ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

まどみちおさん

2014-09-04 14:05:36 | 素晴らしい人
 『ぞうさん』や『1年生になったら』の作詞で有名な
まどみちおさんのファンである。
 特に次の2つの詩は、
現職の頃、色々なときに、好んで使わせてもらった。


          チョウチョウ

    チュウチョウは ねむる とき
    はねを たたんで ねむります
    だれの じゃまにも ならない
    あんなに 小さな 虫なのに
    それが また はんぶんになって
    だれだって それを見ますと
    せかいじゅうに しーっ
    と めくばせ したくなります
    どんなに かすかな もの音でも
    チョウチョウの ねむりを
    やぶりはしないかと


          朝がくると

    朝がくると 飛び起きて
    ばくが作ったのでもない
    水道で 顔をあらうと
    ぼくが作ったのでもない
    洋服を 着て
    ぼくが作ったのでもない
    ごはんを むしゃむしゃたべる
    それから ぼくが作ったのでもない
    本やノートを
    ぼくが作ったのでもない
    ランドセルに つめて
    せなかに しょって
    さて ぼくが作ったのでもない
    靴を はくと
    たったか たったか 出かけていく
    ぼくが作ったのでもない
    道路を
    ぼくが作ったのでもない
    学校へと
    ああ なんのために

    いまに おとなになったら
    ぼくだって ぼくだって
    なにかを 作ることが
    できるように なるために


 羽をたたんでねむる「チョウチョウ」の、
静寂の中でひっそりと息づくその様。
そして、世界中にしーと目配せしたくなると言う目線の、
これまた、芯から温かみが伝わってくる想い。

 私は、この詩を朗読し、
「チョウチョウのような、そして、まどみちおさんのような、
優しさ人になりたいね。」
と、よく子どもたちに呼びかけた。
その時、どの子も決まって、パッと明るい顔をした。

 毎朝、ランドセルを重たそうに背負い、
両手をポケットに突っ込み、うつむき加減に登校してくる男の子がいた。
ある日、『朝がくると』の詩を書いた紙片を、プレゼントと称して、
彼の机の中に、そっと入れておいた。

 次の日からも彼のその姿は何も変わらなかったが、
その年度の終わり頃、
彼の日記に
「ぼくも何かを作れるように、頑張る。」
と、あった。
彼の心に、火が灯ったんだと確信した。

 物語や絵本、詩などが子どもの心を豊かにする、
そんな絶大な力を持っていると信じている。
それにしても、まどみちおさんの詩は、この2つに限らず素晴らしい。

 今年2月28日、104歳でお亡くなりになったが、
生前、某社から『全作品集』の出版依頼があったとき、
まどさんは、こんな申し出をしたそうである。

『私は生涯で戦争に賛成する詩を2編書いてしまった。
私がそんな不完全な弱い、ごまかしをする人間だという事を
明らかにする意味でも
必ずその作品を探し当てて、掲載してほしい。』と。

 まどみちおさんのどうしても拭いきれなかった悔恨と、
何よりもその実直さに心打たれた。
そして、だからこそ、
人々の心を揺り動かす作品ができるのだと思った。
 矢っ張り、凄い。
 私の本棚にある『まどみちお詩集』に敬礼。




快晴の日 散歩道から昭和新山の隣に蝦夷富士(羊蹄山)が

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