
また、大浜町は江戸時代から明治初期の頃まで「高瀬米」の積出し港として栄えた。江戸前期までは高瀬まで上っていた五百石船も、菊池川の堆積などのため上れなくなり、江戸中期以降になると御倉の米を3キロ下流の大浜まで平田船で運び、大浜で五百石船に積み替えて大坂の堂島を目指したそうである。大浜には今でも往時の廻船問屋の名残りが残っている。下の民謡「肥後の俵積出し唄」に歌われている沖の帆前船に積む光景も、後期にはもっぱら大浜で見られる光景だったのである。

多くの帆前船や平田船などが行き交う大浜港の様子

現在の菊池川・大浜側河岸。加藤清正公の治水事業遺構が今でも残る

昭和初期と思われる大浜の岸壁
♪ 肥後の俵積出し唄
▼写真をクリックすると動画が再生されます。
♪ 肥後の高瀬のなぁ~ 御倉の米を
黒船帆まえで 沖で積む
サイジョドン サイジョドン サイジョドーンドン
ア サテ サイジョドンドーン
♪ 肥後の高瀬のなぁ~ 氏神さんは
積み出す お米の守り神
サイジョドン サイジョドン サイジョドーンドン
ア サテ サイジョドンドーン
♪ 肥後の高瀬のなぁ~ 娘がほしや
俵積み出す 若い衆が
サイジョドン サイジョドン サイジョドーンドン
ア サテ サイジョドンドーン
黒船帆まえで 沖で積む
サイジョドン サイジョドン サイジョドーンドン
ア サテ サイジョドンドーン
♪ 肥後の高瀬のなぁ~ 氏神さんは
積み出す お米の守り神
サイジョドン サイジョドン サイジョドーンドン
ア サテ サイジョドンドーン
♪ 肥後の高瀬のなぁ~ 娘がほしや
俵積み出す 若い衆が
サイジョドン サイジョドン サイジョドーンドン
ア サテ サイジョドンドーン