東洋民俗博物館 ~エロじじいのコレクション
タイトルには「エロじじい」と敬意と親しみを込めて、記させていただいた。
「エロじじい」とは奈良市あやめ池の私設ミュージアム「東洋民俗博物館」の館長だった九十九黄人(つくもおうじん)さんのことである。
黄人とは号で、英語にすると「イエローマン」・・・「エローマン」すなわち、“エロ男”という意。
九十九豊勝(黄人)さんは、米国シカゴ大学の人類学者フレデリック・スタール博士の助手兼通訳として民俗学の研究を行う。
その後、世界各地を行脚して収集したコレクションをこの博物館で展示している。
東洋民俗博物館は昭和3年開館。
1998年に104歳で亡くなるまで館長を務められた。
現在、博物館は御子息の理事長、九十九弓彦氏が、仕事を引退後、ここに戻り管理されているそうだ。
古色蒼然、かつモダンな建物。
昭和3年開館時には、当時の「あやめ池遊園地」の一角にあったというが、きっと、雰囲気にマッチしていたことだろう。
電話予約しておくと、理事長自ら、館前で待っていただいていた。
お昼から外出するとかで、この日の来訪者は私だけらしい。
この人が日本文化の研究家、スタール博士。
和服姿で各地の神社を訪れては、お札を集めていたので、「御札博士」と呼ばれていたらしい。
入口前にこんな立て札が・・・。
「吾唯足知」 「われ ただ たるを しる」と読み、「足る事を知る人は不平不満が無く、心豊かな生活を送ることが出来る」、「現状で満足することが満ち足りた豊かな心につながる」という意味で龍安寺にある禅の言葉。
う~ん、なるほどと感銘を受けていると、理事長が立て札をひっくり返して、裏の文字を見せていただいた。
「舌吸足知(した すって たるを しる)」。
のっけから、一本取られましたなぁ、こりゃ!
館内にいると、ステンドグラスが目を引く。
艶っぽい、おみ足。「卒業」のミセス・ロビンソンを思わせた。
館内には博士の展示物が並べられ、やはり、絵馬のコレクションが多い。
ちょっと変わった「縁切り絵馬」。
他のコレクションは、民間信仰にまつわるようなものが多かった。
蘇民将来、朝鮮の天下大将軍のような魔除けとか、チベットや東南アジアの仏教や民間信仰の神像仏像などなど。
それ以外も、帝政ロシアの将校帽やら、朝鮮の長煙管やら、江戸時代の遠眼鏡やら、雑多なものも様々。
これは隠れキリシタンのものか。
パラオの石貨なんてものもあった。これで牛20頭、買えたという。
続いて、九十九黄人さんのコレクションを展示する部屋へ。
何?という代物が多い。
理事長からインドネシアの楽器についての説明をしていただいた。
その他、云われのある逸品も・・・。
一見、中国の貴婦人の人形。
ところが、床に穴があり、丸見え!しかも、鏡が置いてたりして。
さらには奥に書架があって、発禁本とエロ本がぎっしり。
また、日本初の文化人向けエロ雑誌(あまとりあ)が創刊号から最終号まで全部揃っていて、これはおそらく日本中探してもここにしかないとご自慢だった。
凄まじいまでのエログッズコレクション。小さな部屋だが、圧巻の内容。
(4000人の女性の陰毛コレクションだとか、もう、ブログの品位が保てなくなるので、ここでは記せない。実際に行って見てください。)
この部屋は写真NG!だった。
世界を飛び回ってエログッズ、いや性風俗の資料を集め、世界の女性をたらしこみ?、そして晩年には、100歳過ぎてもまだここで元気に来訪者にエロ自慢をしていたという。
洒落のわからない官憲に引っ張られることが度々あったそうで、共産主義の取り締まりが激しくなった頃には、留置場でよく「お前はアカか」と聞かれたそう。
そこで黄人さん、答えて曰く、「わしはピンクや」。
自由奔放、痛快な一生を送った方だったとお見受けするが、周囲は迷惑だったようで、御子息の理事長は「ああはなるまい」と常々、思っていたそう。
黄人さんが晩年、使っていた椅子。
館の壁に埋め込まれていたオブジェ。
これも何やら、曰くありそうだが、聞きそびれてしまった。
人生でハレー彗星に二度、遭遇したと記されていた。
東洋民俗博物館は、ただの秘宝館とは一線を画させているように思える。
理事長に案内してもらえるのも嬉しい。
実におもしろい博物館だった。
訪問には事前予約要です。
奈良県奈良市あやめ池北1-5-26(近鉄菖蒲池駅下車、徒歩約5分)入館料500円
電話番号 0742-45-0069
かつての子どもの楽園、「あやめ池遊園地」も、今や高級住宅街に変貌していた。
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タイトルには「エロじじい」と敬意と親しみを込めて、記させていただいた。
「エロじじい」とは奈良市あやめ池の私設ミュージアム「東洋民俗博物館」の館長だった九十九黄人(つくもおうじん)さんのことである。
黄人とは号で、英語にすると「イエローマン」・・・「エローマン」すなわち、“エロ男”という意。
九十九豊勝(黄人)さんは、米国シカゴ大学の人類学者フレデリック・スタール博士の助手兼通訳として民俗学の研究を行う。
その後、世界各地を行脚して収集したコレクションをこの博物館で展示している。
東洋民俗博物館は昭和3年開館。
1998年に104歳で亡くなるまで館長を務められた。
現在、博物館は御子息の理事長、九十九弓彦氏が、仕事を引退後、ここに戻り管理されているそうだ。
古色蒼然、かつモダンな建物。
昭和3年開館時には、当時の「あやめ池遊園地」の一角にあったというが、きっと、雰囲気にマッチしていたことだろう。
電話予約しておくと、理事長自ら、館前で待っていただいていた。
お昼から外出するとかで、この日の来訪者は私だけらしい。
この人が日本文化の研究家、スタール博士。
和服姿で各地の神社を訪れては、お札を集めていたので、「御札博士」と呼ばれていたらしい。
入口前にこんな立て札が・・・。
「吾唯足知」 「われ ただ たるを しる」と読み、「足る事を知る人は不平不満が無く、心豊かな生活を送ることが出来る」、「現状で満足することが満ち足りた豊かな心につながる」という意味で龍安寺にある禅の言葉。
う~ん、なるほどと感銘を受けていると、理事長が立て札をひっくり返して、裏の文字を見せていただいた。
「舌吸足知(した すって たるを しる)」。
のっけから、一本取られましたなぁ、こりゃ!
館内にいると、ステンドグラスが目を引く。
艶っぽい、おみ足。「卒業」のミセス・ロビンソンを思わせた。
館内には博士の展示物が並べられ、やはり、絵馬のコレクションが多い。
ちょっと変わった「縁切り絵馬」。
他のコレクションは、民間信仰にまつわるようなものが多かった。
蘇民将来、朝鮮の天下大将軍のような魔除けとか、チベットや東南アジアの仏教や民間信仰の神像仏像などなど。
それ以外も、帝政ロシアの将校帽やら、朝鮮の長煙管やら、江戸時代の遠眼鏡やら、雑多なものも様々。
これは隠れキリシタンのものか。
パラオの石貨なんてものもあった。これで牛20頭、買えたという。
続いて、九十九黄人さんのコレクションを展示する部屋へ。
何?という代物が多い。
理事長からインドネシアの楽器についての説明をしていただいた。
その他、云われのある逸品も・・・。
一見、中国の貴婦人の人形。
ところが、床に穴があり、丸見え!しかも、鏡が置いてたりして。
さらには奥に書架があって、発禁本とエロ本がぎっしり。
また、日本初の文化人向けエロ雑誌(あまとりあ)が創刊号から最終号まで全部揃っていて、これはおそらく日本中探してもここにしかないとご自慢だった。
凄まじいまでのエログッズコレクション。小さな部屋だが、圧巻の内容。
(4000人の女性の陰毛コレクションだとか、もう、ブログの品位が保てなくなるので、ここでは記せない。実際に行って見てください。)
この部屋は写真NG!だった。
世界を飛び回ってエログッズ、いや性風俗の資料を集め、世界の女性をたらしこみ?、そして晩年には、100歳過ぎてもまだここで元気に来訪者にエロ自慢をしていたという。
洒落のわからない官憲に引っ張られることが度々あったそうで、共産主義の取り締まりが激しくなった頃には、留置場でよく「お前はアカか」と聞かれたそう。
そこで黄人さん、答えて曰く、「わしはピンクや」。
自由奔放、痛快な一生を送った方だったとお見受けするが、周囲は迷惑だったようで、御子息の理事長は「ああはなるまい」と常々、思っていたそう。
黄人さんが晩年、使っていた椅子。
館の壁に埋め込まれていたオブジェ。
これも何やら、曰くありそうだが、聞きそびれてしまった。
人生でハレー彗星に二度、遭遇したと記されていた。
東洋民俗博物館は、ただの秘宝館とは一線を画させているように思える。
理事長に案内してもらえるのも嬉しい。
実におもしろい博物館だった。
訪問には事前予約要です。
奈良県奈良市あやめ池北1-5-26(近鉄菖蒲池駅下車、徒歩約5分)入館料500円
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かつての子どもの楽園、「あやめ池遊園地」も、今や高級住宅街に変貌していた。
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