▼ 自己紹介の趣味欄には、
『マラソン、ゴルフ』と書いている。
この年齢でも、体が動く。
健康でいることがありがたい。
さて、そのゴルフであるが、
40歳代後半から始めた。
まもなくキャリア30年になろうとしている。
いっこうに上達しない。
それでも、ゴルフの楽しさは色あせない。
今は、月に数回、家内と二人だけのラウンドだが、
毎回、一打一打に一喜一憂し、
その日の夕食は、反省で盛り上がる。
大好きなゴルフから、いくつか話題を拾ってみる。
▼ コースデビューしてから、2、3年が過ぎた頃だ。
ようやくゴルフの楽しさを感じるようになっていた。
時々、弧を描いて遠くまでボールが飛んだ。
その爽快感が、たまらなかった。
夏休み、お盆の帰省の時のことだ。
義兄がゴルフに夢中だと聞いていた。
「一緒にまわりませんか。」
1ヶ月程前に、思い切って電話してみた。
義兄は、大変喜んでくれた。
コースの予約、一緒にプレーする方選びなど、
準備を整え、その日を用意してくれた。
初めて北海道のゴルフ場に立った。
白樺に囲まれ、広々としていた。
そして、1つ1つのコースの距離が、
思いのほか長く、驚いた。
いや、それ以上に驚いたのは、
義兄と同行メンバーの腕前だった。
まず、ドライバーの勢い。
飛距離が違った。
そして、2打目の正確性にも息を飲んだ。
グリーンまでツーオン、スリーオンは当たり前で、
私がやっとの思いでグリーンオンするのを、
いつも談笑しながら待ってくれた。
ゴルフは「紳士のスポーツ」と言う。
だから義兄も同行者も、私の下手さを受け入れ、
淡々とプレーした。
だが、私は時間が経過するにつれ、
ラウンドが進むにつれ、力の差に萎縮した。
ミスを重ね、そしてまたミスをした。
短いパットまで、入らなくなった。
こんな上級者と一緒する機会は貴重だ。
ならば、違いに舞いあがるよりも、
彼らの一振り一降りから学ぶ、そんな好機にすれはいい。
なのに、すっかり冷静さを失い、
そのまま、その日のラウンドは終わってしまった。
帰り際、義兄は、1本のユーティリティクラブを、
プレゼントしてくれた。
「このクラブを使えるようになるといい。
ゴルフをなめたら、ひどい目にあうからな。
東京に帰ったら、まずゴルフの本を10冊は買って、
読むことだ。
そこから、始めれ!」。
見下されていた。
しかし、受け入れるしかなかった。
早速、手当たり次第,
『最強のゴルフレッスン××』、『ゴルフ上達の言葉○○』等の本を、
買い求め、読んだ。
スイング法やクラブ選びなど、きっと理解が進むと信じた。
私の読みの浅さだろう、期待通りではなかった。
いろいろなゴルフ理論があった。
どれが私に適しているか、皆目見当が付かなかった。
以来、その手探りは今も続いている。
ただ、義兄に頂いたあのクラブは、
あの日から20年近く私のキャディーバックに入っていた。
そして、「困った時のユーティリティー」とばかり握りしめ、
難しい場面で必ず活躍してくれた。
▼ 次第にゴルフを趣味にする教員のネットワークができた。
いくつかのコンペグループに加えてもらった。
今と変わりなく、当時も学校は多忙を極めていた。
それでも何とかやりくりをして、
貴重な休日、みんなコンペに参加した。
1日中、小さな白球を打っては、後を追った。
そして、喜んだり肩を落としたりをくり返す。
それが、明日からのエネルギーになった。
私だけではない。
コンペに参加する者に共通した想いだった。
あるコンペに、常にグロス1位という達人がいた。
彼とは、他のコンペでも一緒によくプレーした。
ドライバーだけでなく、どのクラブも上手で、
ボールをうまくコントロールしていた。
特に、バンカーショットは見事だった。
さすが、実力者だと、その技にいつも見とれた。
遂に、コンペの幹事が私にも回ってきた。
参加者が決まり、組合せに頭を痛めていた。
その時、年上のメンバーから電話があった。
先輩は恐縮しながらも、
彼と一緒の組はいやだと話し出した。
「確かに上手だ。だけどマナーが悪いんだよ。
グリーン上でのマークはいい加減。
ひどい時は10センチも前にボールを置くんだ。
それに、OBと思われるボールも必ず見つける。
あれも不愉快で気分が悪くなる。」
その他にも、次々といやな理由をあげた。
「だから、ゴルフが面白くなくなる。」
そう言って、私に配慮を求めた。
先輩の言い分には心当たりもあった。
私は否定できず、
先輩の要望をそっと聞き入れた組合せを作った。
以来、彼と一緒にプレーする機会があると気になった。
確かにグリーン上のマナーは、良くなかった。
正しくマークしても彼の実力からすれば大丈夫なパットでも、
少しでの有利な所にボールを置いた。
同行メンバーから、それを注意されても、
再び同じようにいい加減になった。
あるコンペで、彼の第一打がOB方向に飛んだ。
珍しく私は、フェアーウエーのいい所だったので、
彼に同行し、ボール探しを手伝った。
しばらくすると、彼がボールを見つけた。
そして、最高のショットでグリーン方向へ打ち出した。
ナイスショットだった。
ところが、そこから3,4メートル先のOBエリアに、
彼の使用球と同じボールが落ちていた。
私はそれを拾い上げ、彼の目をきつく見ていった。
「これは、ナニ?」
彼は、私から目を反らし、足早に歩き始めながら言った。
「今回は、大目に見て・・・」。
些細なこと、いやゴルフにおいては重大なルール違反。
だが、その時の私はそれを黙認してしまった。
大事にすることを避けた。
思い出すと、今も少し心が傷む。
だってゴルフは『紳士のスポーツ』なはずだもの・・。
夏空・洞爺湖畔の『リップル・ダンス』(関正司・作)
『マラソン、ゴルフ』と書いている。
この年齢でも、体が動く。
健康でいることがありがたい。
さて、そのゴルフであるが、
40歳代後半から始めた。
まもなくキャリア30年になろうとしている。
いっこうに上達しない。
それでも、ゴルフの楽しさは色あせない。
今は、月に数回、家内と二人だけのラウンドだが、
毎回、一打一打に一喜一憂し、
その日の夕食は、反省で盛り上がる。
大好きなゴルフから、いくつか話題を拾ってみる。
▼ コースデビューしてから、2、3年が過ぎた頃だ。
ようやくゴルフの楽しさを感じるようになっていた。
時々、弧を描いて遠くまでボールが飛んだ。
その爽快感が、たまらなかった。
夏休み、お盆の帰省の時のことだ。
義兄がゴルフに夢中だと聞いていた。
「一緒にまわりませんか。」
1ヶ月程前に、思い切って電話してみた。
義兄は、大変喜んでくれた。
コースの予約、一緒にプレーする方選びなど、
準備を整え、その日を用意してくれた。
初めて北海道のゴルフ場に立った。
白樺に囲まれ、広々としていた。
そして、1つ1つのコースの距離が、
思いのほか長く、驚いた。
いや、それ以上に驚いたのは、
義兄と同行メンバーの腕前だった。
まず、ドライバーの勢い。
飛距離が違った。
そして、2打目の正確性にも息を飲んだ。
グリーンまでツーオン、スリーオンは当たり前で、
私がやっとの思いでグリーンオンするのを、
いつも談笑しながら待ってくれた。
ゴルフは「紳士のスポーツ」と言う。
だから義兄も同行者も、私の下手さを受け入れ、
淡々とプレーした。
だが、私は時間が経過するにつれ、
ラウンドが進むにつれ、力の差に萎縮した。
ミスを重ね、そしてまたミスをした。
短いパットまで、入らなくなった。
こんな上級者と一緒する機会は貴重だ。
ならば、違いに舞いあがるよりも、
彼らの一振り一降りから学ぶ、そんな好機にすれはいい。
なのに、すっかり冷静さを失い、
そのまま、その日のラウンドは終わってしまった。
帰り際、義兄は、1本のユーティリティクラブを、
プレゼントしてくれた。
「このクラブを使えるようになるといい。
ゴルフをなめたら、ひどい目にあうからな。
東京に帰ったら、まずゴルフの本を10冊は買って、
読むことだ。
そこから、始めれ!」。
見下されていた。
しかし、受け入れるしかなかった。
早速、手当たり次第,
『最強のゴルフレッスン××』、『ゴルフ上達の言葉○○』等の本を、
買い求め、読んだ。
スイング法やクラブ選びなど、きっと理解が進むと信じた。
私の読みの浅さだろう、期待通りではなかった。
いろいろなゴルフ理論があった。
どれが私に適しているか、皆目見当が付かなかった。
以来、その手探りは今も続いている。
ただ、義兄に頂いたあのクラブは、
あの日から20年近く私のキャディーバックに入っていた。
そして、「困った時のユーティリティー」とばかり握りしめ、
難しい場面で必ず活躍してくれた。
▼ 次第にゴルフを趣味にする教員のネットワークができた。
いくつかのコンペグループに加えてもらった。
今と変わりなく、当時も学校は多忙を極めていた。
それでも何とかやりくりをして、
貴重な休日、みんなコンペに参加した。
1日中、小さな白球を打っては、後を追った。
そして、喜んだり肩を落としたりをくり返す。
それが、明日からのエネルギーになった。
私だけではない。
コンペに参加する者に共通した想いだった。
あるコンペに、常にグロス1位という達人がいた。
彼とは、他のコンペでも一緒によくプレーした。
ドライバーだけでなく、どのクラブも上手で、
ボールをうまくコントロールしていた。
特に、バンカーショットは見事だった。
さすが、実力者だと、その技にいつも見とれた。
遂に、コンペの幹事が私にも回ってきた。
参加者が決まり、組合せに頭を痛めていた。
その時、年上のメンバーから電話があった。
先輩は恐縮しながらも、
彼と一緒の組はいやだと話し出した。
「確かに上手だ。だけどマナーが悪いんだよ。
グリーン上でのマークはいい加減。
ひどい時は10センチも前にボールを置くんだ。
それに、OBと思われるボールも必ず見つける。
あれも不愉快で気分が悪くなる。」
その他にも、次々といやな理由をあげた。
「だから、ゴルフが面白くなくなる。」
そう言って、私に配慮を求めた。
先輩の言い分には心当たりもあった。
私は否定できず、
先輩の要望をそっと聞き入れた組合せを作った。
以来、彼と一緒にプレーする機会があると気になった。
確かにグリーン上のマナーは、良くなかった。
正しくマークしても彼の実力からすれば大丈夫なパットでも、
少しでの有利な所にボールを置いた。
同行メンバーから、それを注意されても、
再び同じようにいい加減になった。
あるコンペで、彼の第一打がOB方向に飛んだ。
珍しく私は、フェアーウエーのいい所だったので、
彼に同行し、ボール探しを手伝った。
しばらくすると、彼がボールを見つけた。
そして、最高のショットでグリーン方向へ打ち出した。
ナイスショットだった。
ところが、そこから3,4メートル先のOBエリアに、
彼の使用球と同じボールが落ちていた。
私はそれを拾い上げ、彼の目をきつく見ていった。
「これは、ナニ?」
彼は、私から目を反らし、足早に歩き始めながら言った。
「今回は、大目に見て・・・」。
些細なこと、いやゴルフにおいては重大なルール違反。
だが、その時の私はそれを黙認してしまった。
大事にすることを避けた。
思い出すと、今も少し心が傷む。
だってゴルフは『紳士のスポーツ』なはずだもの・・。
夏空・洞爺湖畔の『リップル・ダンス』(関正司・作)
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