今朝の熊日新聞に、山鹿市の鞠智城(きくちじょう)近くの水田で赤米(古代米)の稲穂が赤く色づき始めたというニュースが載っていた。昨年見逃したので、さっそく今日の午後、母を連れて見に出かけた。七城町を通って菊鹿町へ入ったが、車窓に青々と広がる田圃とその脇を流れる豊かな水量を眺めながら、母は「さすがは米の名産地」と感心しきり。昨年の米の食味ランキングで最高評価の特Aにランクされたのが、菊鹿町の「森のくまさん」と七城町の「ヒノヒカリ」だったことを思い出し、納得。
7世紀後半(約1300年前)に大和朝廷が、現在の山鹿市菊鹿町に築いた山城・鞠智城。現在はそのシンボルともいえる「八角形鼓楼」や「米倉」、武器や武具の倉庫「板倉」、防人(さきもり)たちの住まい「兵舎」などが復元されている。そしてその鞠智城が築かれた頃から鞠智城がある米原(よなばる)地区に語り継がれているのが「米原長者伝説」。暮れる太陽を呼び戻し、一晩で三千町歩の田植えをしたという長者伝説は、その時代からこの一帯に豊かな田園が広がっていたからこそ生まれたのだろう。
7世紀後半(約1300年前)に大和朝廷が、現在の山鹿市菊鹿町に築いた山城・鞠智城。現在はそのシンボルともいえる「八角形鼓楼」や「米倉」、武器や武具の倉庫「板倉」、防人(さきもり)たちの住まい「兵舎」などが復元されている。そしてその鞠智城が築かれた頃から鞠智城がある米原(よなばる)地区に語り継がれているのが「米原長者伝説」。暮れる太陽を呼び戻し、一晩で三千町歩の田植えをしたという長者伝説は、その時代からこの一帯に豊かな田園が広がっていたからこそ生まれたのだろう。