ワンダースター★航星記

写真を撮るとは、決して止まらない時間を止めること。旅や日常生活のインプレッシブな出来事を綴ったフォトエッセイ集です。

千利休・堺がSACAYだった頃 ~「さかい利晶の杜」 1

2016-06-01 | 博物館・美術館
千利休・堺がSACAYだった頃 ~「さかい利晶の杜」 1

                 

 堺が生んだ茶の湯の祖「千利休」と、日本近代文学の代表歌人「与謝野晶子」の生涯や人物像などを通じて、堺の歴史・文化の魅力を発信する新しいタイプのミュージアム「さかい利晶の杜」。
 
               

 中世の堺の町の陶板画がエントランスフロアにあった。

                 

 15~16Cにかけて、長崎とともに南蛮貿易の拠点として、堺には頻繁にポルトガル人やスペイン人がやってきた。
 彼ら、南蛮人から見た日本観が伺える。

               

 北海道がないやん。琵琶湖が小さすぎるやんと、つっ込みどころ満載。

               

 河内がCavachi、大和がHiamato。まるで、地中海の古地図のよう。

               

 時は戦国の世。
 信長や秀吉に翻弄されながらも、自治都市として、貿易都市として、堺は独自の発展を遂げた。
 この地から「茶の湯」文化を茶道として日本に根付かせた千利休の功績は誠に大きい。

               

               

               

               

               

                 

 「茶の湯体験施設」や千利休がつくった茶室で唯一現存する国宝の茶室「待庵」の創建当初の姿を復元した「さかい待庵」もある。
 「さかい利晶の杜」の東側すぐには千利休屋敷跡がある。

               
 
 ここには利休が椿の炭を底に沈めて水を清めたと伝わる椿の井戸が残っている。


               


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