
仕事のめどがつき始めると、
父は毎年、「お祭りだから。」と称して、
大好きなお酒を口にした。
そして、いい加減酔いが回ってきた夕方すぎ、
慌ただしかった一日にめどがつく。
後始末が全て終わる頃、父はすでに酔いつぶれ、
狭い家の一番奥で寝てしまった。
いつもの年のことだった。
すでに要領を心得ている兄姉は、
いつの間にか祭りの賑わいへとくり出した。
誰とも約束のない私は、
毎年のように夜店の灯りが続く縁日の道を、
あてどなく一人でぶらついた。
そして、例年通り「だから、祭りは嫌い。」
と、不機嫌になるのだった。
中学生の時、事件が起きた。
夜店見物に一人ブラブラし、
面白味のない祭りに、例年通り沈んだ気分で帰宅した。
玄関の引き戸を開け、一歩家に踏み入った瞬間、
いつもと違う気配を感じた。
二間きりの奥で、今まさに酔いつぶれていたはずの父が、
立ち上がり、母に殴りかかろうとしていた。
母は、何やら声を上げ、
汗ばんだ額に、乱れた前髪がはりついた顔で、
父の拳を両手で防ごうとしていた。
私は、後ろから父に体当たりをした。
父はよろめき、片膝をついた。
「この人ったら、急に私にむかってきて。」
と、母の息は荒れていた。
目の横が、赤く腫れていた。
私は、悲しみがこみ上げ、家を飛び出した。
再び祭りの灯りに向かった。
祭りは嫌いなのに、さらに嫌いになった。
両親がいがみ合い、争う場面を初めて見た。
父に、体ごとぶつけた時の、
妙に不甲斐ない、ひ弱な感触がいつまでも残った。
人混みと祭り囃子が、辛さを際立たせた。
やがて、祭りの賑わいが消え、夜店の明るさも落ちた。
それでも私は、いつまでもその場にいた。
静けさを取り戻し、
しっとりと漂う夜霧に包まれた祭りの後に、
私は、朝まででも留まっていたかった。
翌日、決まった時間に家族5人で朝食を囲んだ。
誰も、母の顔の青あざを話題にしなかった。
いつもの朝と変わらない時間が流れ、
それぞれが朝の支度をし、出かけていった。
私も母が作った弁当をカバンに納め、学校に向かった。
片道20分程度の通学路では、何人もの同級生と一緒になった。
私は、明らかに昨日までとは違っていた。
いつもより早い目覚めから、
父が殴りかかろうした場面と、
それにおびえ取り乱した母の表情が、目の前にあった。
目を閉じても、目を開けても消えないそのシーンが、
くり返しくり返し迫った。
学校までの道々でも、教室で机に向かっていても、
どこにいても、いつでも、私の隙間からその映像は入ってきた。
先生の言葉も、友人の声も、全てが私には届いていなかった。
母のあの時の表情が浮かぶと、
それだけで息をするのさえ苦しくなった。
悲しみがこみ上げた。
酒好きだが、穏やかで知的な父の
あの荒々しさが信じられなかった。
そして、突然、父を突き飛ばした自分自身も許せなかった。
知らなかった父と母の激しい姿と、私の無謀さ。
その日以来、私は生活の全てのリズムを失った。
友人からの声かけに、気づこうとしなかった。
先生たちからの視線も、感じようとしなかった。
きっと心配げに見ていたであろう両親や
兄姉の態度も、知らずにいた。
時だけが、流れた。
ただくり返しくり返し祭りの夜、あのシーンが蘇った。
その度に、私は深いため息と共に、
得たいの知れない消沈の底を彷徨った。
もう誰も信じられなくなっていた。
自分も信じられなかった。
一人ぼっちだと思った。
せつなさだけがこみ上げた。
何日が過ぎた頃だろうか。
放課後のことだった。
担任のM先生から呼び出された。
「職員室で先生が呼んでいる。」と、級友が告げた。
用件に心当たりがないまま、
慣れない職員室のドアを叩いた。
M先生は、私の肩を抱えるようにして、
職員室の片隅につれていった。
二人で向きあうと、先生は穏やかな表情で私の目を見た。
「どうした。元気ないぞ。」「先生に、話してみないか。」
と、言った。
あのシーンが浮かんだ。
涙がこみ上げてきた。私は、それを必死にこらえた。
大切な父と母のことである。その両親のいさかいを、
言葉にすることなど、私には無理だった。
両親を辱めることなど、決してできないと思った。
私は、先生から目をそらし、
「何もありません。」と、小さくうつむいた。
「そうか。そうならいいんだ。」「元気、出しなよ。」
と、先生は私の両肩を、力強く握ってくれた。
「はい。」と少し湿った声でうなずき、
私は、深々と頭を下げて職員室を出た。
嬉しかった。
急に廊下の床がにじんだ。
何粒もの涙のしみが、廊下にできた。
一人ぼっちじゃないと思えた。
冷えていた心が、温かくなっていった。
ちゃんと見てくれている人がいた。
それだけで、勇気が湧いた。心強かった。
前を向こう。顔を上げて歩こうと思った。
両親を大切に思っている本当の自分を、みつけることもできた。
恩師・M先生からは、たくさんの教えを頂いた。
その一つが、夏祭りの日のことだ。
散歩道のわき 『ルピナス』がきれい!
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