「難波戦記」 ~ダンディマンダム・赤いハンサム侍! Vol. 3
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6月12日(日)平野南地域活動協議会では雨天のため、先週5日より順延となっていた「第1回グラウンドゴルフ大会」が午前中、開催された。
この事業は引き篭もりがちな高齢者に外に出てきていただくことを目的としている。
初めての方も多かったが、和気あいあいとプレーされていた。
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返す刀で喜連北地域活動協議会の防災訓練を取材。
近い将来、来るであろう災害に備えようと皆さん、真剣に訓練に取り組まれていた。
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獅子奮迅の如く、飛び回っている私であるが、腹がへっては戦ができぬとばかり、平野本町の「なかむら」に陣を張る。
バルメニューを使って、「だったん蕎麦」を食す。
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ルチン含有量は蕎麦の100倍というヘルシーな一品である。
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腹ごしらえができた私、次に攻めるは加美の「たちばな会館」。
この日はダンディマンダム第2弾、講談「難波戦記」が催される。
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講談はおもに武将や偉人の話しなど、歴史にちなんだ物語を講談師が美しい日本語で自ら調子をとってとうとうと読み上げる一人芸だということだが、聴くのは私も初めて。
演じるは旭堂小二三さんによる「平野の地雷火」。
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あらすじはいつもの<あれ>であるが、和紙で作った張り扇でパシャ・パシャと釈台をたたき、調子をとるのが実に心地よく、情景が鮮やかに浮かんできた。
小二三さん、秋には師匠の旭堂小南陵を襲名するという。
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さて、フィックションと断りながらも、根拠や証拠も存在し、あながち、庶民の夢物語とばかり、言えないと私は思うのだが、皆さんは如何であろうか。
1.家康討死説
軍記物語「難波戦記」では、「家康は真田信繁(幸村)に攻められて逃げる際、後藤基次(又兵衛)に槍で刺され、堺のさる寺(南宗寺)に逃げ込んだがすでに息絶えていた」とか。
家康の駕籠には槍が貫通した痕が確かに残っており、これで無事だったとは到底、思えない。
南宗寺境内には「家康の墓」も現存しており、幕臣の山岡鉄舟も「ここは、家康の墓である。」との発言したとか。
しかも、二代将軍の徳川秀忠、三代将軍徳川家光も、ここにわざわざ、参拝にきたという。
2.幸村生存説
夏の陣の後、秀頼を伴った幸村は大阪城から「真田の抜け穴」を使って、抜け出し、密約していた島津を頼って薩摩に逃げ延びたという。
鹿児島県には、「信繁は合戦で死なず、山伏に化けて秀頼·重成を伴って谷山(鹿児島市)に逃げてきた」という伝説や幸村の墓まで残る。
先ごろ、南さつま市の和多利(わたり)神社の境内で、真田家の旗印である六文銭(六連銭)や、豊臣家の家紋として知られる桐紋が刻まれた石材が見つかった。
京都大坂では陣の直後頃に、「花の様なる秀頼様を、鬼の様なる真田がつれて、退きも退いたり鹿児島へ」というわらべが流行ったともいわれている。
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6月12日(日)平野南地域活動協議会では雨天のため、先週5日より順延となっていた「第1回グラウンドゴルフ大会」が午前中、開催された。
この事業は引き篭もりがちな高齢者に外に出てきていただくことを目的としている。
初めての方も多かったが、和気あいあいとプレーされていた。
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返す刀で喜連北地域活動協議会の防災訓練を取材。
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獅子奮迅の如く、飛び回っている私であるが、腹がへっては戦ができぬとばかり、平野本町の「なかむら」に陣を張る。
バルメニューを使って、「だったん蕎麦」を食す。
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ルチン含有量は蕎麦の100倍というヘルシーな一品である。
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腹ごしらえができた私、次に攻めるは加美の「たちばな会館」。
この日はダンディマンダム第2弾、講談「難波戦記」が催される。
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演じるは旭堂小二三さんによる「平野の地雷火」。
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あらすじはいつもの<あれ>であるが、和紙で作った張り扇でパシャ・パシャと釈台をたたき、調子をとるのが実に心地よく、情景が鮮やかに浮かんできた。
小二三さん、秋には師匠の旭堂小南陵を襲名するという。
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さて、フィックションと断りながらも、根拠や証拠も存在し、あながち、庶民の夢物語とばかり、言えないと私は思うのだが、皆さんは如何であろうか。
1.家康討死説
軍記物語「難波戦記」では、「家康は真田信繁(幸村)に攻められて逃げる際、後藤基次(又兵衛)に槍で刺され、堺のさる寺(南宗寺)に逃げ込んだがすでに息絶えていた」とか。
家康の駕籠には槍が貫通した痕が確かに残っており、これで無事だったとは到底、思えない。
南宗寺境内には「家康の墓」も現存しており、幕臣の山岡鉄舟も「ここは、家康の墓である。」との発言したとか。
しかも、二代将軍の徳川秀忠、三代将軍徳川家光も、ここにわざわざ、参拝にきたという。
2.幸村生存説
夏の陣の後、秀頼を伴った幸村は大阪城から「真田の抜け穴」を使って、抜け出し、密約していた島津を頼って薩摩に逃げ延びたという。
鹿児島県には、「信繁は合戦で死なず、山伏に化けて秀頼·重成を伴って谷山(鹿児島市)に逃げてきた」という伝説や幸村の墓まで残る。
先ごろ、南さつま市の和多利(わたり)神社の境内で、真田家の旗印である六文銭(六連銭)や、豊臣家の家紋として知られる桐紋が刻まれた石材が見つかった。
京都大坂では陣の直後頃に、「花の様なる秀頼様を、鬼の様なる真田がつれて、退きも退いたり鹿児島へ」というわらべが流行ったともいわれている。
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