徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

激動の日本近代史を見ていた熊本城

2010-02-08 13:32:24 | その他
 現在の熊本城が完成した1606年以来、いくさには縁のなかった熊本城が、日本最後の内戦、西南戦争の激戦地になってから、日本近代史の節目節目で熊本城が登場する。残された写真の数々を見ていると、熊本城は激動の日本近代史をじっと見守ってきたんだなぁという感慨を深くした。
※写真はいずれも「写真集熊本100年」(熊本日日新聞社刊)より


明治4年、加藤神社が本丸の中に出来、城の表口(頬当御門)周辺には本妙寺から移転してきた茶店が立ち並び、賑わっていた頃の写真。西南戦争前で、焼失前の本丸が写っている。まるで黒澤映画のセットのような雰囲気。


昭和7年、満州事変で出動する第六師団。これも頬当御門付近。西南戦争時に焼失した本丸は無い。当時、第六師団の司令部が熊本城内に置かれていた。


昭和13年、ナチスドイツの青少年組織、ヒトラーユーゲントが熊本にやって来た。当時、日本とドイツは「日独防共協定」を結んでいた。熊本城宇土櫓前で記念撮影をするヒトラーユーゲントの面々。


昭和25年、宇土櫓前(現在の加藤神社のある位置)に駐車された大型展望車と戦後第1期生のバスガイド。観光ブームが始まりつつあった頃。


現在の熊本城、頬当御門の入口周辺。本丸御殿が復元され、連日、観光客で賑わっている。