INOKI KI (闘魂忌)に寄せて ① ~猪木・アリ戦
その日、私は学校の帰りに地下鉄御堂筋線の淀屋橋駅のホームのベンチで各社新聞の夕刊を貪るように読んでいた。
1976年6月26日、どの新聞も昼間に開催された猪木・アリ戦の速報記事を載せていたが、殆どの新聞がこの試合を酷評していた。
猪木・アリ戦という常識ではあり得ない闘いが実現するに至った過程、試合直前まで紛糾したルール問題などプロレス専門誌(紙)によって、かなりの情報をリアルタイムで知り得ていた我々の感覚とプロレスをあまり知らない、或いは、固定観念と偏見に凝り固まった一般紙の記者の感覚には天と地ほどの差があった。
そのころ、一番信頼していたM新聞の見出しはこうだった。
「ショーならショーらしく、やれ!」
激しい怒りがこみ上げて来て、その場でM新聞を破り捨てた。
周りの人はびっくりしたことだろう。
あまり知らない世界のことを、さも自分が博識者であるかのごとく固定観念で論じる記者の傲慢さが許せなかった。
(まだ、純粋?だったのかもしれないが、今でもM新聞を許せないでいる。)
そのとき、わかった。
我々(プロレス者)の敵は一般社会の固定観念と偏見なのだと。
そして、猪木はその一般社会を相手に闘っているのだと。
だからこそ、一般社会の強者の象徴・権威であったアリと闘ったのだと。
世界中からも酷評された猪木アリ戦だったが、今になって手の平を返すように、この試合が評価されるようになってきた。
ここに至るまで何十年もの時間を要したのは時代を先取りし過ぎていたからなのだろうか。
当時、15ラウンド中、殆ど変化の少ない試合であるにも拘わらず、固唾を飲んで両者の一挙手一投足を凝視していたのはマイノリティな我々だけだった。
「リアルファイトだったから、一般人には面白くなかった。」
ただ、それだけのこと。
今なら、この言葉の意味を多くの人が理解しているだろうに。
もっとも、リアルファイトなんて、滅多にないプロレス界の体質にも起因していることは我々も重々承知している。
私はこの日を境に物事を批評するには、それに対し、充分な情報・知識を知り得ていなければならないと思うようになった。
この試合実現のために一説には10億という借金を背負いながら、おまけに世界中から普通なら再起不能になるほどのバッシングを受けた猪木が、それらをバネに更に強く立ち上がっていく姿に我々は大きな勇気をもらった。
10月1日は「INOKIKI(猪木・忌)」。早いもので一周忌を迎える。
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