西島三重子さんの提供曲、第34回目は太田真季さんです。
太田真季さんへの提供曲は、「ガラスの聖夜」1曲です。
アルバム『コンチェルト』 平成2年 音楽センター
「ガラスの聖夜」 作詞:平野 肇 編曲:中村暢之
この曲も平野肇さんの作詞ですね。
YouTubeの「ガラスの聖夜」です。
ガラスの聖夜
この曲も探し出すのに苦労しました。入手した時の喜びを、ホームページの「ばくのひとりごと」は、次のように書いています。
「提供曲「ガラスの聖夜~サイレントナイト」の詳細がわかりました!先日の茂原ふぇるまぁたライブの際、マネージャーの飯塚さんにお願いした答えをマンダラライブの時にいただき、太田真季さんのアルバムであることが判明しました。」
「永く存在が不明であった「ガラスの聖夜」。ついに入手できました。西島さんからアルバムの存在を教えていただき、あとはヤフーオークションで購入、インターネットの威力は本当にすごいものです。
なお、このアルバムには弥勒さん作詞の「夜明けのバラライカ」が収録されているほか、「愛のコンチェルト」「カミニート」など多くの曲が西島さんの『ペルソナ』と重なっています。
当初「~サイレントナイト」はサブタイトルと思っていたのですが、CDを聴いてみると「ガラスの聖夜」に続けて「サイレントナイト(きよしこの夜)」を歌っています。(2006.12.17)」
太田真季さんは、これまでの生き方や歌との関わりを記した、エッセイ集『真季の小径』を著しています。
『真季の小径』大月書店 平成8年(1996年)7月18日
プロフィールは「ソプラノ歌手。音楽センター声楽本科終了」
「'73年ベルリンでの世界平和友好祭に文化代表団として参加するなど、うたごえ運動を基盤に活動を続けている」
「オリジナルはもちろん、ロシア民謡や、ヨーロッパ歌曲、フォルクローレ、日本の叙情歌などを見つめ直し、うたってきた。ヒット曲「百万本のバラ」が人気を呼ぶ」
「百万本のバラ」は、加藤登紀子さんの歌で覚えたので、なんとなくシャンソン系の歌と思っていました。このエッセイ集を読んで、ロシアの歌であること、日本で最初に歌ったのはロシア系二世のニーナさんであること、日本語訳は松山善三さんであること、太田真季さんはニーナさんの歌を聴いてこの歌を歌い始め、今も歌い続けていることを知りました。うたごえ運動の中では松山善三さんの「百万本のバラ」が歌われることが多いようですね。
YouTubeには、様々な「百万本のバラ」がアップされています。加藤登紀子さん、久米小百合(久保田早紀)さん、本家のアラ・プガチョワのうた、現在は稚内市でロシア料理『ペチカ』の店長をされているニーナさんの店内ライブなど、聞き飽きることはありません。
太田真季さんのファースト・ソロ・アルバムは「百万本のバラ」や「うぐいす」を収録した『WITH LOVE』(昭和62年)です。
そして、セカンドアルバムが『THINK OF ME』。
正確な資料はないのですが、CD番号等から判断すると、次のサードアルバムが『コンチェルト』だと思います。
オリジナルは「ガラスの聖夜」1曲で、「白い想い出」を除く11曲が外国曲となっています。
太田真季さんへの提供曲は、「ガラスの聖夜」1曲です。
アルバム『コンチェルト』 平成2年 音楽センター
「ガラスの聖夜」 作詞:平野 肇 編曲:中村暢之
この曲も平野肇さんの作詞ですね。
YouTubeの「ガラスの聖夜」です。
ガラスの聖夜
この曲も探し出すのに苦労しました。入手した時の喜びを、ホームページの「ばくのひとりごと」は、次のように書いています。
「提供曲「ガラスの聖夜~サイレントナイト」の詳細がわかりました!先日の茂原ふぇるまぁたライブの際、マネージャーの飯塚さんにお願いした答えをマンダラライブの時にいただき、太田真季さんのアルバムであることが判明しました。」
「永く存在が不明であった「ガラスの聖夜」。ついに入手できました。西島さんからアルバムの存在を教えていただき、あとはヤフーオークションで購入、インターネットの威力は本当にすごいものです。
なお、このアルバムには弥勒さん作詞の「夜明けのバラライカ」が収録されているほか、「愛のコンチェルト」「カミニート」など多くの曲が西島さんの『ペルソナ』と重なっています。
当初「~サイレントナイト」はサブタイトルと思っていたのですが、CDを聴いてみると「ガラスの聖夜」に続けて「サイレントナイト(きよしこの夜)」を歌っています。(2006.12.17)」
太田真季さんは、これまでの生き方や歌との関わりを記した、エッセイ集『真季の小径』を著しています。
『真季の小径』大月書店 平成8年(1996年)7月18日
プロフィールは「ソプラノ歌手。音楽センター声楽本科終了」
「'73年ベルリンでの世界平和友好祭に文化代表団として参加するなど、うたごえ運動を基盤に活動を続けている」
「オリジナルはもちろん、ロシア民謡や、ヨーロッパ歌曲、フォルクローレ、日本の叙情歌などを見つめ直し、うたってきた。ヒット曲「百万本のバラ」が人気を呼ぶ」
「百万本のバラ」は、加藤登紀子さんの歌で覚えたので、なんとなくシャンソン系の歌と思っていました。このエッセイ集を読んで、ロシアの歌であること、日本で最初に歌ったのはロシア系二世のニーナさんであること、日本語訳は松山善三さんであること、太田真季さんはニーナさんの歌を聴いてこの歌を歌い始め、今も歌い続けていることを知りました。うたごえ運動の中では松山善三さんの「百万本のバラ」が歌われることが多いようですね。
YouTubeには、様々な「百万本のバラ」がアップされています。加藤登紀子さん、久米小百合(久保田早紀)さん、本家のアラ・プガチョワのうた、現在は稚内市でロシア料理『ペチカ』の店長をされているニーナさんの店内ライブなど、聞き飽きることはありません。
太田真季さんのファースト・ソロ・アルバムは「百万本のバラ」や「うぐいす」を収録した『WITH LOVE』(昭和62年)です。
そして、セカンドアルバムが『THINK OF ME』。
正確な資料はないのですが、CD番号等から判断すると、次のサードアルバムが『コンチェルト』だと思います。
オリジナルは「ガラスの聖夜」1曲で、「白い想い出」を除く11曲が外国曲となっています。