2月、総武線の黄色い電車に乗った。
車窓に流れる都会は、北のどんよりとした冬とは違い、
青空の下やけにまぶしく感じた。
何度も紅梅に目が止まった。
春の息吹きに、羨ましいとつぶやく私がいた。
さて、その黄色い電車からの眺めは、
現職時代、くり返し目にしてきた。
実は、もう35年以上も前のあの日から、
総武線H駅のすぐそばの家並みを通過するたび、
心を突き刺す出来事を思い出した。
異動してすぐに、5年生を担任した。
教室で初めて子ども達と対面した時、
どの子も好奇な目で私を見た。
その表情に、何となく暗さがあった。
この先に不安を直感した。
案の定、男子はよくケンカをした。
仲裁に忙しかった。
女子は、3つのグループに分かれ、
牽制し合っていた。
和気あいあいとした雰囲気はなく、
常に攻撃的な子ども達だった。
蛇足だが、先生方も仲が良くなかった。
職員会議でも、セクトがあり言い争いをくり返し、
勢力争いもどきをしていた。
大人がそうである。子どもに影響しない訳がない。
職員はともかく、
私の学級の雰囲気を変えなくてはならなかった。
様々な手立ての1つとして、連休が過ぎてすぐ、
宮沢賢治の『雨ニモマケズ』を教室の前面に掲示した。
そして、その詩の素晴らしさなど、何の説明もせず、
私は下校指導の時間に、こんな提案をした。
「この詩を、暗唱できないかな。
今すぐでも、明日でも、いいや何日かかってもいい。
暗唱できた人は、みんなの前で言ってみよう。
言えたら、免許皆伝だ。」
早速、教室の横掲示板に、
『雨ニモマケズ免許皆伝』コーナーを作った。
みんなの前で暗唱できた子の名前を、
そこに掲示することにした。
翌日の帰り、暗唱にチャレンジする子が現れた。
3人が、免許皆伝となった。
その日、暗唱した子をみんなで拍手をし、讃えた。
驚きと賞賛が、今までと違う学級の空気を作った。
その活気は、翌日もその翌日も続いた。
免許皆伝になった子を讃える。
だから、どの子もそれを目指して頑張った。
学級が変わる大きなきっかけになった。
約2ヶ月半が過ぎた。
S君を除いて、みんな免許皆伝となった。
そのS君のことである。
口数が少なく、色黒で小柄な子だった。
この間、ずうっとみんなの前で、
暗唱にチャレンジしなかった。
学級のだれも、暗唱できないS君を責めたりしない。
それでいいと私は見過ごしていた。
ところが、夏休みあけ、2学期が始まってすぐだった。
下校指導の時間、突然S君が手を挙げた。
そして、一度も間違えず『雨ニモマケズ』を暗唱したのだ。
私だけでない。それは、学級全員にとって驚きだった。
長い大きな拍手が続いた。
私は、すぐにS君の氏名を書いた札を、
免許皆伝コーナーに貼った。
満足そうな、S君の明るい顔を見た。
11月下旬、個人面談で、
初めてS君のお父さんにお会いした。
どんな事情なのか、父子家庭だった。
お父さんは、仕事の合間をぬっての来校だったらしく、
汚れた作業着姿のままだった。
「Sが、世話をかけて申し訳ありません。
私と同じで、できが悪くて・・。」
人の良さそうなお父さんは、何度もそう言いながら、
「毎晩、『雨ニモマケズ』をくり返し私に聞かせたんです。
免許皆伝ですか、その日は、うれしそうでした。
ありがとうございます。
あんな笑顔、私もうれしくて、先生。」
2度3度と頭を下げながら、
お父さんはそう話し、教室を出て行った。
胸が熱くなった。
誰にも何も言わず、モクモクと頑張っていたS君。
『雨ニモマケズ』の最高の理解者だと思った。
そのS君が、行方知れずになったのは、
6年生になってまもなくのことだった。
欠席の連絡もなく休みが続いた。
住まいを訪ねてみた。
2階建ての木造アパートの1室だった。
しかし、そこに人の気配はなかった。
お隣さんが、つい先日引っ越したと言った。
S君からの連絡を待つ以外方法がなかった。
それから1か月くらいが過ぎた頃だ。
学級の子が、川向こうのH駅の近くで、
S君を見たと教えてくれた。
翌日から、自転車で大橋を渡り、
夕方のH駅周辺を走り回った。
何日かかっただろうか。
随分とH駅周辺の道に精通した。
遂に、狭い路地をトボトボと1人歩いているS君を見た。
声をかけると、一瞬驚いたようだったが、
すぐにいつもの顔に戻った。
「今、どこに居るの?」
「あっち]
私の問いに、指を差して応えた。
「つれてって」。
S君は、壊れかけのうす暗い階段を上り、
かしがったドアの前に案内してくれた。
そっとドアを開けてみた。
4畳半と小さな台所の部屋だった。
薄くて汚れた布団と毛布が、そのままになっていた。
急に部屋の窓が揺れた。
総武線の黄色い電車が、すぐそばを通った。
足の踏み場にこまるほど、雑然としていた室内だった。
辺り構わず雑誌や食べ散らかした物を、
1カ所に寄せながら色々訊いた。
急に引っ越すことになり、ここに来たこと。
学校には、ずっと行ってないこと。
時々お父さんが帰ってくること。
夜は、一人でここで寝ていること。
ポツリポツリ、時間をかけて話してくれた。
そして、昨日から何も食べてないと言った。
何が食べたいか訊くと、ラーメンと応えてくれた。
「すぐに食べに行こう。」
急ぎ靴を履こうとする私に、小声が返ってきた。
「でも、お父さんに叱られるから・・。」
「そうか、じゃぁ、ごめんなさいって、
先生が、お父さんに謝りの手紙を書いてあげる。
それでいいだろう。」
『とても心配していた。S君に会えて安心した。
学校に連絡がほしい。
そして、今夜はラーメンを一緒に食べる。
お子さんを叱らないで。』
そんなことを、手紙にした。
S君は、安心したようで、
私と一緒にラーメン店の暖簾をくぐった。
「どう、美味しい?」
箸を動かしながら、浅黒いS君の顔が明るくなった。
今も、ハッキリとその顔を覚えている。
「うん、美味しい!」。
あの時、私はようやく探し出したS君との一時に、
安堵していた。
きっと深い事情があるのだろう。
性急な解決よりも、
お父さんからの連絡に期待しょうと思った。
だから、ラーメン店を出るとすぐ
「また来るからね。」
S君の肩に両手をやって、学校へ戻った。
ところが、お父さんからの連絡は来なかった。
1週間が過ぎた。これ以上待ちきれなかった。
再び、あのうす暗い階段を、
ギスギスと音をたてて上った。
かしがったドアにカギはなかった。
そっと部屋を覗いた。
食べ残しのすえた匂いが鼻をついた。
誰も居ない。
1週間前同様、汚れた布団と毛布、
それに、足の踏み場に困る散らかりようだった。
しばらく待ってみたが、
仕方なく「連絡を待ってます」と、
学校と自宅の電話番号を添えた手紙を、
ドアに挟んで戻った。
それから、また1週間後、
うす暗い階段の先の、かしがったドアの前に立った。
私の手紙はそのままになっていた。
S君もお父さんも、もうここにはいない。
それでも、数日後に再び訪ねた。
何も変わっていない。
何度も行き来した大橋を、
自転車をこぎながら学校に戻った。
その日、川風が冷たく思えた。
切なさと無力さを、必死にこらえた。
あの日、S君を探し出した。
それが、不都合を招いたのだろうか。
部屋の様子からは、
全てを投げ出し、急いで姿を消したように思えた。
事情を知らず、
私は余分なことをしたのだろうか。
個人面談でお会いした、
あの人の良さそうなお父さんを思い出した。
『雨ニモマケズ』を暗唱したS君、
ラーメンをすするS君、
そして教室でのいつものS君が、次々と私を囲んだ。
親子2人、人目をさけながら、
どこで過ごしているのだろう。
2人に、私ができることはないのだろうか。
学校に戻ってすぐ、私の想いを教頭先生にぶつけた。
「わかりました。後は、校長先生と相談して、
学校ができることをします。
先生は、学級の仕事に戻って、頑張りなさい。」
その後、S君についての情報は、
誰からも何も届かなかった。
時折、消息不明の子どもの数が報道される。
あの頃、S君もその1人になったのだ。
まもなく50歳になることだろう。
あの時、何もできなかった私。いや余計なこと・・。
先日も、それを悔いながら、
総武線の車窓から、H駅そばのあの家並みに、私は頭をさげていた。
猛吹雪 自宅前もホワイトアウト寸前
車窓に流れる都会は、北のどんよりとした冬とは違い、
青空の下やけにまぶしく感じた。
何度も紅梅に目が止まった。
春の息吹きに、羨ましいとつぶやく私がいた。
さて、その黄色い電車からの眺めは、
現職時代、くり返し目にしてきた。
実は、もう35年以上も前のあの日から、
総武線H駅のすぐそばの家並みを通過するたび、
心を突き刺す出来事を思い出した。
異動してすぐに、5年生を担任した。
教室で初めて子ども達と対面した時、
どの子も好奇な目で私を見た。
その表情に、何となく暗さがあった。
この先に不安を直感した。
案の定、男子はよくケンカをした。
仲裁に忙しかった。
女子は、3つのグループに分かれ、
牽制し合っていた。
和気あいあいとした雰囲気はなく、
常に攻撃的な子ども達だった。
蛇足だが、先生方も仲が良くなかった。
職員会議でも、セクトがあり言い争いをくり返し、
勢力争いもどきをしていた。
大人がそうである。子どもに影響しない訳がない。
職員はともかく、
私の学級の雰囲気を変えなくてはならなかった。
様々な手立ての1つとして、連休が過ぎてすぐ、
宮沢賢治の『雨ニモマケズ』を教室の前面に掲示した。
そして、その詩の素晴らしさなど、何の説明もせず、
私は下校指導の時間に、こんな提案をした。
「この詩を、暗唱できないかな。
今すぐでも、明日でも、いいや何日かかってもいい。
暗唱できた人は、みんなの前で言ってみよう。
言えたら、免許皆伝だ。」
早速、教室の横掲示板に、
『雨ニモマケズ免許皆伝』コーナーを作った。
みんなの前で暗唱できた子の名前を、
そこに掲示することにした。
翌日の帰り、暗唱にチャレンジする子が現れた。
3人が、免許皆伝となった。
その日、暗唱した子をみんなで拍手をし、讃えた。
驚きと賞賛が、今までと違う学級の空気を作った。
その活気は、翌日もその翌日も続いた。
免許皆伝になった子を讃える。
だから、どの子もそれを目指して頑張った。
学級が変わる大きなきっかけになった。
約2ヶ月半が過ぎた。
S君を除いて、みんな免許皆伝となった。
そのS君のことである。
口数が少なく、色黒で小柄な子だった。
この間、ずうっとみんなの前で、
暗唱にチャレンジしなかった。
学級のだれも、暗唱できないS君を責めたりしない。
それでいいと私は見過ごしていた。
ところが、夏休みあけ、2学期が始まってすぐだった。
下校指導の時間、突然S君が手を挙げた。
そして、一度も間違えず『雨ニモマケズ』を暗唱したのだ。
私だけでない。それは、学級全員にとって驚きだった。
長い大きな拍手が続いた。
私は、すぐにS君の氏名を書いた札を、
免許皆伝コーナーに貼った。
満足そうな、S君の明るい顔を見た。
11月下旬、個人面談で、
初めてS君のお父さんにお会いした。
どんな事情なのか、父子家庭だった。
お父さんは、仕事の合間をぬっての来校だったらしく、
汚れた作業着姿のままだった。
「Sが、世話をかけて申し訳ありません。
私と同じで、できが悪くて・・。」
人の良さそうなお父さんは、何度もそう言いながら、
「毎晩、『雨ニモマケズ』をくり返し私に聞かせたんです。
免許皆伝ですか、その日は、うれしそうでした。
ありがとうございます。
あんな笑顔、私もうれしくて、先生。」
2度3度と頭を下げながら、
お父さんはそう話し、教室を出て行った。
胸が熱くなった。
誰にも何も言わず、モクモクと頑張っていたS君。
『雨ニモマケズ』の最高の理解者だと思った。
そのS君が、行方知れずになったのは、
6年生になってまもなくのことだった。
欠席の連絡もなく休みが続いた。
住まいを訪ねてみた。
2階建ての木造アパートの1室だった。
しかし、そこに人の気配はなかった。
お隣さんが、つい先日引っ越したと言った。
S君からの連絡を待つ以外方法がなかった。
それから1か月くらいが過ぎた頃だ。
学級の子が、川向こうのH駅の近くで、
S君を見たと教えてくれた。
翌日から、自転車で大橋を渡り、
夕方のH駅周辺を走り回った。
何日かかっただろうか。
随分とH駅周辺の道に精通した。
遂に、狭い路地をトボトボと1人歩いているS君を見た。
声をかけると、一瞬驚いたようだったが、
すぐにいつもの顔に戻った。
「今、どこに居るの?」
「あっち]
私の問いに、指を差して応えた。
「つれてって」。
S君は、壊れかけのうす暗い階段を上り、
かしがったドアの前に案内してくれた。
そっとドアを開けてみた。
4畳半と小さな台所の部屋だった。
薄くて汚れた布団と毛布が、そのままになっていた。
急に部屋の窓が揺れた。
総武線の黄色い電車が、すぐそばを通った。
足の踏み場にこまるほど、雑然としていた室内だった。
辺り構わず雑誌や食べ散らかした物を、
1カ所に寄せながら色々訊いた。
急に引っ越すことになり、ここに来たこと。
学校には、ずっと行ってないこと。
時々お父さんが帰ってくること。
夜は、一人でここで寝ていること。
ポツリポツリ、時間をかけて話してくれた。
そして、昨日から何も食べてないと言った。
何が食べたいか訊くと、ラーメンと応えてくれた。
「すぐに食べに行こう。」
急ぎ靴を履こうとする私に、小声が返ってきた。
「でも、お父さんに叱られるから・・。」
「そうか、じゃぁ、ごめんなさいって、
先生が、お父さんに謝りの手紙を書いてあげる。
それでいいだろう。」
『とても心配していた。S君に会えて安心した。
学校に連絡がほしい。
そして、今夜はラーメンを一緒に食べる。
お子さんを叱らないで。』
そんなことを、手紙にした。
S君は、安心したようで、
私と一緒にラーメン店の暖簾をくぐった。
「どう、美味しい?」
箸を動かしながら、浅黒いS君の顔が明るくなった。
今も、ハッキリとその顔を覚えている。
「うん、美味しい!」。
あの時、私はようやく探し出したS君との一時に、
安堵していた。
きっと深い事情があるのだろう。
性急な解決よりも、
お父さんからの連絡に期待しょうと思った。
だから、ラーメン店を出るとすぐ
「また来るからね。」
S君の肩に両手をやって、学校へ戻った。
ところが、お父さんからの連絡は来なかった。
1週間が過ぎた。これ以上待ちきれなかった。
再び、あのうす暗い階段を、
ギスギスと音をたてて上った。
かしがったドアにカギはなかった。
そっと部屋を覗いた。
食べ残しのすえた匂いが鼻をついた。
誰も居ない。
1週間前同様、汚れた布団と毛布、
それに、足の踏み場に困る散らかりようだった。
しばらく待ってみたが、
仕方なく「連絡を待ってます」と、
学校と自宅の電話番号を添えた手紙を、
ドアに挟んで戻った。
それから、また1週間後、
うす暗い階段の先の、かしがったドアの前に立った。
私の手紙はそのままになっていた。
S君もお父さんも、もうここにはいない。
それでも、数日後に再び訪ねた。
何も変わっていない。
何度も行き来した大橋を、
自転車をこぎながら学校に戻った。
その日、川風が冷たく思えた。
切なさと無力さを、必死にこらえた。
あの日、S君を探し出した。
それが、不都合を招いたのだろうか。
部屋の様子からは、
全てを投げ出し、急いで姿を消したように思えた。
事情を知らず、
私は余分なことをしたのだろうか。
個人面談でお会いした、
あの人の良さそうなお父さんを思い出した。
『雨ニモマケズ』を暗唱したS君、
ラーメンをすするS君、
そして教室でのいつものS君が、次々と私を囲んだ。
親子2人、人目をさけながら、
どこで過ごしているのだろう。
2人に、私ができることはないのだろうか。
学校に戻ってすぐ、私の想いを教頭先生にぶつけた。
「わかりました。後は、校長先生と相談して、
学校ができることをします。
先生は、学級の仕事に戻って、頑張りなさい。」
その後、S君についての情報は、
誰からも何も届かなかった。
時折、消息不明の子どもの数が報道される。
あの頃、S君もその1人になったのだ。
まもなく50歳になることだろう。
あの時、何もできなかった私。いや余計なこと・・。
先日も、それを悔いながら、
総武線の車窓から、H駅そばのあの家並みに、私は頭をさげていた。
猛吹雪 自宅前もホワイトアウト寸前
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