西島三重子さんのコンサートの余韻に浸っている間、ブログの更新が進みませんでした。
1月16日(土)、コンサート終了後のファンの皆様との交流も楽しかったです。ファンクラブの現会長(?)さんとも初めてお会いすることができました。九州から駆け付けたファンの方とも、9月のライブ以来の再会でした。
一度、ファンの集いなんてできたらいいですね。
11時近くに蒲田に戻ってきました。ホテルは駅前です。かぜ気味なのでそのままチェックインして寝ることにしました。
翌朝、体調が万全ならタワーめぐりに行ったのですが、どこにも行かずに10時過ぎの特急か高速バスで帰ることにしました。
以前、蒲田には1か月に1度くらい通ったことがありました。目的はえとせとらレコードです。きっかけとなったファンクラブの会報です。
『イメージ通信 Vol.3』1983年冬号
『イメージ通信』はテイチク時代に西島三重子さんが所属していた事務所、スタッフギャングから発行されたファンクラブ会報です。1982年の春に創刊号が発行されています。
創刊号には、ワーナーパイオニア時代を含めたディスコグラフィーや、前回触れたデビュー前の詩集『風に捧げる詩』からの詩の転載などが載っています。
この『イメージ通信』第3号に西島三重子さんの提供曲の一覧が掲載されていました。
26名の歌手に60曲(カバーも含む)が提供されています。
この提供曲をぜひ聴きたいと思いました。しかし、会報には歌手名と曲名しか載っていません。今ならインターネットの検索で、比較的簡単に入手できるかも知れません。しかし、当時は実際にレコードを探すしか方法はありませんでした。
元々レコード収集が趣味で中古レコード屋めぐりもしていたので、目的のひとつに西島三重子さんの提供曲も加わりました。探している曲がシングルかアルバム収録曲かもわかりません。とにかくシングルを一枚一枚確認し、アルバムは収録曲を確認しました。
廃盤ブームなどもあり、えとせとらレコードも店舗数を増やしている時で、シングル、アルバムともたくさんのレコードが歌手名別に並んでいました。多くのレコードをここで見つけることが出来ました。
最近は1店舗だけになり、通路が狭いので訪問することもなくなりました。今回も行くことはせずに9時過ぎに蒲田を出発して浜松町に向かいました。
1月16日(土)、コンサート終了後のファンの皆様との交流も楽しかったです。ファンクラブの現会長(?)さんとも初めてお会いすることができました。九州から駆け付けたファンの方とも、9月のライブ以来の再会でした。
一度、ファンの集いなんてできたらいいですね。
11時近くに蒲田に戻ってきました。ホテルは駅前です。かぜ気味なのでそのままチェックインして寝ることにしました。
翌朝、体調が万全ならタワーめぐりに行ったのですが、どこにも行かずに10時過ぎの特急か高速バスで帰ることにしました。
以前、蒲田には1か月に1度くらい通ったことがありました。目的はえとせとらレコードです。きっかけとなったファンクラブの会報です。
『イメージ通信 Vol.3』1983年冬号
『イメージ通信』はテイチク時代に西島三重子さんが所属していた事務所、スタッフギャングから発行されたファンクラブ会報です。1982年の春に創刊号が発行されています。
創刊号には、ワーナーパイオニア時代を含めたディスコグラフィーや、前回触れたデビュー前の詩集『風に捧げる詩』からの詩の転載などが載っています。
この『イメージ通信』第3号に西島三重子さんの提供曲の一覧が掲載されていました。
26名の歌手に60曲(カバーも含む)が提供されています。
この提供曲をぜひ聴きたいと思いました。しかし、会報には歌手名と曲名しか載っていません。今ならインターネットの検索で、比較的簡単に入手できるかも知れません。しかし、当時は実際にレコードを探すしか方法はありませんでした。
元々レコード収集が趣味で中古レコード屋めぐりもしていたので、目的のひとつに西島三重子さんの提供曲も加わりました。探している曲がシングルかアルバム収録曲かもわかりません。とにかくシングルを一枚一枚確認し、アルバムは収録曲を確認しました。
廃盤ブームなどもあり、えとせとらレコードも店舗数を増やしている時で、シングル、アルバムともたくさんのレコードが歌手名別に並んでいました。多くのレコードをここで見つけることが出来ました。
最近は1店舗だけになり、通路が狭いので訪問することもなくなりました。今回も行くことはせずに9時過ぎに蒲田を出発して浜松町に向かいました。